やのひろです

気になるあれこれ

映画「きっと、星のせいじゃない」 感想

こんにちは、やのひろです。

きっと、星のせいじゃない」という映画を見てきました。

”この10年で最高のラブストーリー”として話題の作品ですね。

 

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癌によって酸素ボンベが常に必要な少女、ヘイゼルが主人公。

病気にラブストーリー・・・これは涙無くして見れないこと確実です。

ただ予告を見て、何やら爽やかな印象も受けたので

これは普通の悲恋物語とは違うかも、と感じていました。

 

結果は、その通り。

そして予想以上に泣きました。もうダダ泣き。

映画を見てこんなに泣いたことはありません。

ワンシーンぐっとくるどころじゃない、ずっと琴線に触れるのでずっと泣いてました。

 

これより、予告にも出ていない物語の重要なターニングポイントに触れているので

まだ見てないかたはご覧になった後に読んでいただく方がいいと思います。

本当に素敵なお話です。ぜひ体験した後の余韻としてお楽しみください(^^)

 

 

 

 

 

 

 

13歳で発症していらいずっと治療を続けているヘイゼル。

彼女の前に現れたのは骨肉腫を患いながらも1年半再発していない少年、ガスでした。

 

この段階で二人の関係は「遠くないうちに死んでしまうかもしれない彼女」と

「障害は残ってるけれど今のところ健康な彼」です。

ところが物語後半、この関係が逆転します。

実は彼のほうが重大な危機にあるのです。

 

ここで、これまでガスがヘイゼルにしてくれたことが一気によぎりました。

 

ヘイゼルがICUに入っているのをずっと待っていた時も

「私は爆弾だから」と言って距離を置いた時も

リムジンでヘイゼルを迎えに来た時も、

レストランで美しい告白をした時も、

 

実はガスも平気なんかじゃなかった。

 

怖くてヘイゼルにすがりたいと思った瞬間もあったかもしれない。

同情を誘って彼女の気を引くことも出来たかもしれない。

 

"自分より重い病の"彼女のためにしたのではなく、

ただただ彼女自身のために、そして彼女と幸せな時をすごすために

彼は一番いいことを一番いい姿勢でやっていただけだったのか・・・と分かったシーンでした。。

 

病気を理由に人と関わることを控えるヘイゼルに対して、

彼は彼女の病気も自分の病気も恋心の障害にならなかったわけです。

 

 

この映画を見ている間、私は自分の人生を重ねる瞬間が何度がありました。

私には、お蔭様で今のところ、重大な病気がないにも関わらず

なぜか二人に物語と自分の人生がオーバーラップしたのです。

 

私もいつか何かしらで死にます。原因がまだ見当たらないだけで。

そしていつか必ず大事な人たちを何人か見送るでしょう。

その点については映画の中の彼らと何も変わりません。

タイムリミットの存在が彼らより薄いだけです。

 

それなのに、自分の時間に彼らほどの愛情があるかというと・・・。

 

そんなことを考えながら見ていたら、二人の想い合いがますます尊くて。

言葉にできる感情で処理しきれず、涙になってあふれてました。

 

 

彼はなぜ彼女にそこまでできたのか。

押しつけがましくなく、献身すぎでもなく、ポジティブに。

彼もきっと「自分は爆弾でいつかヘイゼルを悲しませる」と思ったはずなのに

それでも心からの愛情を表現できたのはなぜか。

 

それは彼の最後の手紙に込められていました。

 

彼女を愛してる。

そう、彼女を愛していて、しかも幸せなんだ。

僕たちは傷つけられるかどうかは選べない。

でも誰に傷つけられるかは選ぶことができる(※)

僕は君を選んで良かった。

彼女もそう思ってくれてるといいな。

 

 

彼らの人生は短かったけれどとても濃かった。

私の人生は彼らに比べると長いけれど、密度でいうと・・・どうでしょう。

 

限られた時間の中で、誰をどう愛するか。

映画の二人のように大切に生きていきたいと思いました。

 

(※)このセリフは途中ヘイゼルが

「私は爆弾なの。いつか爆発して周りを破滅させる。だからこれ以上進めない」

といったときに「君に傷つけられるなら本望だ」と答えたシーンが影響してます。

言葉は「誰に傷つけられるか」ですが

意味は「誰を愛するか」ということと思われます。

 

 

 

ここからは私の映画解釈

 

映画の中でいくつか気になったことがあったので私なりの解釈です。

同じく疑問に感じた方のお役に立つことを願って、残します。

 

 

◇原題と邦題の意味が逆じゃないの?

 

原題は"The Fault in Our Stars"

元はシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」に出てくる有名なセリフ

The fault, dear Brutus, is not in our stars, But in ourselves, that we are underlings.

(ブルータス、何かあってもそれは運命ではなく自分たち自身の責任だ)

からきてるそうなので

直訳すると「私たちの星(運命)の所為」ということになり、

「きっと、星のせいじゃない」という邦題と真逆の意味になります。

 

観ている間、「何でこんな素敵な二人が病気なんかに?」と思ったので

その視点からいくと「それは二人の星のせい」(=二人には責任がない)

と考えるとしっくりきます。

 

それではいったいどうして??とあれこれ考えて。

いまはこう思っています。

 

病気になったのは運命によるものだったのかもしれない。

でもそんな中で、お互いを選び、心から愛して、満たされた思い出を作ったのは

紛れもなく二人の選択によるもの。

それは、運命や星の巡りの影響じゃない。

二人が勇気とやさしさで、選び取ったもの。

 

つまり、「星のせいじゃない」。

 

最後にでてきたガスの手紙からもこの逆転は読み取れて

「傷つけられるかどうかは選べない」はつまり

病気になるかどうかは選べないことを指してるのではないかと思います。

傷つけられるかは原題のとおり「The Fault in Our Stars」(星の巡りによる)。

でも誰に傷つけられるかは選べるので「星のせいじゃない」。

 

 

邦題についてる「きっと、」も気になっていました。原題にはない要素ですよね。

原題のままだとこの二人の物語にタイトルを付けただけですが

「きっと」が付くと「そう考えた人が居る」気配を感じませんか。

 

「私はこの運命の物語を味わいました。でもきっと、星のせいじゃないと思います。

 なぜなら二人は自分の力で素晴らしい時間を過ごしたのだから」

 

そんな日本担当の方のの声が聞こえるような邦題だと、私は思っています。

 

 

◇ヘイゼルはなぜ物語の結末を気にしているの?

 

物語の重要な鍵を握る架空の物語「大いなる痛み」。

ストーリーがあまり説明されないので二人が結末を気にしてるのは分かっても

それが映画の中でどんな意味を持つのかは分かりませんでした。

 

映画にちりばめられた要素をまとめると、

あれは同じく病気で(白血病?)亡くなった娘とその母の物語。

そしてヘイゼルが気にしてるのはお母さんのその後。

 

つまりヘイゼルは、

自分が亡くなったあとお母さんはどうなるだろう?と気にしてるのですね。

小説の結末に自分の不安を重ねていた彼女ですが

終盤、お母さんは社会福祉士になることを目指してるのを知って解決します。

物語ではなく現実から希望を見出す展開にまた涙が出ました。

 

ちなみに、サポートグループに行っているヘイゼルを待っているお母さんは

「待ってる間にいろいろやることがあるのよ」と言ってました。

この時もお母さんは車の中で勉強していたのだと思います。

あのセリフが引っかかってたので、これだったのかぁと繋がってジ~ンとしました。

 

 

◇なぜ小説は未完なのか

 

ヘイゼルはあの小説をガスに説明するときこう言ってました。

「死を完璧に理解しているの。死んだことがあるわけじゃないのに」

でも実際は少し違いました。

確かに彼は死んだことがありませんが、

娘さんを小説と同じ病で亡くしていたのです。

 

ヘイゼルが気にしていたのが「娘が亡くなったあとの世界のこと」なので

本来なら彼にはそれが書けたはずです。まさに自分のことですから。

それでも彼が小説にそれを書かず未完のように終わらせたのはなぜなのか。

 

恐らく彼にとってあの小説は、あくまでも亡くなったお嬢さんのもので

彼女が死んでしまった後のことは、彼女にとって関係ない、だから書かない、

というスタンスだったのではないでしょうか。

 

ガスのお葬式にやってきた彼はヘイゼルに

「祈りの言葉なんか意味はない。祈るフリだけしていろ」と言っていました。

彼女もそれをぼんやり聞き、また弔辞のときに

「嘘ばかり言ってる。でも仕方ない。お葬式は生きてる人の為だから」

と言っています。

誰かが亡くなった後のことは、すべて残った人の為だと二人は理解してるのです。

 

その逆であの小説は残った人の為ではなく、

亡くなったお嬢さんのために書かれたもの。

だから死後のことは何も書かれていないのだと思います。

お嬢さんの物語は、彼女が亡くなったところで、おしまいなのです。

 

自分が死んでも残った人に幸せであって欲しいと思うヘイゼルと

大事な人を失ってその後に何も残らなかった作家の姿が重なるのが

あの本なのでしょう。

そういう意味では「アムステルダムまで自分の姿を見に来なさい」というのが

「あの小説の結末を知りたい」という二人への答えだったのかもしれません。

こうなってるよ、この姿があの話の続きだよ、って。

 

◇作家はほんとうに嫌な人なのか?

 

上記からも分かる通り、私は作家はただの嫌味な人物ではなかったと思っています。

 

分かりにくいけれど彼はちゃんと二人の質問に答えようとしていました。

アムステルダムまで呼んだことがそもそも答えだったと思うし、

アキレスと亀の話も回答は質問に追いつかないことを表していたし、

(作家自身はまだ生きてるので残った人がどうなるかという答えはまだ出てない)

意味不明なロックも「言葉に意味はなく、感情に意味がある」ことを伝えていました。

 

それではあのひどい罵倒は?

 

「脳に移転したのか?君たちは欠陥品だ。病気だから優しくされるとでも?

 大人の払う補償金で生かされてるだけだ。」

 

とても病気で娘さんを亡くした人も言葉とは思えません。

私はこれを、ヘイゼルの「病気のことは分かってる」というセリフと

作家の「アメリカ人に会いたくないからアメリカを出たんだ」から推測しました。

 

恐らく作家の言ったことは大病を患っている方にとって真実なのでしょう。

ガスが体調を崩したとき「自分で解決したかったんだ」としきりに言っていたように

普通の人なら簡単にできるようなことができないというストレスは

ご病気の方にとって重くのしかかっているのだと思います。

時には欠陥品だと感じるほどに。

時には同情と優しさの区別も難しくなるのかもしれません。

 

ここからは完全に想像ですが・・・

作家はお嬢さんに対して似たようなことを

アメリカ人に言われたのではないでしょうか。

床に散らばっていた手紙の中にそういう言葉があったのかもしれません。

 

「そんなことは分かってる。でも娘は普通に生きたかったんだ。それが悪いのか。」

その苛立ちがこじれて酒に溺れてしまい、

あの暴言になったのでは・・・と思っています。

 

ガスがヘイゼルへの弔辞の手直しをあの作家に依頼したのも

そうした病気の痛みを理解している人だと思ったからではないかと想像しています。

 

あの作家も二人と出会ったことで小さな一歩が踏み出せていたらいいなと、

まさしくあの秘書の方と同じように、思います。

 

それではまた!