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やのひろです

気になるあれこれ

【感想】舞台 天邪鬼 by柿喰う客

こんにちは、やのひろです。

今日はずっと見たいと思っていた劇団「柿食う客」を見てきました。

タイトルは「天邪鬼」

期待通り、裏と表が交錯する深いステージで

見終わってからずっと胸の間が詰まったように苦しく

言葉にするのに2日くらいかかりました。

 

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ではネタバレを含む感想行きます!

 

あらすじ

物語そのものを説明するより

劇団のサイトに書かれた紹介分の方がいいと思うので引用しますね。

 

よく学び、よく遊び、よく殺せ。今、壮大な“戦争ごっこ”が始まる。

 

荒廃した世界、混沌とした時代の中で、

無邪気に仲良く“戦争ごっこ”に熱狂するこどもたち。

両手を拳銃に見立て、互いの急所を撃ち合ううちに、

やがて指先から虚構の弾丸を放つようになる。


イマジネーションが生み出したその弾丸は、

ホンモノの人間を撃ち殺し、戦車を破壊し、戦闘機を落とす。
大人たちは、こどもたちのイマジネーションを操る能力に注目し、

能力開発の為に新たな教育システムを採用する。

 

その為に採用されたのが“演劇”。

今やすべての教育機関で、こどもたちは強制的に演劇を学ぶ。

ホンモノの“戦争ごっこ”の為に。

 

何が虚で何が真なのか

誰が本当のことを言っているのかを曖昧にする脚本でした。

 

そもそもタイトルが「天邪鬼」。

開幕前の数分間、現実と観劇の間で既に

「私が演じる役は明らかなる虚偽や矛盾が含まれる」と宣言されます。

 

人物の名前もそれぞれの特性からきているらしく

日和見、天邪鬼、正直、知りたがり、おませ、七光りと

一見しただけで曲者揃いです。

 

「何が真実なのか分からない」という事を

「明らかに作り物である演劇を通して観る」という体験。

何重にもロックされた虚構の空間に閉じ込められたような感覚でした。

 

私なりに何が真実に近いか考えてみた

 ”虚実入り混じる舞台”って言っちゃうと簡単なのですが

それで片づけるのは何だかもったいないので

自分なりに何が本当(に近いもの)なのか考えてみました。

 

まず怪しいのは玉置玲央さん演じる、あまのじゅんやくん。天邪鬼。

前述のとおり本人が「矛盾がある」と言ってるし

劇中でも周りの子たちに嘘つき呼ばわりされています。

 

しかし途中にこんな感じのセリフがありました。

「これが、ぼくが言った初めての嘘でした」

 

私にはこれは真実に見えました。

彼は心からそう言ってるようだ、と。

ということは、彼の不思議な発言は少なくとも

自分の意志で嘘をついているわけではないのだと思います。

 

次に永島敬三さん演じる、しょうじきよし。正直くん。

 

あまの君が前面に出るからオブラートに包まれていたけど

彼も相当不思議なキャラクターでした。

社会に馴染めず、いつもみんなと違う環境に置かれる。

 

最初かれは「劇作家気取り」と言われています。

また途中彼は自分の身を守るために「オオカミが来た」と嘘をいいます。

たくさんのおとぎ話が出てくるので

あぁオオカミ少年なんだなとその時はやりすごしましたが

最後にはっとしました。

 

彼は、オオカミ少年なんだ。

ということは、彼の言ってることは嘘なのかもしれない。

 

思い返したら確かに自分で言っていました。

「100%僕の創作だよ」「物語がほころんじゃうからさ」

そう思ってしょうじ君のセリフはだいたい嘘と思いながら考えると

あちこち辻褄が合うような気がします。

 

つまりこの物語には、虚言を繰る人が2人いる。

しかしあまの君は嘘をついていない。

彼は想像してそれを真実だとしてるだけで、嘘を言ってるつもりはない。

対してしょうじ君は、嘘だと分かって話している。

 

どうやらこの舞台は

「真実ではない」ことを、「嘘」と「想像」とに分けて

演劇という「創造」の中で再現した作品のではないか・・・?

 

「作り物」の中身は所詮全部「真実ではない」

けれどもそれは「嘘」だけでできているわけではない。

 

「想像」と「創造」、そして少しの「嘘」

 

振り返ると 

”演劇は嘘だけど、嘘じゃないよ”、と言われてる気がしました。

 

この”裏の裏の裏の裏”みたいな構造の面白さが

私の拙い文章で伝わってるでしょうか(涙)伝わっててほしい(涙)

あ、でもこれは全て私の想像なので、

つまりは嘘かもしれませんけど。

 

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戦争のある世界と、想像力

キャラクターは5歳の子供たちです。

桃太郎ごっこを戦争に活用しています。

彼らは大人の教育により想像力を具現化できるようになっていて

指を向けてバンと言えば人を殺傷できるようになっています。

 

子供の想像力って面白いですね。

これを見ながら私はこの前見かけた近所の子供を思い出しました。

「俺はタイムトラベルができる!なぜなら俺はルフィだから!」

と叫んでいました。

これも「嘘」ではなく彼にとってはそうなのでしょう。

彼は彼の中だけで彼だけのタイムトラベルを、してるのだと思います。

 

これを見た2015年9月17日は

自民党が進める安保法制が委員会で強行採決された日でした。

5歳児がいずれ戦争の要素となるって無くも無いな、と思うと

単なるお芝居だと心の幕を隔てて観ているのは難しく感じました。

 

彼らは当然のように内部被爆をしているということだったので

これは少し未来のお話だったのだろうと思います。

 

そう遠くない未来、子供は戦争に近い環境で生きている。

戦争ごっこは日常になり、大人が戦争に適するように教育する。

 

そんな中で活用されていたのは「イマジネーション」でした。

日本は子供たちの想像力からくるお芝居を武器に戦っていたようだし

子供たちはそのお芝居で身を守っていました。

 

戦争と関係が深い未来の社会と

それに立ち向かう想像力の力

 

私にはこのお芝居は、そんな対立関係に見えました。

つまり、”社会に対して演劇は何ができるのか”、という問題への

柿喰う客なりの解。

 

それが天邪鬼という作品なのではないかと、私は思っています。

 

天邪鬼なのは誰だ

演劇は、あまの君やしょうじ君のように

嘘つき呼ばわりされてみんなの仲間外れになってるのかもしれません。

 

でも結局はあまの君やしょうじ君によって話が進められていて

進行の中心には「創作」がありました。

 

社会に演劇が役立つのか。

これは人によって意見の分かれるところだと思います。

お芝居なんか見たことない人にとっては無意味でしょう。

 

でも私は

社会を改善していくために必要なのは芸術だと思っています。

芸術だけが社会に前向きな問題提起ができる。

 

ジョレノンがオノヨーコとやったキャンペーン

”war is over if you want it” のように。

RENTに出てくる歌詞

”The opposite of war isn't peace... It's creation." のように。

 

中でも演劇は空間を共にすることでより強力に訴えかけられる、

社会の薬のようなものだと思っています。

 

この作品も

何だかきな臭い現代日本社会の良薬なんじゃないかと

思いました。

 

素晴らしい身体表現と演出

私が一番最初に柿喰う客に興味を持ったのは

主催の中屋敷さんが青山学院のご出身というところでした。

 

私も青学なので言えますが、

正直青学は劇団を作るような雰囲気の学校ではないんです(笑)

なので青学出身で新進気鋭の劇団を率いてるとは

何て変わった方だろう、在学中に出会いたかった!というのが最初です。

 

・・・という印象でようやく舞台を拝見できたものの

「あれっ、青学出身ってもしかして別の劇団さんだったかな?」と

途中で分からなくなるほどそれっぽさが全然なくて。

いや、青学の演劇なんて多分無いから、

青学っぽいお芝居なんてそもそも存在しないんだけど。

 

なんていうか、もっととんでもなく異質なのかと思ってたんです。

ベースがないところから自分の個性でグッと出て来たような。

他の何にも似てないし寄ってないような感じの

ものすごくハマったひとにだけ受けるような雰囲気なのかなって。

 

でも観ていたら、確かに個性的なんだけど凄くどっしりしてるし、

個性だけでグッと来たというよりは

確固たるものがあるような気がしたんです。

 

俳優さんたちが身体だけでいろいろな表現をされてるとき、

人物を入れ代わり立ち代わり演じているとき、

あるお芝居が頭の中をよぎりました。

 

なんだか・・・”もしイタ”っぽい雰囲気あるな・・・。

 

もしイタとは!

青森中央高校演劇部が上演して全国優勝を飾った伝説の舞台

「もしイタ~もしも高校野球のマネージャーが青森のイタコを呼んだら」

で、2014年にはフェスティバルトーキョーにも出た作品である!

作・演出は畑澤聖悟先生。

2015年の東京公演を観劇した私の感想テキストはコチラからどうぞ!(宣伝)

 

フッと思ったんです。なんか似てるなって。

この俳優さんたちの動きを見てると、あの舞台を思い出すなって。

 

そしたらなんと!!!

帰りの電車で柿喰う客や中屋敷さんのことを調べていたらなんと!

 

中屋敷さんは畑澤先生のお弟子さんだったとーーーー!!!

 

しかも青学の後に?桜美林平田オリザ氏から演劇を勉強されたと。

これで納得しました。なるほどなるほど。ふむふむふむ。

中屋敷さんのお芝居には畑澤先生や平田氏の教えが脈打ってるのですね。

 

それにしても全然違うところから興味を持った2つのお芝居が

実は繋がっていたというところに奇妙な縁を感じました。

なんだかありがたい・・・。

演劇の神様が「これも観ておきなさ~い」って勧めてくれてるみたい。

 

最後に、もし私があのお芝居に参加したら

舞台では最後の最後まで桃太郎ごっこが提案されます。

最後はなんだか自分も誘われているようでした。

「君も想像力で戦争に参加する?」と

 

私なら・・・

桃太郎ごっこで戦おうとする子供たちに

もういいから帰ってきてご飯たべなさーい!って

言う存在でいたい。

 

桃太郎の正義は

一見単純で分かりやすいけど、よく考えると幼稚です。

子供が振りかざせる正義ではあるけど

そこにすべてを賭けて良しと出来るほど、

大人は単純じゃないはずです。そう信じたい。

 

彼らの置かれていた争いまみれの環境にも

「もっと大人の解決方法があるでしょ。

 いいからご飯を食べなさいな」

って言えるような。

 

そういう社会がいいし、

そういう人で居れたらいいと思いました。

 

 

それではまた!