映画 ティファニーで朝食を ネタバレ 感想
こんにちは、やのひろです。
毎年楽しみにしているTOHOシネマの
「午前10時の映画祭」で「ティファニーで朝食を」を見てきました。
いきなり余談を挟んで恐縮ですが・・・
数年前NYに行った時、現地に住んでる友達と5番街にいって
「ティファニーで朝食しようよ!」って言ったら
「映画見たことないでしょ」って笑われたのが忘れられません。。
朝方にティファニーの前でパン食べるんだよって言われて
隣にあったキンピカのビルでパン買ってお店の前で食べました。
※ちなみに「このビルはもの凄いお金持ちが建てたんだよ」と言われ
「へ~、こんなにキンピカなんて趣味が良いんだか悪いんだかね」と
話していたら、その人がいま大統領選を戦ってるトランプ氏だったのでした。
そんな思い出のある「ティファニーで朝食を」
人生初見です。米在住の友達、ようやく見れたよ!
朝食はほんとにオープニングでパン食べただけだね!
とってもオシャレだけど・・・
出てくるものがとってもオシャレ。
特にオードリーが寝る時に着けてたアイマスクと耳栓が
可愛くて心奪われました。アラサー女性向けに売れそう。
この映画はツベコベ言わずにオシャレさを楽しんで
ステキな彼とのラブストーリーを味わうものだ、って
分かってるんですけど・・・
分かってるんだけど色々考えてしまった(^^;
男女の役割が新しいようで古いんだなぁと。
1961年の映画だからあたり前ですけどね。。
奔放なようで型におさまるホリー
オードリー演じるホリーは男性を手玉に取って暮らしています。
男性の飾りになることを商売にしているわけで。
最初、それは新しい女性像に見えました。
私の考えはすっかりそれを念頭に置くようになっていて(影響されやすい 笑)
この映画でもそこをベースに考えちゃいました。
女性は男性から見て道具かご褒美、というのがベースにあるとして
ホリーはその両方を活かして商売にしちゃってるわけだから
「道具かご褒美にされることを生きる手段にしてる」ということで
ミソジニーを超越しているように見えました。
しかも途中で結婚から逃げ出してきたことが分かる。
やっぱり固定された男女の枠が窮屈だったのかな、と。
相手役のポールも新しい男性像でした。
まず仕事をしてない。そして豪かな夫人の愛人として囲われている。
オールドタイプな「地位と権力のある男性」からは遠い人物です。
現代の日本風に言うと肉食女子と草食男子でしょうか。
このまま新しいタイプのラブが展開するのかなーと思ったら
何と最後はあっさり昭和の家庭に落ち着いたのでアリャ?と思いました^^;
何度も言うけど古い映画だから仕方ないし
オードリーが可愛いからいいんだけど・・・なんかすみません 笑
ホリーはポールと居るのを心地よく思いながらも
お金持ちと結婚するために奔走し始めるんですね。
そんでその途中でポールは愛人と手を切ってホリーに告白する。
そのセリフが「あれ??」ってなりました。
君を愛している。
だから君は僕の物だ。
人は所有されて幸せになるんだ。
君は自分で檻に入って生きることを拒否しているだけだ。
これを言われたホリーはちょっと迷うものの
自分の気持ちに気が付いて土砂降りの雨の中で彼に抱き着き
映画はおわります。
そ、そうか・・・そこに落ち着くのか。。と思っちゃった。
結局は男性に「所有」されることが幸せっていう映画なのね~^^;
王子様を待ってるタイプの古いディズニー映画のようで
「昔の映画としてはいいね」という感じでした。
・・・なのに今の感覚を持ち込んだ私が悪い。。
最初の描かれ方が新しい女性像に見えたから
ついそっちで期待してしまいました。
これは当時どういう人に受け入れられた映画だったのだろう。
女性から「私もこんな恋がしたいわ!」って思われたのかな。
それとも男性から「俺もこんな風に美女に愛されたい!」だったのかな。
なんとなく後者のような気がして
そんな流れで行くと「マイフェアレディ」のエンディングは更に謎で
「せっかく生きる術を身に着けたのに何で彼のとこに帰るの?」と思います。
原作では二人は分かれるのだけどミュージカルにしたときに
ハッピーエンドに書き換えたらしいので、、仕方ないですけど。
その点「ローマの休日」は素晴らしいと思います。
成長して自立心(自律心)を持ったアン王女が自分の立場に帰っていく。
この3作品ではローマの休日が一番古い作品ですけれども
女性の生き方としては一番新しいような気がします。
それではまた!