いろいろあります

毎日のいろいろあること。面白い夫と元気な息子の3人暮らし

川崎つくろうよコンサート2016 参加しました♪

トロンボーン背負って、いざ!

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つくろうよコンサートとは!

川崎市が年に1度開催している2日で作るコンサートのこと。

会場は吹奏楽コンクールでも使われている川崎市民文化会館。

 

こんな偉そうに言ってますけど実は私も今回初参加。

去年自由演奏会で一緒になった方に教えてもらいました。

「どうやったら参加できますか?」ってきいたら

「夏ごろに”つくろうよコンサート”で検索したら出ます」と言われて

なんてざっくりした話だ!と思ったけど本当にこれで出ました。

参加したい方は夏ごろに”つくろうよコンサート”で検索してください(^^;

ちなみに2016年のサイトはこちらです↓

川崎市川崎区:つくろうよコンサート2016~つくコンvol.13~お知らせ

 

で、そんな作ろうよコンサート。

行政が主催してくれてるだけあって何かと丁寧!!

 

・事前に譜面を送ってくれる

・事前の練習室を用意してくれる

・会場の照明をフル活用

・ちゃんとパートごとに分かれた座席配置

 

何と言っても事前に練習できるのがありがたかったです。

自由演奏会みたいに当日だけ吹くものお祭りみたいで楽しいけど

やっぱりそれだと吹けないところは吹けないし。。

練習できるだけあって自由演奏会より曲の難易度も高かったと思います。

 

今回の曲はこのような物でした。

 

♪ミュージックメーカーズ

♪挑戦民謡の主題による変奏曲

エルカミーノレアル

♪アルセナール

♪ディズニーセレブレーション

♪故郷

♪マラゲーニャ

アイルランド民謡

♪宝島

 

吹奏楽をあまりご存じない方のために簡単な解説。

この曲目をジャンルで分けるとこうなります↓

 

・ミュージックメーカーズ(前奏曲

・挑戦民謡の主題による変奏曲(コリアン民謡)

エルカミーノレアル(ラテン)

・アルセナール(行進曲)

・ディズニーセレブレーション(ディズニー)

・故郷(日本の童謡)

・マラゲーニャ(ラテン)

アイルランド民謡(アイルランド

・宝島(日本のポップス)

 

あらゆるジャンルが混ざってる事が伝わりますでしょうか。

これが吹奏楽の素敵なところだと、私は思います^^

クラシックみたいにずっとお上品なわけじゃなく

聞きなれた曲も世界各地の曲もいっぺんに楽しめるのが吹奏楽です。

 

特に今回の曲はどれもカッコよくて聞くのは楽しい・・・のですけど

吹くとなるとどれも難易度高くて焦りました!

こういう突発コンサートでしか演奏してない

基礎力ナシの私にはどれもハードル高かったです(T_T)

 

一応譜面が手元にあるんだから練習しないとまずいと思って

youtube聞きながら一通りさらってみたんですけど

1週間やっても思うように吹けなくて落ち込み。。

どうしよう、私だけ全然吹けないかもしれない、、と思いながら

トロンボーンを背負って会場に向かいました。

 

つくろうよコンサート前日。

ほとんどのメンバーが集まって初めての合奏です。

今回の参加者は200名!

トロンボーンは1st、2nd、3rdと1列ずつ並び、

3rdの私は後ろにTrb2nd、前にEuphという席順で演奏しました。

 

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全曲通し練習。

やっぱり吹けないところは吹けない(涙)

でも後ろから1stや2ndの音がバリバリ聞こえてきて

3rdだっていい音やってるよ!と主張したくなり・・・

 

当日午前中。またまた通し練習。

なんとかついていけるようになった!

16分音符が続く細かいところはもうしょうがない。気合。

これならやれる気がする!!

 

ということで迎えた本番は・・・

 

めちゃくちゃ楽しかったです!!!

 

びっくり。

カッコよくて、吹きながらビックリしてました。

 

途中で指揮の先生も

「つくコンの素晴らしいところは

 他人同士が集まって2日で音楽を作っちゃうところ」

とおっしゃっていて

あー、こういうことかぁって吹いてて思いました。

 

自由演奏会だとやっぱり全員の気持ちを合わせるとこまでは

時間がなくて出来ないけど(その代わり勢いを楽しむ場)

つくコンは何回か繰り返して練習してるうちに

音楽が合ってくるんだと思います。

 

挑戦民謡の主題による変奏曲には緊張の一瞬があって

全員音がなくて数秒間完全に無音になった後に

これまた全員でジャガジャガジャン!!と派手に鳴らすんですね。

もしここで誰か1人でもカウントを間違えてパプ!と出してしまったら

途端に「やっちゃった!」感が出て台無しですけど

本番は見事に、みごとに揃いました。やー、緊迫した!

そこが過ぎたときは心臓がバクバクしてました。

 

そんなシーンでも思い切って飛び出せたこととか、

主旋を張り切るだけじゃなくて和音を豊かにしたいと思ったこととか、

自分一人の力ではなくて200人の音に後押しされたからなんだと思います。

ああやって曲の世界で楽しく過ごしたのは凄く久しぶりだった気がする・・・。

 

冒頭にもちらりと書いたとおり、照明もとても凝ってて。

曲に合わせてライトが変わったり絵を映してくれたり、

そういう整えられたステージで演奏したのも10年ぶりです。

たった2日の演奏でも環境を整えてもらうと気が引き締まりました。

 

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この演奏会を企画して作ってくれた方々、本当にありがとう!という気持ちです。

行政の方ももちろん、当日のスタッフをして下さった方達も。

お蔭で本当に気持ちよく演奏することができました。ほんとにありがたい!

 

一緒に演奏した方達ともなんとなく仲良くなってお別れしました。

また来年一緒に演奏できますように(^^)

 

映画 ワンス ダブリンの街角で 感想 人生の踊り場には音楽が必要

映画館で見れなくて
ミュージカルの来日公演も見れなくて
ずっと気になってました。

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同じ監督が撮った「はじまりの歌」がとてもよかったので
この機にDVDレンタルしました。
ここから感想の中にネタバレあります〜。





これは、人生の踊り場にいる男女が
音楽を分け合って
新しい一歩を踏み出す物語。

前に何があったか、その後どうなったは描かれないから
歩き出すところが凄く際立ってました。


なんかさ、、、
生きてると、成長とか進化とかそういうのばかり入ってくるけど、
実際こういう、一回休み!ってなることはあるよね…

また出てくる人が誰もそれを責めないの。
ちゃんとした仕事につきなさい!とか言わない。
本人も別に悪い状態だとは思ってなくて
その時できることに取り組んでるし。
日本と海外の違いなのかなぁ。
立ち止まってる人への優しい目線を感じました。


最後、彼女は家に来ないわけだけど
あれをどう見ましたか??

私はね、彼女は凄く迷ったんじゃないかと思いました。

行きたいけど、いま行ったら感情に流されてしまうって思って
無理して、辛い思いして、行かなかったんじゃないかな。

ドライブに誘われた時は感情を取って、
それも楽しかったしセッションもよかったし、
いま家に行ったら、その時はまた楽しくても
結果的に二人のこともそれぞれの世界もダメにしてしまうって
そう思って行かなかったんじゃないかな。

彼にはそれが伝わったのかな。
だからピアノを買ってくれたのかな。
だとしたら彼女が歌ってた「私も努力してるのよ」っていうのが
叶ったんじゃないかな…

普段DVDは、やっぱり映画館ほど入り込めなくて
「あー、映画館で見たかった!」と思うんだけど
今回のはDVDなのにポロポロなけちゃって
「あー、映画館で見たかった!!」ってなりました笑

いい歌だったなぁ…
舟で漕ぎ出そう、辿り着けるよ、って。
人生の踊り場には音楽が必要ですよね。
音楽は人生の薬。

「はじまりのうた」を(堪えられなくて)もう一度みた

大好きな映画館、渋谷のアップリンク
見逃した映画特集2015をやっています。
んもう、この企画の切り口だけでステキ。惚れ直す。

 

いくつか見たい映画があった中で
ダントツにもう一度見たかったのがこれです。
「はじまりのうた」

 

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やのひろ的2015年TOP3に入る素敵映画です。

私は基本的に1つのエンタメは1回しか見ないポリシーなのですけど
これはせっかく機会があるならまたスクリーンで見たい!と
いつものマイルールを破ってまで見に行ってしまいました。

 

もうね、とにかくイイのが最初の30分(推定)。
1つの歌を軸にグレタ(キーラナトレイ)とダン(マークラファロ)の
人物背景が描かれるとこです。ここが、めちゃくちゃ、好き。

 

まずあの構成。
物語の鍵になる曲を冒頭にぽーんと見せて
ん?どういうことかな?と思わせといて
時間と人物を行き来しながら背景を説明していく。あの構成。
「あ、そういうこと!」っていうのが2度もくる。
更にはそれが来るたびに曲の深みが増すという仕掛け!!くー!

 

そしてあの曲。なんて良い曲なんだ。

 

最初にグレタが歌う弾き語りver.でも素敵だけども
次にかかるダンのアレンジver.!!
魔法のように動き出す楽器。
輝きだすグレタ。
ぐんぐん広がる曲の世界!

 

もうね・・・私あのシーンで泣けるんです。
音楽に命が宿るようで。。鳥肌ぶわーで涙がぽろーなんです。

 

この映画が言いたいのは
「誰かと気持ちを分かち合う幸せ」
なのだと思います。

 

誰かと繋がりたくてコネクタを大事にしていたダンと
1人で閉じこもっていたグレタの間に
音楽っていう特別なコミュニケーションの橋が架かって
突然に、でも必然のように、気持ちが通い合っていく。
あの感じ。なんて尊いんだろう…。

 

デイヴはグレタの曲をポップスにアレンジしてしまったけど
ダンは最初のあの魔法のシーンからグレタの曲をきちんと解釈していた。
「この歌の世界が分かる」ということで救われたダンと
「私の歌を分かってくれる人がいる」ということで救われたグレタ。

あー…なんて素敵なの。

 

あの二人、ちょっといい雰囲気になるのに恋人にはならないんですよね。
そこがいいなと思いつつ、なんで恋人にしなかったんだろう?とも思いました。
例えばダンがもっと若い男性の設定だったら恋愛発展もアリなんじゃ?って。

 

でも今回見てみてハッとしました。
アルバムづくりが終わってお別れを言うシーン、
グレタとダンが向かい合っててそれぞれのアップが入るとこ。
その二人の目をみて。あぁこれは・・・愛だなって。

 

私を愛して欲しいとか、一緒にいたいとか、
そういう欲求を超えたもの。
相手を尊敬して幸せを願って別れを惜しんで
それでもどこかで繋がってると思える関係。

そういうのをあのシーンから感じました。

 

親子とか子弟とかでも起こり得る、いわゆる無償の愛。
これってある意味男女の愛情よりずっとピュアだと思いませんか。
だって何の見返りも望まないんだもの。


そういう深い深い愛情を描くために
この二人はこの関係だったんじゃないか・・・と思います。

 

愛する誰かと気持ちを分かつ。
これこそが豊かな人生の秘訣だよ・・・。
そんなことを言われた気がしました。

 

あー。。。
見にいってよかった。私の宝物映画です。

今年はブログの筑前煮化を目指します

こんにちは、やのひろです。


新しくブログをやろう!と思った時

ここ数年やっていたサイト解析のアタマがあれこれと働きました。

検索にかかりやすいものは何か

人が欲しがるものは何か

どこの数字をあげるのが効果的か…


その結果、そんな有益なものは自分からほとんど出なくて

サイトは放置気味に。

まさに本末転倒!


そんなこんなしながら色々やってるうちに

Webはそろそろメディアになるべきなのでは?

というところにいまおります。


それってどういうこと?

何すればいいの?

もうかるの?

この辺のことは何もわかりません。


ただ、これまで私がやってきた

「サイトとは数字を見ること」

↑一度これは置いといた方が良さそうだ

ってことだけ今わかってます。


なのでサイトに書くことの制限をもう少し緩くして

色んなことをざっくばらんに書いていきたいと思います。

自分の脳内を言語化する訓練!


サイトの効果を思えば書く内容を絞った方が良いことは分かってますが

自分をそんなに都合よく切り分けることが出来ないので

私が感じたあらゆる事が出てくると思います。

目指すは筑前煮。

色々入っててそれぞれ美味しい、みたいな場所にしたいです。


今後ともどうぞ宜しくお願いします!


やのひろ


【映画】パパが遺した物語 ネタバレ 感想

こんにちは、やのひろです。

今日は「パパが遺した物語」を観てきました。

 

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それではネタバレを含む感想行きます!

 

あらすじ

1989年のニューヨーク。

作家のジェイクは妻と小さな娘の3人とで幸せに暮らしていたが

ある日自分が運転する車で事故を起こし

妻を失い自身も精神的な病と発作を患ってしまう。

しばらく入院して治療にあたるため娘のケイティを妻の姉に預けるが

退院後その姉夫婦がケイティを引き取りたいと言い出す。

娘を失いたくないジェイクはヒット作を生み出そうと躍起になるが・・・

 

一方2014年。

成長したケイティは大学で心理学を学んでいた。

人と深く関わることのできない彼女は男あそびを繰り返し

自身が抱える心の闇に苦しめられていた。

そんな時、父が書いた物語が好きだという男性キャメロンに出会って・・・

 

良い話、良い俳優、だけど・・・

普段はなるべくポジティブな面を見るようにしてるのですが

今日は残念ポイント多めな感想になります。

この映画が好きだった方には不愉快かもしれません、ごめんなさい。

でも残念な映画を見るから素晴らしい映画にも気づけるワケなのでね。

素直に感想をつづっていきます。

 

ストーリーは、美しいです。

親子愛。誰の心にも琴線のあるテーマですね。

しかもタイトルに「遺した」ってあるとおり

絶対にパパは死んじゃってますからね。

こりゃもう人生論的な感動テーマがあるだろうと分かります。

 

俳優さんも、有名です。

ラッセル・クロウアマンダ・セイフライドなんて

どちらか一方の主演でも見たいと思うのに共演とは!

しかもこの二人と言えばレ・ミゼラブル(^^)

どんな絡みになるんだろう~、と思ってました。

 

しかしいざ見てみると。

私はイマイチでした。全くジンとしなかった。

こういう映画は大体泣いちゃうのですけども

珍しくうるっともしませんでした。

 

物語に入り込もうと思っても

醒めてしまうシーンが多くてちっとも揺さぶられない。

ずっと、どうしてなんだろう?と思いながら見てました。

 

監督?編集?脚本?

こんなに良い素材があるのに何故入り込めないのか。

それいはシーンとシーンの流れや

カットとカットの繋がりが

自然に感じられなかったから、と結論付けました。

 

凄く良い人が良い話をしてるのにつまらない、みたいなものです。

話すテンポ、言葉、抑揚などの話し方の所為で詰まらない時。

同じ話でも違う人が話せばもっと面白いのに、っていうのに似てました。

 

あくまで私にとってはそうだった、というだけですけどね。

あの流れでグッときが人ももちろんいらしたのだろうとは思います。

 

例えば、ラスト手前でケイティが叔母さんとお茶を飲むシーン。

 

ケイティは別れたキャメロンに会いに行ったものの諦めてしまい、

叔母さんは離婚して、25年経ってるのかな、こっちも?

とにかく二人とも愛に破れてしんみりとお茶を飲んでいます。

 

これは成長したケイティが自分の保護者といる唯一のシーンでした。

 

それまで大人のケイティはいつも一人で

彼女がどうやって生きて来たのか、生きているのか、説明されてません。

けれどもパパが亡くなった後は

離婚した叔母がケイティを育てたと思われます。

つまり娘と母代わりとの場面なわけですね。

 

そんな人と終盤に差し掛かってようやく向き合っている。。

短いシーンでしたがケイティが自分の成長過程と直面出来たという

重要な意味を持つ場面だったと思います。

 

そこで叔母さんはこう言います。

「男は愛が無くても生きていけるのよ。でも女は違うわ」

そして、それをじっと見つめるケイティ。

 

しゅん・・・。

そうなのかな。。キャメロンもそんな人なのかな。。

でもパパは確かにケイティを愛していたよ。。

ケイティに愛をくれる人は現れないのかな・・・

 

そう思ってみていると次のシーンはケイティの家の前。

ふと見るとキャメロンが階段に座っています。

待っててくれたのですね。

泣きだすケイティ。抱き寄せるキャメロン。

 

 

ここで映画は終わりです!えええええええ!!

意味深な叔母さんのセリフなんだったの!?

 

親代わりだった人が言った「男に愛はいらないのよ」

を打ち消すにはあまりにあっさりしたエンディングでした。

キャメロンはそんな男じゃなかったと思うには説明が足りません。

 

しかし彼が待っててくれるシーン自体は美しかった。

だとしたら、叔母さんのシーンは

もっと前にあれば良かったんじゃないかと

素人ながら思います。

 

例えば、ケイティがキャメロンに会いに行く前とか。

 

ケイティはキャメロンと別れてしまった、自分が悪いと分かっている、

しばらく家に引きこもる、何もできない・・・

 

そんな時叔母さんに会いに行く。

滅多に近寄らない人だけど、本当に愛した人を失った今

とにかく誰か素直になれる人に会いたくて。

 

色々あったけど姪の自分を育ててくれた人。

自分自身も家族のことで傷ついた人。

そんな彼女がくれたアドバイスは「男に愛はいらないのよ」

慰めとも諦めともとれる言葉です。

 

でもケイティはやっぱり諦められない。

自分は女だから、愛が必要だから、キャメロンに会いに行く。

勇気を振り絞って行ったけども怖気づいて引き返してしまう。

もうだめ・・・と思った時に聞こえる思い出の曲。

パパに会いたい・・・!

絶望的な気持ちで岐路に着くと・・・そこに愛する人が。

 

キャメロンはケイティにとって

最高のパートナーに、そしてパパに代わる愛情をくれる人に

なってくれたわけですね、めでたしめでたし・・・

 

この方が美しかったと思います。

叔母さんの悲しいセリフも昇華されると思う。

なんであのエンディングの直前に叔母さんのシーン入れたんだろう?

恐らくは落差を使って印象的にしたかったのでしょうけど

私にはチグハグに感じられてイマイチでした。

 

それぞれは素晴らしい素材だったのだから

もっと上手く組み立てれば良い映画になったと思うんだけどな。。

高級食材をたくさん入れたら味がまとまりませんでした、

というような感じの映画だと思いました。

 

こうなるのはどこの影響が色濃いのでしょう?

監督?編集?それとも脚本??

映画を作る過程を知らないから分かりませんけれども・・・

どなたか思い当たる節がありましたらぜひ教えてください。

 

自分ならどう描くか考えてみた

途中から作品に入るのを諦めたので

「自分ならどう組み立てるか」を考えてみてました。

 

公式サイトによると最初はパパだけの話だったところに

後から大人になったケイティの話を追加したらしいですけど

私があの話を組み立てるなら全部ケイティの話にします。

 

叔母さんのシーンと同じく飲み込みにくかったのは

ケイティがあばずれとして成長してたとこです。

ビックリしましたよね??(笑)

かと思ったら突然子供時代の話に戻ったりして

ん?25年経ったの?戻ったの?行き来する話なの?と

途中混乱しました。

 

私なら、最初からケイティ主体の話として進めて

あの可愛い少女がどうしてこうなったのか、

どんな心理的影響があって今孤独なのかをもっと丁寧に描きます。

 

時間の行き来は分かりやすくするために何か小道具を使って

それが新しくなると過去、古くなると現在、と見せるとか

途中一か所あったように大人のケイティが子供の自分とすれ違って

時間が戻っていくとか、そういう見せ方にしたらどうかと思います。

 

エンディングがケイティなのだから

描きたいのはケイティの心の傷と、それを見守るパパの愛のはず。

だったらそこにもっとフォーカスした方が伝わるのではないでしょうか。

時間軸も人物軸もあちこち行き過ぎた気がします。

 

なんて。

映画製作を学んだ訳でもないただの映画好きの妄想ですけどね~。

映画作りを勉強されてる方ならどう思うのかしら??

この映画は良かったですか??

自分が作るとしたらどんな風にしますか??

もしよかったらコメントお寄せ下さい(^^)

 

 

それではまた!

 

【舞台】TOP HAT トップハット来日公演 ネタバレ 感想

こんにちは、やのひろです。

渋谷のシアターオーブでトップハット来日公演を観てきました。

 

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英国人の友達が

「トップハットは素敵よ!」と言ってくれたのがもう数年前。。

いつか見たいと思っていた夢が叶いました。

それではネタバレ含む感想いきます!

 

簡単なあらすじ

ブロードウェイの人気俳優ジェリーは

英国の名物プロデューサー・ホレスの誘いに乗って

ロンドンの新作に出演することを決める。

 

初日を明日に控えたロンドンの夜

ホテルのホレスの部屋でタップダンスを踊っていると

その真下の部屋に泊まっていた美女のデイルが苦情を言いにくる。

一目で恋に落ちたジュリーは翌日から彼女にアプローチし始める。

 

一方、ホレスにはマッジという妻が居た。

彼女は自分が滞在するヴェネツィアにホレスとジュリーを呼ぶ。

ジュリーに紹介したい女性がいるという。

 

美女のデイルは実はそんなマッジの友達だった。

マッジから「同じホテルに私の主人が居るわ」と聞いた彼女は

自分の真上の部屋にいると知りジュリーとホレスを勘違いする。

私を追いかけて来たのは友達の旦那さんだったんだわ!

 

何も知らずにデイルに迫るジュリー。

ジュリーを友達の旦那と間違えているデイル。

夫は友達に手を出してると勘違いするマッジ。

何も知らずにとばっちりを受けるホレス。

 

果たして4人は誤解を解いて

無事ハッピーエンドにたどり着くのか・・・?

 

アメリカのラブコメ、ロンドンで復活!

超王道のボーイ・ミーツ・ガール物。

何の心配もなくニコニコ笑って見守れるハッピーな舞台でした。

 

 この作品は元々は1935年に作られたアメリカの映画です。

 

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お話の中心はロンドンでしたが

実はアメリカで生まれたお話なんですねー

 

アメリカ生まれのラブコメミュージカルと言えば

クレイジー・フォー・ユーを思い出しました。

展開や雰囲気はあれとよく似ています。

 

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ボーイがガールとミーツしてラブがゴーイングするのに

その間にミステイクがあってドタバタ、

最後にはハッピーエンド♪という流れです。

 

っていうか調べたら1935年て

ガーシュウィンが活躍してる時代だった。。

流行ってたんでしょうね、こういうのが。

 

ロンドンで生まれたミュージカルだと

お話がもうちょっと情緒的なんですね。

オペラ座の怪人とかビリーエリオットとか

ストーリーがもっと込み入ってます。

 

それでいくとトップハットはとてもアメリカンな話です。

舞台がNY→ロンドン→ヴェネツィアと移動するのも華々しいですね。

アメリカ産の話なのに紳士的なシルクハットがテーマとは興味深いです。

欧州にルーツを持つ人達の英国への憧れもあったのかな??

 

そんなアメリカンな話が

ミュージカルとして生まれ変わったのはロンドン!

これが本作の面白いところです。

 

パパッと楽しめるアメリカンミュージカルが

美と情緒のロンドンミュージカルの手にかかるとどうなるのか??

ブロードウェイ(NY)とウェストエンド(ロンドン)の

ハイブリッドが楽しめる!というのが一番の魅力だと思います。

 

ロンドンらしい上品な演出

舞台は全体的にベージュやクリーム色のような

柔らかくて落ち着いた雰囲気にそろえられていました。

衣装も淡いグリーンやブルーなど優し色合い。

少ない色数でまとめられているのは

ポスターを見てもお分かりいただけるのではないかと思います。

 

それになんと言ってもダンスが美しい♪

 

舞台を見る前にネットで映画を差探してみましたが

そちらは舞台より少し派手な振付な気がしました。

 

例えばジュリーとデイルが雨宿りしながら踊るシーン。

映画では最後二人は胡坐をかいて座り握手するのですけど

舞台ではジュリーがデイルを引き寄せてキスをします。

 

私はダンスに詳しくないので推測ですけど

ちょっとしたターンの時に飛ぶのか滑るのかとか

手を広げた時にピッとするのかスラリとするのかとか

少しの違いで雰囲気が変わるのではないかと思います。

 

舞台版は流れる水のように、上質なシルクのように

滑らかで美しい動きが盛りだくさんでした。

 

そんな上品な演出に包まれていると

デイルの勘違いで進んでいくドタバタも

コミカルというよりとてもキュート!

 

勘違いしてるデイルがジュリーをひっぱたくシーンも

可笑しいというよりほほえましかったです。

あーあ、、嬉しかったからこそ怒っちゃったのね、って。

でもそれ勘違いだよ~(^^;って。

 

ロンドンミュージカルでは

こういうシンプルなラブコメってなかなか無いので

かえって新鮮に見ることができました♪

ロンドンがラブコメやると上品になるんだなぁ~。

 

カーテンコールは写真撮影OK!

なんと、カーテンコールでは写真が撮れました。

 

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ていうか、カーテンコールがあることに驚きました。

 

ご存知でしょうか。

舞台が終わって幕が降りてから拍手しまくるのは日本の習慣です。

少なくともNYやロンドンでその場面にあったことはありません。

 

海外は上演中の拍手が日本の5倍くらいあります。

バチバチバチバチ!ヒューヒュー!ワーオ!って上演中にやって

キャストが一通り挨拶して幕が降りたらみんな帰ります。

オケが演奏を続けてても関係ありません。さっさと帰ります。

 

私はオケも好きなので最後まで聞いてましたが

終わるころには誰も居なくて

もうお掃除の方がごみを拾ってました。

(余談ですが海外は客席飲食自由。終演後はゴミだらけです。すごい)

 

そんなわけで、終わってからも拍手し続けて

幕が何度もあがりキャストが何度も出てくるのは

とても日本的な行為なんだと思います。

その代わり日本は上演中大人しいですからね。

最後に感激を伝えたいんですよね。

 

この前同じくオーブでみたピピンでは

一度もカーテンコールをやりませんでした。

最後のオケが終わっても幕が上がらなくて

客席からは落胆の声が聞こえました。

私は来日公演だから仕方ないと思ったけど(^^;

気持ちは分かります。

 

だから今回カーテンコールがあるのにびっくり。

日本風にしてくれたのでしょうか。

何にせよありがたい事でした~。

 

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とっても可愛いアメリカン・ロンドンミュージカル。

難しい事は考えず、ただただ幸せになれる作品でした。

 

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見終わったらキレイな空♪

 

それではまた!

【映画】彼は秘密の女友達 ネタバレ 感想

こんにちは、やのひろです。

映画「彼は秘密の女ともだち」を観てきました。

 

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それではネタバレを含む感想いきます!

 

簡単なあらすじ

子供のころからの親友ローラを病で亡くしたクレール。

彼女はローラのお葬式で、ローラのご主人であるダヴィットと

生まれたばかりのローラの娘を守ることを誓う。

 

親友の死から立ち直れない彼女は

夫のジルに勧められてダビットの様子を見に行く。

するとそこに知らない女性が。

「失礼、マダム」と声をかけたら

なんとそれは女装したダヴィットだった。

 

仕方なく話を聞くと結婚前から女装癖があって

それはローラも知っていたとのこと。

今は娘が母親を恋しがるからやってるだけで

落ち着いたらやめると。

 

何とか帰ってくるものの落ち着かないクレール。

ジルには女友達のヴィルジニアと会っていたと誤魔化す。

 

最初の話とは裏腹に女装を止めないダヴィット。

彼はヴィルジニアとしてクレールと会い

クレールもまたヴィルジニアとの関係を楽しみ始める。

果たして二人はどうなるのか・・・

 

女装と同性愛と人間愛と

まず最初に驚いたのは

クレールがダヴィットの女装を激しく非難することです。

 

女装ってそんなにダメかな!?

私だったら、まぁビックリはするけど

「あ、そうなんだー、へぇ・・・お茶入れる?」

くらいで受け流せる気がします。

コスプレとか盛んな国に暮らしてるからなのかな。。(^^;

 

明確には説明されてませんでしたが

亡くなったローラは敬虔なクリスチャンだったようです。

クロスのペンダントをしていたしベッドの上にも十字架があったし。

 

洋物を見る時たびたびネックになることですが

残念ながら日本人の私にはキリスト教の感覚がよくわかりません。

ただ知識として知る限りでは、

キリスト教の根本に近づくほど同性愛などは難しいのですよね。

 

そういう意味では、女装癖がある→もしや同性愛?というのが

禁断の図式として頭をよぎるのかもしれません。

 

そう考えるとローラが女装を知ってたというのも怪しいと思う。

ダヴィットは本当にローラに打ち明けてたのかな?

ローラは冒頭に死んでしまうのでこれはもう誰にも分かりませんけど。

でも嘘をついてるようにも見えなかったんだよな~・・・うーん。。

 

ちなみにダヴィットはがっちりした体つきの立派な男性なので

女装はお世辞にも綺麗とは言い難いものでした。ひげも目立つし。

それでもだんだん見慣れてくると可愛く感じるから不思議。

こざっぱりした格好のクレールに比べたら

うきうき着飾るヴィルジニアの方が女性らしいくらいでした。

 

 

好きなのは同性か、異性か

果たしてダヴィットは同性愛者なのか。

途中クレールがこれを聞くシーンがありました。

 

女装してるダヴィット、つまりヴィルジニアはこう答えます。

「好きなのは女性だよ。今まで男性を好きになったことはない。

 でも試してみようかな。ふふふ」

これをクレールは微妙な表情で聞いていました。

 

ここから先、物語は複雑な展開を見せます。

 

女友達のクレールとヴィルジニア

そろそろ子どもが欲しいと思うクレールとジル夫妻。

女友達だけど本当は異性のクレールとダヴィット。

 

クレールは男と女、友達と親友の夫と自分の夫の間で

ぐらんぐらんに揺れます。

 

特にダヴィット&ヴィルジニアへの気持ちが複雑になっちゃう。

 

友達として楽しい。ローラと一緒にいたときのよう。

ヴィルジニアも信頼してくれている。

でも彼女は亡くなった親友の夫。

彼or彼女を想うことは友情なのか愛情なのか・・・。

 

混乱するクレールをダヴィット&ヴィルジニアも気づきます。

そして自分自身もクレールをどう思ってるのか曖昧になってきて

ついにクレールをホテルに呼び出してしまうのです。ヴィルジニアとして。

 

このラブシーンはインパクトありました。

肉体的には明らかに男と女ですが

つけてる下着は両方女性モノ。

 

つまりこれは男女の行為のようで、パッと見女性同士なのです。

でもダヴィットが同性愛者だとしたら相手は男性であるはずで

見た目は女性同士だけど実際は男女なわけだから

この組み合わせは良いような、ダメなような・・・んん???

 

要するに、好きになったら性別は関係ない、という

強烈なメッセージだと受け取りました。

男だとか女だとか考えるな!と。

この人が好きだと思ったらそれは人間愛だ。

同性だからダメ、異性だから良い、そういうもんじゃないでしょ、と。

 

それをベッドシーンで伝えるところがフランスっぽいですね。

アムール!ジュテーム!

艶めかしいのだけど決して厭らしくない、綺麗なシーンでした。

 

クレールの心変わりによって行為は最後まで及びません。

何がどうなってエンディングに向かうのかは

ぜひDVDでご覧になってください(^^)

 

解釈が色々できそうなエンディング

紆余曲折あって、7年後が映画のエンディングです。

大きくなったローラの娘を学校まで迎えにきたのは

クレールと、ヴィルジニア

彼は女装を続けしかも娘にもそれをオープンにしているのですね。

 

クレールのお腹はよくみると膨らんでいて

どうやら妊娠していることが分かります。

最後は3人で手をつないで帰る、というカットです。

 

さてこのクレールのお腹の子供、父親は誰なのか!

ダヴィット?それともジル???

 

ここは判断の分かれるところだと思います。

監督もわざと曖昧に描いたんじゃないかな。

 

私はジルの子供だと思います。

クレールはあのまま結婚生活を続けていて

約束通りローラの夫と子供を見守って暮らしている。

 

彼女は結婚による愛情も

結婚を介しない愛情も受け入れたんじゃないかな。

もちろん性別を超えた愛情も。

 

夫と家庭を作り上げていく、そちらも上手くやりながら

かつての親友と今の親友の家庭も見守っていくことができている。

 

ダヴィットと再婚して彼を男としても女としても受け入れた、

とも見えるのですけど

ジルと続いてると考えた方がより広い愛情を理解したように思えて

いいんじゃないかなと私は思います。

 

きっと彼女はこれから自分の子供を愛するということも知って

ますます魅力的な女性になっていくのでしょう。

 

またラストシーンのヴィルジニア

それまでと違ってパンツスタイルで登場します。

 

それまでずっとスカートなんです。

ファッションブランドのポスターに出てくるような姿。

一度なんかピンクのぴったりしたドレスで現れて

足を出したいの!と懇願する場面もありました。

 

それに比べて7年後のヴィルジニアはパンツスタイル。

最初に憧れていた如何にも女性らしいスカート姿ではありません。

 

思えば最初のファッションは男性が憧れる女性の姿で

最後の姿は本当に女性として生きている

ヴィルジニアだったんだなぁと思います。

 

クレールとヴィルジニアとローラの娘ちゃん、

それにジルが、幸せに暮らしてると良いなと思うエンディングでした。

 

 

それではまた!