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舞台 エビータ来日公演 感想(2018年シアタオーブ)

こんにちは、やのひろです。

今日は東急シアターオーブで見てきたエビータ来日公演の感想をまとめます。

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エビータはもともと劇団四季で見てました。10年くらい前かな。
作品とお芝居のテンションにギャップがあるように感じて
これはいつか英語で見ないと本当には分からないなと思ってました。

かつての記憶だけでは頼りなかったので映画版も見て大体の歌詞を翻訳して準備しました。
これでお芝居とダンスに集中!

 

若さと勢いで突っ切る大人気ミュージカル

言わずと知れたミュージカル界の巨匠、アンドリュー・ロイド・ウェーバー (ALW)の初期作品。
いろいろエピソードがありますがWikiみればだいたい分かるので割愛します。

RENTの歌詞でギャグに使われちゃうほど人気だった (※)エビータの魅力は
なんといっても勢いだろう!と私は思います。

まずALWの曲が、変!(褒めてます)

同じくALWの初期作品、ジーザス・クライスト・スーパースターと並ぶ変さ。
なんというか…ミュージカルっぽくなく他の作曲家とも全く違い、
要するにとてもALWっぽい。でもキャッチ-なんですよね。
よくそんな拍や音階作ったなぁと感嘆します。

私としてはオペラ座の怪人くらい流れの見える曲が好きなので
この時期の奇想天外な曲たちは落ち着かないけど、とても刺激的です。

 

そしてストーリーが複雑。
最初に見た時も映画を見た時も混乱しました。
結局エビータは何者なのか提示されない、特にここが難しかったです。

ということで今回の観劇に向けてこの2点をポイントにしました。

・チェは何者か。なぜ執拗にエビータに絡むのか。
・エビータは自分の欲を満たしたいのか、国に貢献したいのか

(※ RENTの中のギャグ)
エンジェルが歌うToday 4 Uに「アキタ!エビータ!(=秋田犬のエビータ)」という歌詞があって
これは当時セレブに人気だった秋田犬と、同じく当時NYで人気だった英国ミュージカルのエビータをかけてあって
金持ちの買う犬、しかも名前はエビータ。鼻持ちならないな!という意味だそうです(笑)
これ何で読んだんだったかなぁ。パンフレットかな。出典元なくてすみません。

 

エビータは悪女か、聖女か

実際のエビータがどんな人物か、アルゼンチンがどんな国なのか知りませんので
あくまでも作品の中のエビータ像だけで解釈しました。
根拠は後にして先に私の結論を並べますね。

 

エビータは自分の力で人生を切り開いたパワフルな人。
人によって悪女や聖女に見えるだけで、その正体は大変に実直な一人の女性。

 

あれだけコロコロ変わっておいて実直ってどこが、と思われるかもしれません。
私も舞台を見るまでは「この人どっちなん?」と思ってました。
でも舞台をみて「あぁ、この人の中ではどっちも繋がってるんだな」と思ったのです。

私がとらえたエビータ像を紹介します。
こんな解釈、こんなエビータはどうですか?

 

出自がコンプレックス、労働者と一体化することで自己承認したかった

余裕しゃくしゃくのエビータが最初に感情をあらわにするのは中流階級の話ですね。
あんな人たち!父の葬儀で私を邪魔者扱いした!と。
この子供のころの原体験が彼女を動かしていたのだろうと推測しました。

自分は良い生まれではない。父の親族にまで疎まれた。
社会的に拒否されている、そんなのは嫌だ。

いわゆる承認欲求が強い状態です。
そこに彼女の持つエネルギーが加わり人生を突き進んでいきます。

 

15歳で都会に出てきて、何とかキッカケを掴もうと男をとっかえひっかえしてたころは
「自分の人生を何とかしたい」という想いが強かったかもしれません。
後にDon't Cry for Me Argentinaの中でもこう言っています。( 私の意訳です)

 

I had to let it happen, I had to change
Couldn't stay all my life down at heel
Looking out of the window, staying out of the sun
So I chose freedom, running around trying everything new
(起こすしかなかった、変わるしかなかったの。
 運命に従うなんてできなかった。
 窓の外をみて、太陽の光を待ってるだけだなんて。
 だから自由を選んだわ。どんどん試していったの。)

でもこの歌の続きはこうなんですね。

But nothing impressed me at all
(でも全てむなしかったわ)

そう、途中でむなしいことに気づくんです。どこか?
ラジオで国民の代表として演説するようになるころです。
ここで初めてエビータは”皆さん”に語り掛ける力を知ります。

 

心理学にナルシシズムというものがあります。
壊れそうな自分を守るための心の防衛機能の一つです。

ナルシシストは自己愛備給、すなわち注目されることを求める。
それによって傷つきやすい自尊心を制御するのである。

 社会からの拒絶感を強く持ったエビータは人から愛されることで自分を守ろうとした、
さらには、自分も属する労働者階級が社会の中で尊重されることで
自分は社会的に価値のある存在だと認めさせたくなった、という事ではないでしょうか。
自分を邪魔者扱いした中流を見返すだけなんて手緩い、
軍部も上流階級も、ヨーロッパにも認めさせてみせる。
わたしは、私を含むアルゼンチンの労働者階級は、価値があるのだ!と。

 

話が大きいので想像しにくいかもしれませんが身の回りにもよくある話です。
会社のために!とか言いながら新人をネチネチいたぶって偉そうにしてる人とかいませんか。
あれは自分に自信がないから組織の役に立ってるフリして実は承認欲求をみたしてるだけです。
特に日本人は集団と一体化することで満足を感じる人が多いらしく、この本に詳しいです。

 

話がややそれましたが。
そんなわけで彼女にとって「自分が愛されたい」と「労働者階級を救いたい」はイコールなんじゃないかと思うんです。
労働者を満たすことで自分も満たされる。

そう思うと、あの名曲、再びDon't Cry for Me Argentinaからの流れも納得できる。

But all you have to do is look at me to know
That every word is true
(でも私の姿を見れば分かるはずです。すべて真実だと)

彼女の中の真実として、アルゼンチンの労働者を見捨てたことなどないのです。
自分を見捨てたことがないのと同じように。

で、舌の根の乾かぬ内にこのセリフ。

Just listen to that! The voice of Argentina!
We are adored! We are loved!
(聞いたでしょ!アルゼンチンの声!私たちは崇められてる、愛されてるの!)

えっ、あの感動の歌はウソじゃんか…と思いがちですが違います。
もともと愛されるために国民を救いたいと願ってる人なのです。
労働者の価値を高めたい、国民の役に立ちたい、そしてあなた達が満たされれば
私に価値があることを実感できる(ような気がする)!ということです。

チェは何者か、エビータは誰に愛されたかったのか

さて、ちょっと視点を変えてチェです。

彼はずっと出てきてはエビータに批判的なことを言います。
しかしどの階級にも属していない。あえて言えば労働者なのでしょうが
場面に合わせていろいろな立場になってでてくる。いつも一人。

これを「だってチェは狂言回しだから」と言えば簡単ですが
私はこう解釈しました。
チェは、エビータの中の理性なのではないか。

 

二人は同じ場面にいてもほとんど対話をしません。
どこかパラレルな関係にあるようです。
その中で1か所だけ二人が向き合って関わるシーンがありますね。
A Waltz for Eva and Cheです。もうタイトルからして。

この中でエビータがチェに語り掛けるこの部分が印象的でした。

Just what you expect me to do(略)
If I said I'd take on
The world's greatest problems
From war to pollution?
No hope of solution
Even if I lived for one hundred years
(私にどうしてほしいのよ
 国際問題や戦争にかかわってもしょうがないじゃない
 何の解決策もないわ。たとえ100年生きたって!)

 

上流階級や軍部から彼女の立場への批判は作品のあちこちにでてきます。
成り上がりめとか、ビッチのくせにとか。
でもここで初めて労働者階級っぽいチェと彼女の行動についてやりあうんですね。
自分の事をしてるだけじゃないか、それの何が悪いのよ、と。

先ほど私が書いたように、エビータは自己愛のために活動してるとして、
時が経つにつれ自分でも気づいてきたのではないかと思うんです。
これは、私が愛に飢えてるからやっているのではないかと。
決して社会のためだけにやっているのではないと。

そしてYou Must Love Meです。
この曲は映画を経て追加されたそうで初演時にはなかったそうですが
今回も追加されていたことで必要なナンバーだったとして解釈します。

Youって誰なんでしょうね。
ペロンともとれるし、民衆ともとれるし。お父さんかもしれない。
でも私は、きっとエビータ自身なんじゃないかと思いました。
承認欲求は、結局のところ自分でしか満たせないからです。

もしペロンが愛情深い人だったら、エビータが出会ったたくさんの人の中に
心から彼女を愛してくれる人がいたら、また違ったのかもしれません。
またはもっと早く、この穴は自分で埋めたほうがいいと気づいていたら。

しかしその機会はなく
彼女の心はどんどん大きな愛を求めるようになりついに満たせなくなってしまった。
国民を救うことは、自分を愛することにはつながらなかった。
自分が自分を愛すればいいことに気づいてしまった。
そんな切ないシーンなんじゃないかなと思いました。

ミストレスとは違う、自分の力で生きた女性

途中でペロンの愛人であるミストレスちゃんが出てきますね。
エビータが「学校にお帰り!」と追い出し「これからどうしたら?」と泣く彼女。

エビータも一歩間違えば彼女のようになっていたと思うんです。
実際、映画ではあのナンバーをエビータも最初のほうで歌います。

でも彼女はこんな人でした。High Flying Adoredから。

Filled a gap, I was lucky
But one thing I'll say for me
Noone else can fill it like I can
(たまたま幸運をつかんだだけ。
 でも一つだけ言わせてちょうだい。
 私だからそれができたのよ)

確かにそうです。ミストレスにはできなかった。
愛されたいという原始的な欲求を、あの困難な状況で叶えようとした
素晴らしい女傑だったと私は思います。
たいていの人は愛されたくてもあそこまでできないよねぇ。

じゃぁなんであんなにも批判的なのか!?

同じように人生を切り開くミュージカルのヒロインと言えば
私はWICKEDのエルファバを思い出します。あとはFROZENのエルサ。

二人とも両親から愛されず自分に自信がないまま育ちますが
実は特別な力があることに気づいてから自らの道を歩みだします。
今はそういう女性が称賛される時代です。

もしエビータがこの時代に作られたら。
ぜーんぜん違う見え方のお話になったんじゃないの?とも思います。
誰かそんな新解釈エビータを作ってくれたら、喜んで見に行くなぁ~。