いろいろあります

毎日のいろいろあること。面白い夫と元気な息子の3人暮らし

【舞台】欲望という名の電車 NY版 感想

こんにちは、やのひろです。

 

ナショナルシアターライブ2015、欲望という名の電車を見ました。

 

ロンドン・NYの名作演劇が映画館で見られるという

ありがたい企画のひとつです。

何それ素敵!という方はこちらから詳細チェックしてみてください。

面白いよ、素晴らしいよ、ありがたいよ。

 

いきなり本筋それました。欲望という名の電車です。

 

タイトルは知ってましたが舞台をみる機会はなくて

名作なのだろうしNYの舞台好きだし、観てみよう!と行きました。

 

 

つらかった!!!!(・_・` )

 

タイトルからしてハッピーエンドではなさそうだけどね・・・

思った以上にきつかったよ。。女の辛さ満載だったよ。。

 

あらすじ

ニューオリンズのうらびれた下町。

そこに不釣り合いに着飾った女性が降り立つ。

欲望という名の電車に乗って、”墓場”で乗り換えて”極楽通り”に行きたいの」

 

彼女は未亡人ブランチ・デュボア。

ここに住む妹のステラに会いに来たのだ。

 

二人は大農園の娘だった。

妹は元軍人の粗野なスタンリーと結婚し、

たびたび争いながらも幸せに暮らしていた。

姉はそんな妹の暮らしを目の当たりにし眉をひそめつつ

実はあの大農園はすでに手放したと告白する。

ステラは突然のことに驚いて詳細を訪ねるがどうも要領を得ない。

 

言動があいまいで事情は分からないもののどこか気取ったブランチ。

不思議に思いながらも姉を気遣うステラ。

お高く止まったブランチが気に食わないスタンリー。

 

3人の共同生活は長引き、スタンリーはブランチの過去を探り始める・・・

 

現実と向き合えないブランチ

ブランチはとっくに変わっている現実と全く向き合いません。

それを表すセリフがあります。

 

「現実なんか要らないわ、私が欲しいのは魔法よ!」

 

それまで嘘っぽくしかしゃべらないのに

ここで初めてキッパリとこれを言います。迫力ありです。

 

大農園は先祖たちが遊ぶために切り売りしてしまい、

仕えていた者たちも年老いて居なくなり、

男性を惹きつけた美貌も既にない。

 

そのことを全部分かったうえで、

「そんなはずないわ!!!!」と全身全霊で否定し続けてるんですね。

 

何とかしようともがいてるようで、

実は問題の根本を見ていない。

そんなブランチでしたが、共感できてしまうから辛かったです。

 

現代女性にも共通する苦しみ

これを見てて、東電OL殺人事件を思い出しました。

この事件を題材にした桐野夏生の「グロテスク」っていう本も。

社会での生き方に行き詰ったエリートOLが夜は渋谷で売春していた出来事です。

 

幸せになろうともがいて、社会に翻弄されて、壊されてしまう。

1947年初演の舞台と1997年東京の事件が重なりました。

 

いまの私の周り、知り合いにも雑誌の中にも、似た気配があります。

 

こんなはずじゃなかった

私はもっと幸せになるはずだった

もっと綺麗になりたい、綺麗なはず

今度こそ幸せをつかみたい

 

普段はオブラートに包んでるけど

こういう”魔法”を私たちも追いかけちゃうんじゃないの、

現実と魔法の間で苦しんでるんじゃないの・・・と観ていて胸が痛みました。

 

こんな苦しみの前で私たちはどうしたらいいの?

辛いのは・・・

 

そんな状況になってても

女性は現実を変えられないのか!?

 

と思ったからです。

 

持ち駒は全部使った!(ように思える)という時に

状況に流されながら何かが好転するのを”待つ”ことしかできない。

それしかできないの!?と感じて、辛かった。

 

親からの援助はない。

仕事もない、美しさもない(※)、お金もない。

でも何とかしようともがいた結果、過去の汚名はある。

 

そんな時にブランチは

着飾ったり、プライドを保つよう振る舞ったり、他人を否定したり。

 

何か、もっと他にいい方法はないのかと!

 

これが古い女性の生き方なら私としてはまだ救われたのでしょうけど

上記の通り、いまの女性にも似たようなものをビシビシ感じてしまったし。

 

それに、

自分がブランチでも素晴らしい特効薬は見つけられないと思う。

せいぜい”これが私の人生なんだな”と足掻くことを止めて受け入れる程度です。

 

もうどうしたらいいの・・・(涙)

と、ラスト30分くらいは逃げ出したい気持ちでした。

 

※若くない、美しくない、という描写がたくさん出てくるんです。

別にそのままでも問題ないと思うのですけどね・・・。

実際はともかく、年を重ねると美貌を失うという前提も

全世界・前年代共通なのか・・・と思ってがっくりしました。

 

観客を引き込む舞台演出

作品の途中にあった説明によると

これを上演した劇場は他ではできないような挑戦的な演出が特徴で

演目ごとに舞台の位置から(!)変更するほど自由度が高いのだそうです。

 

今回のステージは客席より少し高い程度。

真ん中に家の骨組みのように立てられた空間と家財道具。

それを取り囲むようにぐるりと配置された客席。

 

お客さんの真ん中にスケスケの家がある感じです。

 

だから観てる側としては

透明人間になってその家の壁に張り付いてみてるような感覚で

お芝居の中のことというより、もっとずっと自分事に感じました。

抜群の臨場感と緊張感!辛さ倍増!

 

実際に劇場でみてたらもっとすごかったんだろうなぁ・・・。

女の生きづらさにこんなにも打ちのめされたのは

この演出の素晴らしさによるものもあると思います。

 

映画も観てみました。主演はビビアン・リー

あまりに辛かったので希望を求めて映画も観てみました。

主演は「風と共に去りぬ」でスカーレットを演じたビビアン・リー

スカーレットと本作でアカデミー賞主演女優賞を受賞しています。

 

スカーレットと同じ人?と思っちゃうほどの熱演。

wikiによると女優として低く評価されることもあったそうですが

どこが?と思うような、素晴らしいお芝居でした。

 

現実を避けながら漂うように生きている様、

夢見ているのに既に手放したものを惜しむ様、

再建と崩壊の境界線でギリギリ自分を保つ様、

 

やっぱりこっちも辛かったです・・・(泣)

 

たぶん、ラストシーンが映画と舞台で異なりました。

妹の最後のセリフ「もう戻らないわ、絶対に!」が舞台にはなかった。

連れていかれるブランチを見送って終わりでした。

 

その分、映画のほうがほんの少し希望を感じました。

ブランチは上手く生きられなかったけど

妹のステラは、既存の環境に翻弄されることなく

新しい時間をたくましく生きていけるのかもしれない、と思えて。

 

舞台版でそこを削ったのは

ブランチの悲しみを前面に押し出すためだったのかな。

人生に失敗した女の悲哀が、スクリーンから溢れていました。

 

それではまた!

もしイタ2015 もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら 感想

こんにちは、やのひろです。

もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら

略して ”もしイタ” を見てきました。

 

これは高校演劇の作品タイトルです。

2012年の高校演劇全国大会で最優秀賞を受賞されました。

 

そうです、「もしドラ」のオマージュです。

もしも高校野球のマネージャーがドラッガーのマネジメントを読んだら、です。

しかも「イタコ」です。

どんなギャグ演劇かと思いませんか、タイトルだけだと。

 

作品も面白いです。ギャグ満載で笑えます。

 

 

そして

最後にボロボロと泣きます。

 

高校生の演劇と侮るなかれ。

高校演劇の名門・青森中央高校演劇部による伝説のステージ。

東京公演を見てきました。

 

あらすじ

 

舞台は青森のとある高校、弱小野球部。

やる気がない上に部員が8人しかいない状況に物足りなさを感じるマネージャーは

震災を機に青森に越してきたレオ君を勧誘して甲子園出場に燃える。

 

9人そろったのは良いものの優秀なコーチが居ない。

何とかツテをたどって現れたのは・・・コーチではなく青森のイタコだった。

 

不安を感じる部員たち。

しかしイタコはレオくんの体に伝説の投手・沢村栄治の魂をおろして練習に励む。

 

弱小野球部、甲子園出場なるか!?

そして、震災ですべてを失ったレオくんの心は癒えるのか・・・

 

「もしイタ」凄いお芝居です!!!

 

この作品を最初に見たのはNHKの深夜放送でした。

大好きな劇団の俳優さんがツイッター

「これは見るべきです」とおっしゃってるのを目にして

夜中12時ごろからの放送をみました。

 

結果、深夜に一人で大号泣。

 

話が良いし、演技も良い。

銀座あたりで1万円以上払ってみるお芝居よりずっとずっと良い。

ずっと深く胸に刺さる。そして残る。

 

 

俳優さんたちの演技力がすごい!

 

この舞台にはセットも背景も衣装もありません。

みんな黒いTシャツにジャージです。

背景もパントマイムで表現されてます。

 

これが、上手いんです。とても。

 

一人の役者さんが複数の役をやるんですね、

ある時は学校の先生、ある時はテニス部員、ある時は木。

装飾の力を借りずに体と演技だけで観客に状況を見せるんです。

 

それが、ちゃんっと見えるんですよ~~~~。

いやー、すごい。

 

またこの背景さんたちがお芝居にもたらす笑いの要素が強くて

絶妙なタイミングで鳴くカラスが主人公の虚しさを表していたり

大げさに動く時計の針がその場の緊張感を表していたり。

 

音響や小道具では決して代用できない面白さがあるんです。

人が背景までやってるからこそのコミカルさ。

 

これ見ちゃうと、

お金かかってる舞台のセットって何なのかな・・・と思ったり(^^;

演劇部のみなさんの磨き抜かれた演技力で紡がれる唯一無二の舞台です。

 

 

こういう舞台を日本の演劇界はもっと作るべき

 

ここから・・・ちょっと熱いですよ(笑)

 

私は日ごろから日本の演劇に不満があります。

いったい何を目指してるのだろう?と前から思っています。

 

日本で有名なお芝居の名前を、

何か思い浮かべる事は出来ますか?

 

あんまりお芝居を見ない方でもご存じなのはレ・ミゼラブルですかね。

演劇ファンと言われる方達が思い浮かべるのは銀座周辺の演目でしょうか。

日生劇場の近くで行われるいわゆる東宝系のお芝居。

あ、あとはライオンキングとか。劇団四季ですね。

 

あの辺りで上映されてる作品は、ほとんど輸入物です。

 

輸入作品を上演するのも、いいと思います。

ニューヨークやロンドンまで舞台を見に行くのは一苦労です。

本場の演目を日本で、しかも日本語で見られるのはありがたい事です。

 

しかしそれは、興行としての演劇が成立しているだけで

芸術としての演劇かというとまた別だと思っています。

 

芸術であるならば、新しい価値観を提起しているはずです。

”新しい”ということは、その時代と繋がった何かを持っているはずです。

 

日本でレミゼが毎年上演されるのと

ロンドンでレミゼが世界最長ロングランを続けているのは

果たして同じ意味合いなのでしょうか?

封建時代でも比較的民主的に暮らしてきた日本人と

弾圧と搾取に長い間苦しんだ歴史を持つヨーロッパの人達とで

あの作品の受け止め方は同じなのでしょうか?

 

まぁそんなウルサイことは事言わずに・・・

レミゼは毎年お客さんが入るのだから求めてる人もいるのだとしましょう。

 

では新作はどうでしょうか?

日本の演劇界は時代を反映した新作を作り

それを興行的に成功させようとしてるでしょうか。

 

時代を反映した作品が多くの人に届かないなら

それは果たしてこの国に「芸術的な演劇がある」と言えるのでしょうか?

 

演劇の本場、ニューヨークとロンドンはそんな作品ばかりです。韓国もかな?

毎年そんな新作を発表して名作が生まれていく。

 

現代を生きる人たちの心を作品を通じて表現して希望を描く。

それが演劇の役割だと私は思っています。

有名演目や今を時めく俳優でとりあえず利益を出すのは

ビジネスだけど演劇ではないのです。

 

 

お待たせしました、もしイタの話に戻ります。

 

この作品は、見事に、時代を描いています。

 

大震災があった。

何もかもを津波にさらわれた人がたくさんおられた。

人生が大きく変わった方々も。

自分だけ幸せになるなんてできないと涙を流す人がいる。

実際の被害はなくても、あの大災害のショックを多くの人が受けた。

 

そんな時代の救いを描かずに、いったい何のための演劇かと。

私は思います。

 

この時代にこそ演劇が人生の薬箱とならなくて

いったいこの国に、なんの演劇があるのかと。

 

前からずっと、日本にもRENTのような作品があればいいのにと思っていました。

苦しい時代にぶつかりながら一生懸命輝く若者たちの話。

 

日本でRENTを上演するのではなくてね。

日本を舞台に日本人が生きる話。

あぁこんな風に生きたらいいのかと心が震える話。

今日の○○役は××さんでカッコイー♪という感想とは違うベクトルで語れる話。

 

もしイタを見て、これこそが!!!と思いました。

こういうのが見たかった!!!

 

まぁ・・・一概に作り手さんが悪いとも言えないのですけどね。。

たぶん日本の観客で儲けるなら有名な演目とイケメン・アイドル俳優が必要なのです。

観客が「良い作品だから見に行こう」という目を持ってない。

そんな状況の中、製作費がかかる演劇でバクチは打てないのでしょう。

 

 

上記にこの舞台にはセットも衣装もないと書きましたが

それは被災地でも上演できるようにという配慮のためだそうです。

被災した方々のために何かしたい」という気持ちから生まれた作品のため

避難所や集会所などどこでも上演できるように、との配慮からだとか。

 

この作品を見た被災地の方々は・・・どう思うのだろう。

ラストシーンは私なんかよりずっと染み入るんじゃないかしら。

イタコはいなくても・・・

きっとみんなあのラストシーンのように笑ってくれているといいな・・・。

 

 

おわりに

 

大変暑苦しい記事をここまで読んでくれてありがとうございます(笑)

 

こんな私のテキストに心動かされて「見たい!」と思ってくださったあなた!

ありがとう!でも残念ながら見るのはかなり難しいです!(爆)

高校生のみなさんがされてる舞台ですから・・・(^^;

 

もしイタを作った畑澤聖悟先生のツイッターがありますので

そちらをチェックしてると公演情報が得られると思います。

私もこれで東京公演を知りました。

東北地方、とくに青森にお住まいの方には機会が多いかもしれません。

 

この東京公演、なんと無料だったんですね。

でもあまりに素晴らしいからクライマックスを見ながら

「無料だなんて・・・」と心苦しく思っていたら

カーテンコールの際に

「このツアーは全て費用持ち出しです。よろしければ寄付をお願いします」と

生徒さんたちから声掛けがありました。

 

もうこの一言にどれだけ救われたか(^^;

あー、この舞台にちゃんとお金が払えてよかった・・・って感じでした。

少しでしたけど、これで美味しいもの食べて、

また別の土地に行って、この感動を伝えてね、

という想いで寄付をしてきました。

 

寄付を募っていたロビーから会場の出口まで部員さんたちがずらっと並んで

大きな声で一人一人に「ありがとうございました!」と叫んでいて・・・。

 

ありがとうはこっちです。

いい舞台をありがとう。いい時間をありがとう。

みんな体に気をつけてね・・・!

 

 

それではまた!

映画「シンデレラ」 感想 色で表される世界

こんにちは、やのひろです。

2015年のディズニー映画「シンデレラ」を見ました。

 

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ストーリーはみなさんご存じのとおりなのですが・・・

一応ネタバレしてますのでご了承ください。。

 

 

私がこの映画で一番期待したのは衣装と美術でした。

ディズニーが大金をかけて作る超有名物語。

豪華でないわけがありません!

 

中でも衣装!

アカデミー賞に3度輝いた

サンディ・パウエルが手掛けているということで期待大。

あの青いドレスだけでもうっとりするほど美しいですものね・・・。

 

シンデレラと本当のお母さんは自然な植物柄のドレス

 

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対して継母と2人の姉は原色系。

でも一応、最初に家に来た時は植物柄のドレスなんですね。

溶け込むつもりがうっすらとありそう(^^;

 

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それがだんだん幾何学模様になっていく・・・

 

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このあたりに物語の変化を感じました。

 

面白かったのは各キャラクターの色です。

シンデレラはもちろん青。2人の姉はピンクと黄色。

でもシンデレラと姉たちのドレスとは溶け合わないようになってました。

3人が並ぶと姉たちのほうがキツイ色に見えるように。

 

舞踏会が行われるお城の者たちはロイヤルブルーかイエロー。

シンデレラのドレスより濃いですが上品なので非常に合いますね。

シンデレラの美しさとお城の気品がどちらも際立つ。

 

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舞踏会での王子様との組み合わせも綺麗でした。

王子の首元と手首にシンデレラと同じブルーが入ってるのがポイント。

 

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これだけ周りをカラフルにして尚且つ主役が映えるとは・・・

とにかくシンデレラのブルーが映えるように計算されてるようでした。

 

と・・・ここで不思議だったのは。

緑です。

 

青と黄色を混ぜると緑です。

比較的青に近い色なんですね。

 

最初に出会ったとき王子が着ていたのも緑です。

 

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実はもう一人重要な人物が緑を着ています。

それは・・・

 

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お義母様。

 

最初意外でした。あれっ、緑なんだ??と。

青と並んでもあんまり違和感がない。

 

おまけに上記の通り王子まで緑で出てくるので

何か他の意図があるのかな?と思ってました。

 

緑は、シンデレラと本当のお母さんが好きな

植物の色と取れなくもないです。

 

これは、シンデレラが隠していたガラスの靴を継母がひょいと持ち

「この靴の話をしてあげるわ」と語った独白に

ポイントがあるのではないかと思っています。

 

「少女は結婚して二人の娘を授かりました。

 けれども夫は不幸にも亡くなり、2番目の夫もまた・・・」

 

無表情で淡々と話していましたがあのシーンで

 

あー、彼女も・・・

何とか幸せになろうともがいてきた過去があるんだなぁ・・・。

 

と思いました。

 

生きていくために打算的にならなければならなかったけれど

きっと根っこでシンデレラと共通するもの

=未来を夢見る気持ちがあるのではないかと。

ただ継母の方はもう希望通りに行かなさ過ぎて夢を信じられないだけで。

 

だから、継母のドレスは

シンデレラとも微妙にシンクロ出来る色合いだったのかもしれません。

 

 

とにかく素敵な衣装がたっくさんでてきてうっとりしました!

 

アメリカに10年以上住んでいる友達から

「一番おしゃれなドレスは一色のシンプルなものなの。

 大人っぽい美しさが一番魅力的なのよ」

と聞いたことがあります。

 

そう考えると、まさに一番美しかったのはシンデレラの青いドレス。

どんな飾りも及ばない夢のような装いでした・・・♪

  

女性の憧れが完璧な映像で表現されている映画だったと思います。

男性は・・・どう思うのかな?(^^;

 

それではまた!

映画「ラストファイブイヤーズ」last 5 years L5Y 感想とネタバレ

こんにちは、やのひろです。

 

この作品、元はミュージカル舞台の映画化です。

舞台が本当に好きなので

映画が日本公開されるのをずっと待っていました。

 

この先はネタバレを含みます。

 

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この話の時間軸どうなってるの?と思った方への解説

 

1曲目でキャシーが別れを悲しんでるのに

2曲目でジェイミーはウキウキでベッドインしてて

この話どうなってるの???と思った方への簡単な解説です。

 

ジェイミーは出会いから別れへ、キャシーは別れから出会いへ、と時が流れています。

プロポーズのシーンを除いて二人の時間は重なっていません。

 

キャシーの時間軸を元に戻すと二人の気持ちはこんな感じです。

 

出会い

ジェ:異教徒の女神と出会えて最高!君みたいな人を待っていた!

キャ:明日また会いましょう。いつまでもあなたを待っているわ

 

ジェ:仕事も恋も絶好調!コントロール不能だけど上手くやっていくぜ!

キャ:あなたはそのままでいいのよ。私たちきっとうまくやっていけるわ

 

ジェ:クリスマス物語。キャシー勇気をもって夢に羽ばたいてごらんよ

キャ:オーディションが全然うまくいかない!毎日ウンザリよ

 

ジェ:次の10分をくれないか。それが終わったらまたつぎの10分を

キャ:永遠の時間をともにしましょう。あなたと生きていきたい

 

ジェ:結婚した途端他の女が気になる!誘惑は試練だ~!

キャ:夏のオハイオは最悪。。はやく夫の元に帰りたいわ!

 

ジェ:いい加減にしてくれ!君を信じているのに。パーティーに出るんだ!

キャ:私はあなたの世界の一部でしかない。こんなの寂しい・・・

 

ジェ:他の女性と関係を持ってしまった。でもこれは誰も知らなくていいこと

キャ:オハイオに来てくれて嬉しい。え、もう帰るの?信じられない!

 

別れ

ジェ:荷造りは終わった。僕にできることはもうないよ。さよなら

キャ:彼はもう終わったというけど私はまだ傷ついたまま

 

舞台版は休憩なしの二人芝居で

二人は舞台上に居ますがプロポーズの曲以外は相手のことを見ません。

語り掛けてるのに目の前に相手はいなくて、ずっと一人芝居のよう。

だからこThe Next Ten Mituetsでたった一度だけ時が重なるのが、

切なくて切なくて・・・。

 

映画版では背景もたくさんついたし、何より補足説明が舞台より多くて

よりストーリーを理解しやすいようになっていました。

 

ジェイミーに納得ですか?それとも・・・

 

ジェイミーは別れを決意したものの、キャシーはまだ未練がある。

このエンディングはいかがでしたでしょうか?

 

舞台をみてサントラも聞きこんでいた私はこの物語への感想が固まっています。

「ジェイミー、ずるくない?」というものに・・・。

 

実はこの物語は作家本人の離婚体験をもとに作られているそうです。

つまりジェイミーは作詞、作曲を担当したジェイソンロバートブラウン氏がモデル。

確か昔のパンフレットには、このことで別れた奥さんから訴えられたと

書かれていた記憶もあります。

 

そんなわけで、私はどうしても物語として割り切れなくて

なんだか作家本人が離婚の原因は彼女にあったと言い訳してるように

感じちゃうのです(^^;

 

そこを差し引いてもちょっとジェイミーに甘い展開に見えるので

旦那さんに一緒に映画を見てもらって、

果たして男性からみてこの物語はどうなのか訊いてみることにしました。

 

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もう彼にできる最後の優しさが、別れしかなかった・・・

 

「なんだか女性が悪く見えるように描かれてたね。珍しい。

 男はいつまでも引きずって女は割り切るのが定番かと思ってたよ」

 

というのが旦那さんの最初の感想でした。

だよねだよね。女性の方が悪く描いてあるよね??

 

そこで私はキャシー側の言い分をぶつけてみました。

 

・仕事と家庭とどちらに軸を置くのか迷う気持ちはよくわかる。

・毎日オーディションで頑張ってるのにジェイミーは励ますばかりで認めてくれない。

・浮気まで彼女の所為みたいにされてたけど、それは責任転嫁でしょ。

オハイオでの誕生日に日帰りすることない。

 せめて泣いたら寄り添うなりしてくれても。

 

それに対して旦那からのジェイミー代弁(?)はこうでした

 

・無限の時間をあげるから好きなことをしていいよとキャシーを応援したのに

 彼女は挫けてしまった

・彼女が上手くいってないことは分かってる。

 だからこそ自分が安定して稼いで支えてやらなくちゃと仕事に励んだはず。

・励ましたし支えもした。愛してるけどこれ以上自分にできることは何もない。

 一緒に居て傷つけあうくらいなら解放してあげようという彼の優しさ。

・浮気はそうだけど、愛されないと仕事できない人なんでしょ?

オハイオの誕生日はもうお手上げ。どうしていいか分からないよ、あれは。

 (そう言わないでよ。あそこで抱きしめてあげてください!←女の願望)

 

そう聞いたらなんかジェイミーの気持ちも分からないではない・・・

「それにしてもそれをミュージカルにして世の中に言いふらさなくても」と言ったら

「それはもう物語の外の話でしょ」と冷静に処理されました。そうですね。。

 

あなたはキャシーとジェイミーどちらに心を寄せたでしょうか?

 

ん~でもなぁ~・・・

もしキャシーの時間が過去から未来へ流れてたら

この話キャシーの方に説得力がでると思うんだよなぁ。。

キャシーから見た5年間はまた違っただろうし。

やっぱりキャシーが可哀想な気がするなぁ・・・(諦めが悪い^^;)

 

音楽に込められた仕掛けと作詞作曲の素晴らしさ

 

そんなラストファイブイヤーズですが、

私としては5本の指に入るくらい好きなミュージカルです。

 

理由はいくつかありますけれども、とにかく曲が良い♪

作詞作曲はジェイミーのモデルである原作者、ジェイソンロバートブラウン

悔しいけど素晴らしいメロディとリリックだと思います。

 

思わず唸ってしまうポイントはたくさんありますので一つだけご紹介します。

 

作品の一曲目Still Hurtingのイントロにピアノが流れます。

映画でも一番最初に流れる旋律です。

寂しげに、遠慮がちに、少し優しい、ゆったりとしたメロディ。

そこにチェロなど低めの音が加わってキャシーの歌が始まります。

 

このド頭のピアノイントロがこの作品の鍵で

同じ旋律が何度も形を変えて出てきます。

 

私は世界の一部でしょというA Part Of Thatのアウトロ、

プロポーズをするThe Next Ten Minutsの終盤。

 

話が進んでもこのメロディは時々顔を出すんですね。

なんだろう、どんな意味があるメロディなんだろうと思っていると

最後の曲でその謎が解けます。これはジェイミーのメロディなのでした。

 

I could never rescue you

All you ever wanted

But I could never rescue you

No matter how I tried

All I could do was love you hard

And let you go

 

僕にはもう君を助けられない。

どんなに君が求めても。

僕にはもう何もできないんだ。

どんなに僕が努めても。

もう僕にできるのは君を愛することだけ。

だから君を解放してあげるよ。

 

No matter how I tried

All I could do was love you

God, I loved you so

So we could fight

Or we could wait

Or I could go...

 

どんなに僕が努めても。

もう僕にできるのは君を愛することだけ。

あぁ、愛していたよ、本当に。

喧嘩も我慢も終わりだ。

もう行くよ・・・

 

この部分です。

 

つまりこの物語は最初からジェイミーの意思のもとにあるわけですね。

キャシーの歌でもジェイミーの存在感があるし、

ジェイミーが5年間を思い出してる話なのです。

 

こんな風に音で表現されていることがかなり多くあるミュージカルです。

シンプルなお話なので自分なりの解釈が色々できる作品だと思います。

見終わってから「この二人はこの後どうしたのかしら・・・」なんて

想像を膨らませるのも楽しいですよ(^^)

 

それではまた!

映画「はじまりのうた」 感想

こんにちは、やのひろです。

 

この作品、ずっと狙ってました。。

上映館が少なくなってきていたので、間に合ってよかったです・・・!

 

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あらすじ

NYのとある小さなライブハウス。

ミュージシャンを目指す人たちとふらりと立ち寄った観客がいる空間で

舞台の男性が話し出す。

「僕の友達が来てるんだ。彼女にも歌ってもらっていいかな」

 

絶対に嫌よ、と拒むが彼女はステージに上げられてしぶしぶ歌いだす。

彼女は有名アーティストの彼女だった。

そして彼女自身にも音楽の才能が溢れている。

ただし、つい先ほど振られたばかり。

 

誰も聞いていないかのように思われたその歌だったが

実は一人の男の心を鷲掴みにしていた。

「何て素晴らしい歌なんだ・・・俺の手で世に送り出したい!」

 

彼は音楽レーベルのプロデューサーだった。

ただし、つい先ほど解雇されたばかり。

 

一度大きく挫折してしまった二人が生み出す、新しい音楽とは。

そしてそれぞれが見つける、新しい日々とは・・・。

 

 

ネタバレを含みますので

見終わってから余韻と共にお楽しみいただけると嬉しいです(^^)

 

 

 

こんな二人の関係も・・・いい!

 

キーラ・ナトレイ演じる失恋したてのシンガーソングライターのグレタと

マーク・ラファロ演じる落ちぶれたプロデューサーのダン。

この二人の絶妙でな関係が、良い・・・!

 

グレタにはぞっこんだった恋人がいるし、ダンには別居中の奥さんがいる。

でも二人で音楽を作っていくうちに分かりあっていくんです。

 

特に、二人でお互いの音楽をシェアしながらマンハッタンを歩くシーン。

他の映画にはない、素晴らしいシーンでした。

 

自分のiphoneに入ってる曲を教え合うんです。

イヤホンをね、片方ずつお互いの耳に入れて。

この曲が好き、僕も好きだよ、これはどう?すごくいいわ、って。

 

恋人同士ではないから、デートではない。

でも音楽を分け合っている。

 

恐らくみなさんそうなのではないかと思うのですが・・・

自分の音楽リストを他人に見せるのってちょっと勇気が要りませんか?^^;

自分の内面をさらすようで恥ずかしいような。

 

お互いの音楽を見せ合うって、

キスしたり抱き合ったりするよりも、暖かくて愛おしい。

なんて素敵なラブシーンなんだろうって思いながら見てました。

 

 

ダンのセリフにありました。

「音楽で見ている景色が変わる。魔法のようだ」と。

 

ありますよね、こういうこと。

音楽が景色を変える。音楽が場面を思い出させてくれる。

きっとあの二人はあの音楽の時間を忘れないんじゃないかな。

 

ではこの二人が恋愛関係になるかというと・・・ならない。

ならないんです。これはもしや・・・?と思わせるけれども、ならない。

 

 

でもそこがいい!!!

 

 

恋愛じゃない。

仲間で、理解者で、友情も感じていて、尊敬し合ってて・・・。

こういう関係って恋愛じゃ作れません。むしろ恋愛が壊すことすらある。

あの一瞬の、お互い好きだけど・・・どうする?っていう間が好きでした。

そこで恋愛を選ばない(選べなかったのもあるけど)二人が、とても好き。

 

そんな特別な関係を築くまでが音楽と共にテンポよく描かれていて

とてもすがすがしい、気持ちのいい作品だったと思います。

 

 

音楽がいい!そして・・・マルーン5のアダム

 

映画を彩る音楽が最高です。

ミュージカル映画ではないのかもしれないけど、まるでミュージカル。

その時々の気持ちを表す歌たちがナチュラルで、すっと胸に入ってきて、

映画自体がサントラのような作品に感じられました。

 

グレタの恋人である有名ミュージシャンが、

マルーン5のアダムに似てるなぁと思ったらご本人でした(笑)

途中で気がついてビックリ^^;

 

最初は駆け出しのミュージシャンとして登場するので普通の青年っぽいんですが

だんだん有名になってオーラがでてくる。

そこで分かりました。最初の普通の青年シーンでは気づかなかった。

 

すごいなぁ、演技もできちゃうなんて。

アダムの新しい魅力を発見しました。

センスのある人というのはなんでもできちゃうのかしら~。

 

 

 

なんといっても、ニューヨーク!!

 

舞台はニューヨークです。

街のあちこちでれこーでぃんぐをします

どこを切り取っても物語がぴたっと収まる背景。

ほんとに絵になる街だなぁ・・・。

おなじみの場所がたくさん出てきてワクワクします。

 

ニューヨークを舞台にした映画はたくさんありますけれども、

この作品はその中でもトップクラスに

街の魅力が詰まっているのではないでしょうか。

自分もマンハッタンのあちこちを歩きながら

二人を追いかけてるような楽しさがありました。

 

もし他の街が舞台だったら、また印象が違ったかもしれません。

 

色んな国の、いろんな事情を抱えた人が集まっていて

それでも受け入れてくれて、新しいエネルギーをくれる街だからこそ

あの二人の物語も一層輝いていたような気がします。

 

 

あー!

良い音楽って大事!!

良い音楽を身の回りにあつめて暮らしていこうっと^^

 

それではまた!

舞台「紫式部ダイアリー」 斉藤由貴、長澤まさみ、三谷幸喜脚本 感想

舞台「紫式部ダイアリー」 斉藤由貴長澤まさみ三谷幸喜脚本

 

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こんにちは、やのひろです。 

 

この作品は、「この顔触れ、絶対面白い!」と思ってました。

特に長澤まさみさんはクレイジーハニーでの狂人じみたお芝居が好きだったので

久しぶりに舞台でのお芝居が観れる!と楽しみでした。

 

以下、ネタバレ含みますので気になる方は見終わってからご覧ください。

 

 

舞台の概要はこちらのとおり

 

キャスト・配役

清少納言斉藤由貴

紫式部長澤まさみ

 

あらすじの一部

とあるホテルのバーカウンターで清少納言が誰かを待っている。

所在なさげに。高いバースツールに座りにくそうに。

 

そこに弾けるような明るさで紫式部がやってくる。

清少納言さんと飲めるなんて、光栄ですぅ~!」

しかしそこには言葉とは裏腹な自信が見え隠れしている。

 

明日は大事な文学賞、曙賞の授賞式。

ベテラン審査員でやや落ち目のの清少納言と飛ぶ鳥を落とす勢いの新人審査員紫式部

夜のバーカウンターで女の戦いが静かに始まる・・・。

 

 

年齢、経歴、勢い・・・女って複雑です

 

いや~、、三谷さん。。

どうして女性のバトルが男性のあなたに分かっちゃったのでしょう?笑

 

年上で経歴が長いのは清少納言

時代の先駆者でみんなが尊敬しているのも彼女です。

 

でもいま勢いがあってみんなに求められてるのはあたしなのよ!by紫式部

 

という彼女の天真爛漫な自信が出ていて、見てる私までタジタジでした(^^;

あの押しの強さが嫌味にならないのは、

やっぱり長澤まさみさんの上品さなんだろうなぁ。

 

それに対して清少納言さんがかなり大人の対応をされていたのが印象的。

 

現実だったら「あははー、そうなの~、ふぅ~ん」などと適当に相槌をうっておいて

裏で「あの子ったら凄い傲慢なのよ!」なんて広めることもありそうですが

清少納言さんはいつでもぐっと堪えていて

紫式部ちゃんの失礼な態度にも怒りません。

 

 

この感じ・・・映画「アマデウス」に似ている。

 

この感じ他の作品にもあったような、、と思ったらアマデウスでした。

モーツァルトの生涯を同時期の老年作曲家サリエリから描いた名作映画。

 

あれはモーツァルトに見下されて怒り心頭のサリエリ

実は唯一、当時から彼の才能を理解していた・・・という物語で

その関係が今回の清少納言紫式部の間にもあるように思いました。

 

実力のある清少納言だからこそわかる、紫式部の実力。。

読者は作品なんか見てないと嘆く紫式部清少納言が語り掛けます。

 

「あなたは、千年先の読者に向けて物語を書く人よ」

 

このセリフをいう斉藤由貴さんが!!

もう。。。切ないんです。

悲しい目をされていて・・・。

 

これは私の想像ですが、「書く人、よ・・・」のところに

「私は違ったけどね」という悲しさが込められていた気がします。

 

現代の私からすれば

 

そんなことありません!私たち、枕草子も大好きですよ。

教科書載ってます。やっぱり春は曙、夏は宵です。分かりますよ!と

胸の中で声をかけながら見てました。

 

 

結局、紫式部日記には何て書いてあったのか?

 

ラストシーンは曖昧な形で終わっていました。

 

斉藤由貴さんのインタビューによると、実はラストにはセリフがあったのですが

斉藤さんの希望でセリフなしのリアクションだけで終わらせることになったそうです。

 

清少納言が、怒ることだったような、喜ぶことだったような・・・

どちらにも取れる反応。

 

紫式部日記というのは実際にあって、そこに清少納言のことが書かれているので

残っている文章がどういう内容なのかはすぐに分かります。

 

これが結構酷いんですよ(^^;

源氏物語を書いた人が、同じく文才のあった女性にこんなこと言う!?と思うほど。

政治的にも敵対関係だったので

その上での想いもあったのかもしれませんが。

 

だからせめてこの舞台の中だけでも、

紫式部清少納言を尊敬していると分かるようなことを

書いててほしいな。。と思いました。

 

たぶん彼女のことだから素直に褒めちぎったりはしてないだろうけど(笑)

 

「まったく、こんなこと書いて!もうっ・・・仕方ないわね」

そんな風に思うようなことだったんじゃないかなーと。思います。

 

そう思うとこの舞台は、まるで三谷さんから清少納言へのラブレターのようです。

中世にはあなたを悪く言った人もいましたけど、僕は分かっていますよ、という。

なんだか全体を暖かい気持ちが包んでるような舞台でした。

 

 

それにしてもこの二人の女優さんが・・・

 

すごい。

それぞれでもすごいのに、がっつり二人で取っ組み合った芝居。すごい。

 

まず長澤まさみちゃんは、上記の通りクレイジーハニーでの演技がもうぶっとんでて

それまでの清純派なイメージを覆され、驚きました。

映画「モテキ」公開と同じ時期に上演されてた舞台です。

モテキみて「あれっ、なんか印象変わった」と思った方、この舞台もおすすめです。

 

こういう、下手したら嫌味な女になっちゃう、でも実は寂しさを感じてる、

という女性を演じたら彼女が一番なんじゃないでしょうか。好き。

 

そして斉藤由貴さん。

私の中では「吾輩は主婦である」という

クドカンのドラマでやった夏目漱石役の印象強くて

えっ、この方可愛いのに夏目漱石が乗り移った主婦の役って・・・と驚き

なんでもできるんだな!!!とドギモ抜かれた記憶があります。

斉藤由貴さんにそんな人物をあてたクドカンもすごい)

 

くすっとさせるコメディも得意で、キュンとさせる大人の女性の悲しさも出せて。

ぐわっと目をむいたり、寂しそうに笑ったりもする。すごいなと!!!

 

ごめんね青春に出てたシスター役も好きでした。

また舞台で見たいな。

 

それではまた!

舞台「万獣こわい」 ねずみの三銃士

舞台「万獣こわい」 ねずみの三銃士

 

こんにちは、やのひろです。

この作品は、生瀬勝久さん、新田古太さん、池田成志さんの演劇ユニット

「ねずみの三銃士」第三弾。

脚本は前二作と同じく宮藤官九郎さん、演出も引き続き河原雅彦さん。

 

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舞台の概要はこちらっ

 

キャスト・配役

マスター:生瀬さん

ヨウコ:小池栄子さん

トキヨ:夏帆さん

アヤセ:新田さん

ババ:小松和重さん

常連客:池田さん

 

あらすじの一部

ハロウィンの前日。開店を明日に控えたカフェに一人の女の子が逃げ込んでくる。

「鍵を閉めて!ヤマザキがくる!」

マスターと後妻のヨウコが事情を聴くと、

なんと彼女は7年間も監禁されていたという。

しかも彼女の家族と一緒に虐待されていて、彼女以外は全員殺されたと。

 

これをきっかけに解決したかに見えた連続監禁殺人事件だったが

実は新たな事件の始まりであった・・・。(あらずじの全貌は一番下に書きます)

 

前作と同じく怖い!そしてまさに”胸くそ悪い”!

 

古田さんがインタビューで

「感じの悪い舞台です。胸くそ悪いって言われました」

とおっしゃってましたが、ホントです。

胸くそ悪いってこういう事かぁ笑

 

今までの獣シリーズも決していい気持のエンディングではありませんでしたが

これが一番身近にある恐怖だと感じたので気分の悪さはこっちの勝ち。

こういうことってあるな!社会って最悪だな!と思わせてくれました^^;

 

舞台は時代を映すものだし、芸術は問題を提起するものだと思ってます。

このお芝居は時代も問題意識も感じさせてくれる素晴らしいものでした。

 

 身の回りにある”洗脳”

 

「真実などない。あるのは解釈だけだ」というニーチェの言葉があります。

「人間は環境の生き物である」という言葉もありますね。

人が物事をどう見るのかは環境の影響を大きく受けている・・・

と感じた時、この言葉を思い出します。

 

このお芝居を見ている間中、私は前の職場のことを思い出していました。

 

こんなのおかしいと思っても物が言えなくなる雰囲気。

間違ったことでも実行しなければならない圧力。

しまいには考えることを放棄して言われるままに作業を進める。

そんな光景が会社の中にごろごろありました。

 

いまはそこを離れてるのでこうして客観的に思い出せますが

ある集団に居ればそこの「空気」にとらわれて言動が変わるなんて

よくあることではないでしょうか。

 

それが極度に高濃度になったのがこのお芝居でした。

 

実は実際の事件を元にしている・・・?

 

モデルにしてるかどうかわかりませんが、

似たような事件は実際あったようです。

こんな残虐な事件が実際あったなんて、信じられない・・・

 

普通に考えたら数年間も家族もろとも他人の言いなりになるなんて考えられません。

でもきっと、その環境ではその判断が自然で他に道はなかったのでしょう。

 

そう思うと、

世の中は環境が引き越すことであふれているようで、怖い・・・。

 

言い換えれば全ては「キャラ」と「空気」で起こることだということ。

自分がいつそのキャラになるか、どこにそんなキャラがいるか、誰にも分かりません。

 

恐怖につながる「空気」は、案外すぐそこにあるのかも・・・。

 

 

ここからネタバレ含みます。

 

なぜトキヨの言いなりになったのかということについて、

マスターは「体裁を保つためだよ」とすがすがしいほど正直に分析します。

洗脳暴行をする集団での位置をキープしつつ、世間体も保つ。

気持ち悪いほど「人間」だと思いました。

 

対して妻のヨウコは事件を何とか世間に暴こうとするし冷静な判断力を持ち続けた。

しかし最後にはトキヨの罠にかかって死刑判決を受けてしまいます。

酷い世間ですね。正しいように見えるのに世間は認めてくれないのです。

 

正しいことをしても認められないのが世間なのか?

醜いほど世間体を保たないと迎えられないのが社会なのか?

社会性を捨ててまで迎合しなければならない社会に価値があるのか?

 

考えさせられてしまいました。

ヨウコが面会室でみせる渾身のタコ踊りが痛々しくて、忘れられません。

 

 

ネタバレを含む物語の全容

 

これは舞台なので映画と違って簡単に結末を知ることができません。

内容が知りたいけどどうしても観れない!

という方のために簡単に結末を書いておきます。

 

 

 

ハロウィンの前日。開店を明日に控えたカフェに一人の女の子が逃げ込んでくる。

「鍵を閉めて!ヤマザキがくる!」

マスターと後妻のヨウコが事情を聴くと、

なんと彼女は7年間も監禁されていたという。

しかも彼女の家族と一緒に虐待されていて、彼女以外は全員殺されたと。

この脱走をきっかけに連続監禁殺人事件は解決。ヤマザキは死刑が確定する。

 

数年後、カフェはちっとも流行らず怪しい常連客がくるばかり。

マスターは前妻と娘に支払う養育費で苦しみ、

前妻の弟で警察官のババから借金をする始末。

ヨウコとの間には子供ができずにプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。

 

そこに連続監禁事件の被害者、トキヨがやってくる。

いまはアヤセという養父に引き取られて幸せに暮らしているという。

恩返しにお店を手伝いたいという申し出を、二人は困惑しながら引き受ける。

 

ところが次第に店におかしなことが起き始める。店の金がたりないのだ。

ヨウコはトキヨが来たころからおかしいと疑うが夫は取り合わない。

そこにアヤセがやってくる。一見温厚だが些細なことで切れるアヤセ。

二人がおびえているところにトキヨが帰ってきて養父のアヤセに詰め寄る

「誰が来ていいっていったよ、ジジイ!」トキヨの本性が現れた瞬間だった。

 

ここからカフェで奇妙な集団監禁暴行が始まる。

 

トキヨのいう「ミーティング」で集団の順位が決められ

最下位は電気ショックを受ける。

これはまさにトキヨがあの監禁事件でされていたのと同じことだった。

恐怖に怯えながらトキヨが怖くて誰も行動に出られないメンバーたち。

ついに義理の弟ババが電気ショックで命を落とす。

慌てふためくメンバーだが、トキヨの指示に従って死体の処理を手伝ってしまう。

 

こうしてメンバーは全員共犯者となってしまい、

トキヨは一切手を下すことなく集団を死に追いやっていくのである。

 

何とか解決しようとするヨウコの努力の甲斐あって事件は明るみにでる。

自分も告訴されたヨウコは裁判で

「どんな罪でも控訴しません。夫にも罪を償ってほしい」と証言する。

 

そこにマスター側の証人としてやってくるトキヨ。ヨウコはおののく。

トキヨは全てヨウコの企んだことだと証言するが、

ヨウコは虐待の影響が濃く対抗できない。

結局ヨウコだけが収監され(おそらく死刑判決)、

夫は外で暮らし続ける(執行猶予?)

 

二人が経営していたカフェは売りに出されることになった。

新しいオーナーカップルが開店を明日に控えて準備をしていると

少女が駆け込んでくる。

「鍵を閉めて!ヤマザキがくる!」

 

閉幕

 

それではまた!