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【映画】パパが遺した物語 ネタバレ 感想

こんにちは、やのひろです。

今日は「パパが遺した物語」を観てきました。

 

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それではネタバレを含む感想行きます!

 

あらすじ

1989年のニューヨーク。

作家のジェイクは妻と小さな娘の3人とで幸せに暮らしていたが

ある日自分が運転する車で事故を起こし

妻を失い自身も精神的な病と発作を患ってしまう。

しばらく入院して治療にあたるため娘のケイティを妻の姉に預けるが

退院後その姉夫婦がケイティを引き取りたいと言い出す。

娘を失いたくないジェイクはヒット作を生み出そうと躍起になるが・・・

 

一方2014年。

成長したケイティは大学で心理学を学んでいた。

人と深く関わることのできない彼女は男あそびを繰り返し

自身が抱える心の闇に苦しめられていた。

そんな時、父が書いた物語が好きだという男性キャメロンに出会って・・・

 

良い話、良い俳優、だけど・・・

普段はなるべくポジティブな面を見るようにしてるのですが

今日は残念ポイント多めな感想になります。

この映画が好きだった方には不愉快かもしれません、ごめんなさい。

でも残念な映画を見るから素晴らしい映画にも気づけるワケなのでね。

素直に感想をつづっていきます。

 

ストーリーは、美しいです。

親子愛。誰の心にも琴線のあるテーマですね。

しかもタイトルに「遺した」ってあるとおり

絶対にパパは死んじゃってますからね。

こりゃもう人生論的な感動テーマがあるだろうと分かります。

 

俳優さんも、有名です。

ラッセル・クロウアマンダ・セイフライドなんて

どちらか一方の主演でも見たいと思うのに共演とは!

しかもこの二人と言えばレ・ミゼラブル(^^)

どんな絡みになるんだろう~、と思ってました。

 

しかしいざ見てみると。

私はイマイチでした。全くジンとしなかった。

こういう映画は大体泣いちゃうのですけども

珍しくうるっともしませんでした。

 

物語に入り込もうと思っても

醒めてしまうシーンが多くてちっとも揺さぶられない。

ずっと、どうしてなんだろう?と思いながら見てました。

 

監督?編集?脚本?

こんなに良い素材があるのに何故入り込めないのか。

それいはシーンとシーンの流れや

カットとカットの繋がりが

自然に感じられなかったから、と結論付けました。

 

凄く良い人が良い話をしてるのにつまらない、みたいなものです。

話すテンポ、言葉、抑揚などの話し方の所為で詰まらない時。

同じ話でも違う人が話せばもっと面白いのに、っていうのに似てました。

 

あくまで私にとってはそうだった、というだけですけどね。

あの流れでグッときが人ももちろんいらしたのだろうとは思います。

 

例えば、ラスト手前でケイティが叔母さんとお茶を飲むシーン。

 

ケイティは別れたキャメロンに会いに行ったものの諦めてしまい、

叔母さんは離婚して、25年経ってるのかな、こっちも?

とにかく二人とも愛に破れてしんみりとお茶を飲んでいます。

 

これは成長したケイティが自分の保護者といる唯一のシーンでした。

 

それまで大人のケイティはいつも一人で

彼女がどうやって生きて来たのか、生きているのか、説明されてません。

けれどもパパが亡くなった後は

離婚した叔母がケイティを育てたと思われます。

つまり娘と母代わりとの場面なわけですね。

 

そんな人と終盤に差し掛かってようやく向き合っている。。

短いシーンでしたがケイティが自分の成長過程と直面出来たという

重要な意味を持つ場面だったと思います。

 

そこで叔母さんはこう言います。

「男は愛が無くても生きていけるのよ。でも女は違うわ」

そして、それをじっと見つめるケイティ。

 

しゅん・・・。

そうなのかな。。キャメロンもそんな人なのかな。。

でもパパは確かにケイティを愛していたよ。。

ケイティに愛をくれる人は現れないのかな・・・

 

そう思ってみていると次のシーンはケイティの家の前。

ふと見るとキャメロンが階段に座っています。

待っててくれたのですね。

泣きだすケイティ。抱き寄せるキャメロン。

 

 

ここで映画は終わりです!えええええええ!!

意味深な叔母さんのセリフなんだったの!?

 

親代わりだった人が言った「男に愛はいらないのよ」

を打ち消すにはあまりにあっさりしたエンディングでした。

キャメロンはそんな男じゃなかったと思うには説明が足りません。

 

しかし彼が待っててくれるシーン自体は美しかった。

だとしたら、叔母さんのシーンは

もっと前にあれば良かったんじゃないかと

素人ながら思います。

 

例えば、ケイティがキャメロンに会いに行く前とか。

 

ケイティはキャメロンと別れてしまった、自分が悪いと分かっている、

しばらく家に引きこもる、何もできない・・・

 

そんな時叔母さんに会いに行く。

滅多に近寄らない人だけど、本当に愛した人を失った今

とにかく誰か素直になれる人に会いたくて。

 

色々あったけど姪の自分を育ててくれた人。

自分自身も家族のことで傷ついた人。

そんな彼女がくれたアドバイスは「男に愛はいらないのよ」

慰めとも諦めともとれる言葉です。

 

でもケイティはやっぱり諦められない。

自分は女だから、愛が必要だから、キャメロンに会いに行く。

勇気を振り絞って行ったけども怖気づいて引き返してしまう。

もうだめ・・・と思った時に聞こえる思い出の曲。

パパに会いたい・・・!

絶望的な気持ちで岐路に着くと・・・そこに愛する人が。

 

キャメロンはケイティにとって

最高のパートナーに、そしてパパに代わる愛情をくれる人に

なってくれたわけですね、めでたしめでたし・・・

 

この方が美しかったと思います。

叔母さんの悲しいセリフも昇華されると思う。

なんであのエンディングの直前に叔母さんのシーン入れたんだろう?

恐らくは落差を使って印象的にしたかったのでしょうけど

私にはチグハグに感じられてイマイチでした。

 

それぞれは素晴らしい素材だったのだから

もっと上手く組み立てれば良い映画になったと思うんだけどな。。

高級食材をたくさん入れたら味がまとまりませんでした、

というような感じの映画だと思いました。

 

こうなるのはどこの影響が色濃いのでしょう?

監督?編集?それとも脚本??

映画を作る過程を知らないから分かりませんけれども・・・

どなたか思い当たる節がありましたらぜひ教えてください。

 

自分ならどう描くか考えてみた

途中から作品に入るのを諦めたので

「自分ならどう組み立てるか」を考えてみてました。

 

公式サイトによると最初はパパだけの話だったところに

後から大人になったケイティの話を追加したらしいですけど

私があの話を組み立てるなら全部ケイティの話にします。

 

叔母さんのシーンと同じく飲み込みにくかったのは

ケイティがあばずれとして成長してたとこです。

ビックリしましたよね??(笑)

かと思ったら突然子供時代の話に戻ったりして

ん?25年経ったの?戻ったの?行き来する話なの?と

途中混乱しました。

 

私なら、最初からケイティ主体の話として進めて

あの可愛い少女がどうしてこうなったのか、

どんな心理的影響があって今孤独なのかをもっと丁寧に描きます。

 

時間の行き来は分かりやすくするために何か小道具を使って

それが新しくなると過去、古くなると現在、と見せるとか

途中一か所あったように大人のケイティが子供の自分とすれ違って

時間が戻っていくとか、そういう見せ方にしたらどうかと思います。

 

エンディングがケイティなのだから

描きたいのはケイティの心の傷と、それを見守るパパの愛のはず。

だったらそこにもっとフォーカスした方が伝わるのではないでしょうか。

時間軸も人物軸もあちこち行き過ぎた気がします。

 

なんて。

映画製作を学んだ訳でもないただの映画好きの妄想ですけどね~。

映画作りを勉強されてる方ならどう思うのかしら??

この映画は良かったですか??

自分が作るとしたらどんな風にしますか??

もしよかったらコメントお寄せ下さい(^^)

 

 

それではまた!