やのひろです

気になるあれこれ

本 「女ぎらい 日本のミソジニー」 上野千鶴子著 感想

この本を読んでみようと思う人の、性別の比率はどんなもんだろう。

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別に男性を責めてる本ではありません

前に、男性の非暴力について書かれた本を読んだら

「男性はこの手の話を避ける傾向にある

 自分が悪く言われていると思うからだ」とあって

そういうものなのかー、と思ったものです。

この本もその類なんじゃないかと思いながら手に取りました。

 

確かに男性には苦しい表現も出てくる。

なんてったって著者が上野千鶴子さん。

女性について研究している第一人者です。

女はこういう状況にいるのよ!っていうのが本の主題です。

 

でもね、男性を責めてる本じゃありません。

そうじゃなくて、「現状男女差ってのはこういう風になってます」

という取扱説明書みたいだなと、私は思いました。

 

しかもすごく論理的に説明されてて。

参考文献だけで6ページ半割かれてるほど他書物からの引用が多く

それらの書かれた時代も国もバラバラ。

あらゆるタイプの本から素材を集めて男女差の現状を編んでいます。

というか著者が今までよんだあらゆる本の総まとめなのかもしれません。

 

なのでよくある「男女はこういう傾向にある!」というふわっとした本より

耳に痛いことも腹落ちしやすくなってるんじゃないかと思います。

 

ミソジニーとは。女性蔑視と自己嫌悪

 「ミソジニー」というのは、別に三十路には関係なくて

(最初は三十路の女たちについて書かれた本かと思ったら、違いました笑)

女性嫌悪」のことだそうです。ウィキペディアにもあります。

男性においては「女性蔑視」、女性においては「自己嫌悪」だとか。

 

なのでタイトルの「女ぎらい」には男女それぞれの目線が込められていて

男は女が嫌い、女も女が嫌い、という意味です。

 

・・・辛い。でも分かる。

わたしは女ですけれども

自分に対して女は嫌だなと思う事ある。

 

ミソジニーの根幹はこういう考えなのだそうです↓

 

男を「男にする」のは、他の男たちであり、

男が「男になった」ことを承認するのも、他の男たちである。

(略)

これに対して、女を「女にする」のは男であり、

「女になった」ことを証明するのも男である。(P257)

 

肌感覚でこれは何となく分かる気がしませんか。

男性は仲間同士で認め合うことが大事、

女性は男性から「こいつはイイ女だ」と思われることが大事、っていう。

 

旦那さんにこれを説明したら「まぁそうかもな」と言ってたので

ある程度男性からも理解される内容なんじゃないかな?

本ではここに至るまで理路整然と説明されていますけど割愛します。

違和感のある方はぜひ本を読んでみてください^^;

 

そういうミソジニーが世の中にあると知ると

私の経験でも「もしかしてあれが・・・?」というものがありました。

 

女の私からみた、個人的なミソジニー体験 

私の会社の男性陣は毎日同じメンバーでランチに行ってました。

欠かすことなく6人連れ添って。誰か会議とかで遅れると待ってて。

 

たまたま一緒になるんじゃないんです。絶対に一緒に行く。

中学時代女の子たちが一緒に女子トイレに行ってたのと似ていて

職場の女性たちはそれをみて

「気持ち悪いくらいツルんでるよね・・・なんなんだろう」と

みんな不思議がっていました。

 

今思うとあれは男同士の承認行動だったんだなぁと思います。

その会社の男性陣はいつもヘロヘロに弱っていて

怒られたくない、部長がむかつく、俺はもうだめだとよく言ってました。

 

そんな彼らにとって同じような立場の男性陣が連携して

俺たち悪くないよな!と言い合うのは精神上必要だったんだな、と。

(なんで私が「彼らはランチに集って慰め合ってる事を知っているか」というと

 別の機会に本人たちが私に話すからでした。

 「この前ランチで〇〇君と話したけど、あの件は部長が悪いのであって俺ではない」

 とかとか。あー、そういう話をしてるのかぁと思ってました)

 

そして彼らは同じ感じで、よく女性を悪者にしてました。

いやこれほんと。面白いくらいに。

 

彼らはいつも「そんなことない。女性に活躍してほしい」と言ってましたけども

その裏で女性を「女性」でくくったり、対立をあおったりしてました。

たまたま二人で話す機会があるとボロボロでてくるトークの数々。

 

私はこういう構造の中でいつも混乱していました。

 

女性に活躍してほしいと言う。俺たちを助けてと言う。

でもそれならと仕事を頑張ると疎まれる。

どうやら彼らには彼らしか知らないルールがある。

そのルールは絶対に明かされない。

ルールは教えないけど俺たちのルールで成果を出せと言われてるようだ。

これは無理なゲームなんじゃないか?

 

訳がわからない!とよく思いました。

でもこの本を読んで、世の中にはミソジニーという考えがあると知って、

「あ、あれはそういう事だったのか」と整理がつきました。

今まで「なんなんだあいつらは!」と思ってたのが

自然な現象としてとらえられてスッキリ。

しょうがないな。それならその上でどうしようかな、と。

 

要するに、日本のミソジニーはこうなんじゃないかしら

本によると、男性は男性同士で承認し合いたくて

女性はそのための道具か、または報酬なのだそうです。

 

・・・ちょっと男性に不利な言い方になってきましたけど(^^;

別に責めるつもりはないです。本の中でも責めてません(たぶん)

ただ、そういう構造になってるよというだけです。

 

男性同士で称え合うために「男ではない」ものが必要で

それを蔑視することで「俺たちは素晴らしい」という結論を生み出す。

「お前女かよ」とか「オカマか?」というセリフもこの心理に起因するとか。

「男だろ!」もそうでしょうね。俺たち側じゃないのか?という煽り。

女性を差別するというか、「男ではないもの」を他者化したい。

 

なんて酷いの!女をそんな風に扱うなんて!とも言えなくて、 

女もこの構造に乗っかって自分の価値をキープしています。

 

男に所有される、支配されることを一つのステイタスとするのはその為です。

高収入、高学歴、高身長の彼氏が欲しいの、なんてその典型ですね。

自分の価値はいい男に認められること、という考えが根付いています。

 

そう、「根付いてる」というのもこの本のポイントでした。

話はその辺を含めて進んでいきます。

 

わかるけど、これなんとか解決できないのかな?

というわけで、男性からすると女性は

「俺は男だ」と認識するために必要な「男ではないもの」であるか

「お前は男だ」と承認された後、自分のパーツに惹かれてくる報奨なわけです。

 

・・・でもこれって女としてはちょっとしんどいですね?笑

なるほどねーとは思うけど、じゃぁ仕方ないね、とは思えない。

分かるけど。分かるけど、、やだなぁ。って感じ。

 

男性としても「あぁそうさ!女は道具かご褒美さ。あっはっは」

とは言いにくいですよね??こんなご時世だし。

できればお互い手に手を取って協力していきたいじゃないですか。

 

上野さんは本の中で、ミソジニーの解決についてこう書いています。

 

ミソジニーについてこれでもかと論じた本の最後に、

ミソジニーは超えられるか」という終章を置くのは

あまりにも見え透いた手口に思える。

それがかんたんに超えられるものなら、

こんな書物が書かれる必要もないだろうに。

(略)

そしてミソジニーを超えた世界については、

ちょうどマルクスが階級の廃絶された世界について語ったように

私たちもこう答えるしかないのだ。

「わたしはミソジニーがあまりに深く埋め込まれた世界で生まれ育った

ために、それがない世界について想像することができません」(P265)

 

はい、無理です!

もう社会の根っこに埋め込まれてしまっていて、

みんな意識できないほど思考パターンに刷り込まれています!

さっき出した会社の男性陣もこれでしょう。もちろん私もです。

 

それでも何とかしたいなぁと思いながら本を読み進めました。

ここからはまず「女性である私が女性の自己嫌悪から抜けるために」

という目線で読んだことをお伝えします。男性の話はその後に。。

 

まずこれなら出来るんじゃないかしら?

私は本のこの部分にはっとしました。

女がミソジニーを自己嫌悪として経験しないで済む方法がある。

それは自分を女の「例外」として扱い、

自分以外の女を「他者化」することでミソジニーを転換するのである。

(略)

特権的な「例外」を産出することで、差別構造は無傷のまま、

再生産されつづける(P225)

 

これも凄く分かる。

もうちょっと簡単に言うと、「私、普通の女と違うから」戦略です。

 

上野さんはこれには2つの道があって、

一つは男性から「名誉男性」として扱われるエリートコース、

もう一つはブスとして女カテゴリからドロップアウトすること、としてます。

 

このどっちかを突き詰めてる人にはまだあったことないけど、

少しずつは自分の中にこういうとこあるんじゃないかしら。女性なら。

出来る女を目指したいのも、干物女で開き直りたいのもこれ。

 

でも後半の文章にある通り

これをやってもミソジニー(男性は女性を蔑視、女性は自己嫌悪)は消えない。

むしろ構造を強化してしまうんですよね・・・

 

「世の中ミソジニーっていうのがあるのよね、知ってるわ。

 でも大丈夫、私は例外だから。そこには入らないから。

 男性には差別されないし、私は私が好きだから」

 

こういう状況しか生まれないわけです。

これはつまりミソジニー肯定。

ミソジニーがあるという前提で「でも私は違うわ!」ということで。

むしろこの彼女が他の女性を「蔑視&自己嫌悪OKな女」としちゃっている。

 

これ、私はすごくよく分かります。

 

最近女同士の激しいレッテルぶつかりバトルが見える。

結婚してる、してない。子供がいる、いない。仕事してる、してない。

あらゆる軸で「私はいいの!でもあんたたちはダメよ!」ってしたがってる。

 

私はしてないつもりだし、周りにもこの手のタイプはいませんけども

メディアから入ってくる情報などでこれを感じることが増えました。

マウンティングと言われるのもこの一部かもしれません。

 

でもこの「駄目!」を1人の女性が完全にかいくぐることは出来なくて

結婚してて子供がいても仕事してないとか、仕事してるけど未婚とか、

1つクリアすれば1つは落としてたりするんですよね。

全部クリアすることはは絶対できない。生身の人間だもの。

 

そうすると自分が他人を「駄目よ!」ってした返す刀で

自分が自分を「駄目よ!」ってすることになって

結局自己嫌悪だったりします。

自己嫌悪を逃れるためにやったはずなのに!自分に返ってきちゃう。

 

ミソジニーを抜け出すひとつのカギは、

まずこの構造に気が付いて、自分を例外化しない事じゃないかと思います。

課題山積みだからこそ、とりあえず女同士で足引っ張るのやめよう!

 

あなたもイイネ、私もイイネでいいじゃない。

今のところ私たちは、男の道具か褒美になる構造の中にいるんだよ~。

そこから先を考えて、みんなで幸せになろうよ!^^

 

この考え方からスタートするのが鍵じゃないかと。

 

では女性はどうやってミソジニーから抜け出すか

で、その次。

どうしたら男性前提の生き方から脱却できるか。

良い男性に所有されることが自分の価値、という考えから一歩出られるか。

 

恐らくその手段の一つが男女雇用機会均等法だったのだと思います。

女の私たちも男性と同じように働けるわよ!という。

でも施行より下の世代である私から見たら別になんてことない法律です。

 

私の体験ではありますが、さっき挙げた前職の男性陣は

女を職場には入れてくれても男連合には絶対に入れようとしなかったし、

女側も女性っぽさや子供っぽさを強調して被支配を求めてるように見えます。

いい年の女性が自分を「女子」と呼んだり

OL服として子供っぽい服が流行るのはその影響だろうと見てます。

 

本の中では例として東電OL殺人事件が出てきます。

男女雇用機会均等法直前、東電に初の総合職として就職した才女が

渋谷で娼婦として殺された事件です。

 

フェミニズム関係の資料にあたるとかなりの頻度で出てきますね、これ。

職場で認められなかった彼女は娼婦として女の価値を得ようとしたわけです。

 

社会に出ても自分が女である(=男ではない)ことを強調される。

女としての自分がどこにいたらいのかわからない。

そんなこんなで女性の社会進出は

ミソジニー脱却には繋がらないのではないかと思います。

 

じゃぁどうする。

会社で仕事をすることはミソジニーの脱却にならなかった。

他に何をしたら男性の道具にも報奨にもならず、

自分で自分を認めて生きていけるんだろう?

 

それは・・・

 

 

分かりません!!!

 

 

そんなことが私に分かったら上野先生を超えてしまいます。あは。

 

 

・・・なんかすみません。

偉そうに言っておいて、分かりません。。

でも、それでも何かしたい。

 

分からないから、構造を理解して意識したい

そんな中でぼんやり考えてるのは、、

 

道具やら報奨やらにしたい男性には

はいはいどうぞって、そうさせときゃいいのかもしれない。

 

そういうことしない男性もいるし、

する人も別に年がら年中やってるわけじゃないし。

女性を道具扱いしかしない男性の場合は大人しく立ち去ればいいし(笑)

 

そこで「そういうの止めてください!」ってたてついて

「お~、怖い。これだから女性は云々」ってなる方がよっぽど嫌です。

そうするとますます女は自衛のために庇護欲を強める必要があるし

それは結局ミソジニーを促進させるだけ。

 

だから「あー、はいはい。それですね。知ってます。どうぞ」としておいて、

大事なのはそこで自分を見失わないことかもしれない。

 

無理に役に立とうと背伸びしたり、ちやほやされたいと願ったりしない。 

自分を例外にして他の女を差別することもしない。

 

男性陣に何かしら役に立つ自分や、他の女とは違う自分に価値を感じるんじゃなくて

自分で自分を認める努力をちょっとずつしていければ

ミソジニーから解放された生き方が

できるんじゃないかな・・・と。思います。

 

この自分で自分を認めるっていうのは、何でもいいんです。

私は手帳に「今日出来たことリスト」を書くことがあります。

くだらないでしょう?でも結構利くんですよ。

 

忙しい日ほど「今日はあれができなかった!」って考えちゃうんですけど

そこを逆転させて出来たことをいっぱい書くんです。

私は夜にまとめて書くのではなくてやったその時書いてます。

「朝ご飯食べられた」なんてことも書きます。忙しいのによくやった!って。

 

最近は自然に「出来たこと」をフォーカスするようになってきましたよ。

自分に対してだけじゃなくて他人に対しても。

「やってくれてありがとう」が先にくるようになりました。

ほんと、これおススメです。

 

ミソジニーを脱却して自分で自分を認める生き方をする。

これはもう人生の課題かもしれません。

いま私たち世代がこれに取り組むことで

今の子供たちが大人になった時少しはマシになってる、

そういう種まきのためにも意識していきたいです。

 

それで、男性には何ができるか?? 

ミソジニー脱却のために男性に何ができるかも本で触れられています。

私には男性の感覚がわからないのでちょっと難しかったのですけど

要するに「男性であるという性の強制から解放されよ」ということでした。

 

これは別の本

「男性の非暴力宣言――ホワイトリボン・キャンペーン」

を読んだときにも似たようなことが書かれてました。

 

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男性は「男たるものこうであれ!」という概念にとらわれている、

そこから解放されることが必要だ、みたいな。

 

俺はどうしたらいいんだー!と思った方はそっちも当たってみてください。

この「女ぎらい」を読んだ男性と今後の社会について語り合えたら

きっと楽しいだろうなと思います(^^)