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映画 君の名は。 感想

こんにちは、やのひろです。新海誠監督の新作「君の名は。」もうずっと前から楽しみにしていました。大好きなんです、新海監督^^ 公開直後に見に行ったもののあまりの衝撃にしばらく考えがまとまらなくて、もう一回見てから考えようと思い寝かせていました。いや~、、ほんとにすごい映画です。。ネタバレしながら感想をつづります。

 

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また長いので今回見出しをつけようかな。。気になるとこから読んでください^^; 1:東日本大震災の時、東京にいた人のこと 2:あの時出会うはずだった人を失ったのかも 3:2回見たら考えが一周した 4:新海監督の他作品と比べて 5:なぜ「君の名は。」がヒットしたのか

 

 

東日本大震災の時、東京にいた人のこと

2011.3.11、私は東京にいました。ものすごく、今まで経験したことないくらい揺れたけど、でも建物は全然壊れなかったしみんな無事だったし、驚いて怖がっただけでした。まだ夕方だったしどうせ電車も動いてないということで定時まで仕事して(東北の支社に連絡とったり)新橋まで歩いて優しい居酒屋さんに入れてもらって夜を明かしました。

 

大きな津波が来たことも、原発が大変なことになってることも、全然知らなかった。

 

映画の中で瀧君はあの彗星をみて「美しいな」と思っていました。そして糸守の地名を聞いても最後まで分からずにいます。災害と瀧君との間にある距離感。あの距離感が、あの時同じく東京にいた私にはとても切なく、しかし現実的に感じられました。

 

ニュースで流れる楽観的な観測や美しかった街をまとめた写真集、被害の背景を報じる週刊誌など、覚えのあるものがたくさん出てきました。あぁこれ見たことあるな・・・というパーツの連続。大変に揺れたけど震源ではなく何も失わなかった私の震災は、まさしく瀧君が見せてくれたものと同じなのでした。

 

あの時、出会うはずだった人を失ったのかも

もし私が瀧君と同じようにあの時のあの場所に行けるとしたら。やっぱり「逃げて」と大声で叫びたい。あそこまで計画的に動けるかはわからないけど。「ここに津波がくるの、みんな死んじゃうの、信じて!」と伝えたい。

 

そう考えたら、私はあの時なにも失くさなかったと思っているけれども、もしかしたら、5年後のいま仲良しになっていたかもしれない誰かを失くしたのかもしれないな・・・とも思いました。あの時助かっていたら何かの縁で繋がって一緒にご飯を食べていたかもしれない「誰か」。君は誰だったんだろう、名前はなんだったんだろう。「死者行方不明者1万8千人」ではなくて。名前は。

 

エンドロールまで見終わってぼんやりしながら席を立ったら、前にいたカップルの女性が「秒速のハッピーエンド版だね」と言ってました。そう、同じく新海監督の「秒速5センチメートル」のエンディングもあんな感じで、しかも最後は会えないんです。彼女のように新海監督ファンの中には「最後に出会えるんだ!」と思った方もいたかもしれません。私もぎりぎりまで「監督のことだし、もしや会えないのでは」とハラハラしました。

 

でも私には、最後二人は出会えるからこそ切なく感じました。私はもう絶対に「出会えたかもしれない誰か」には会えないからね。。物語が美しく収まった満足感と、自分の中に芽生えた喪失感とがぐちゃぐちゃになって、映画館から出た後はベンチでしばらく考え込んでいました。

 

でも2回目みて考えが一周した

そうなんです、2回見たら考えが180度反転しました。こんなに語っといてなんだよ、って感じですけど。

 

逆に、もしかしたら今は「何かの災害から救われた世界」だと考えたらどうだろうかと!

 

いま自分が生きてること、出会えた人と時間を過ごしてること。別に何の不思議もないことだけど、もしかしたら瀧君と三葉ちゃんのような誰かが時をかけてくれたお蔭で存在してるとしたら。・・・めちゃくちゃありがたい!!!ものすごくありがたいよ!!

 

あの震災で、みんな少しずつ自分の中の何かが変わったと思います。東北の方の中には生活が全部変わったという方もいらっしゃるでしょうし、私のように東京近郊にいた人にも価値観が変わった人がいるでしょうし。知り合いの関西の方からは「あの時揺れを感じてない」ことを気にしてボランティアをしてるというお話を聞きました。

 

私の場合は。とおりとても揺れたけど何も失ってない、あの震災から学んで備えてるつもりだけど大丈夫かなんてわからない、見捨てるつもりなんかもちろんないけど、常に心を寄せることも難しい。そんな半端さで。いや、普通なのかもしれないけど自分では半端だなぁと思って。たまにニュースで流れる「震災から5年半経ちました」というような情報にハッとする、そんな感じです。

 

あの震災で何かが変わった。でも半端な感じがする。5年以上経ってなんとなく落ち着いてしまった。そんなときにこの映画です。震災を思い出したし、亡くなった人に想いを馳せたし、今ある奇跡を感じました。すごい。射貫かれたような衝撃でした。

 

ツラツラ書いてきたこの言葉が、震災から5年経って私が思う「東日本大震災」なんだと思います。これを背負っていくしかない。この上に立ってやってこう。そう感じた作品でした。あなたはどんな風に感じましたか?

 

新海監督の他作品と比べて

ここで終われば美しいけど・・・もうちょっと!

 

新海監督の他作品はDVDで見てました。あとこの機にリバイバル上映していた目黒シネマに滑り込みセーフして3本連続スクリーンで見てきました。やったー!「雲の向こう~」「秒速~」「言の葉の庭」です。そこで感じたこと、色々あるけど食べ物と女性キャラのことを。

 

食べ物。食べ物は大事です。ジブリでも一緒にご飯を食べるシーンがあって2人の親密さを演出します。同じもの食べて命を作る行為、大事!新海監督の作品で食べ物が印象的に出てくるのは言の葉の庭のお弁当やオムライス。それまでも出てくるんだけどさらっとなんですよね。今回はお互いの体に入ってものを食べるわけで運命共同体っぽさはぐぐっとアップしてましたね。キーポイントになるのも飲み物だし。食べ物の扱いがすごく好きでした!

 

女性キャラ。三葉ちゃんは今までで一番立体的な女性キャラだったなと思いました。どんな家族か、どんな生き方をしてるのか、何を背負ってるのか、どんなことを思ってるのか。初期作品の女性キャラはあんまりその辺が描かれなくて「他の人とはちょっと違う、僕には魅力的に見える、訳あって僕の前から消える」って感じで。これもミステリアスで面白いのですが、私は今回のような、背景が濃くあった上で展開される話が好きでした。

 

君の名は。」はなぜヒットしたのか!

 

色んな人が分析してますね。それぞれに「なるほどね」と思わせるところがありますが。私はこれだと思います。

 

時代を描いているから。

 

これはシン・ゴジラも一緒です。震災から5年という今を取り入れつつ未来への提示をしている。こういう日本オリジナル作品をメジャーな場所で見たいとずっとずっと思っていました。

 

海外の場合は演劇で、こういう時代性のある物語を見ることができます。ブロードウェイミュージカルの多くは差別やジェンダーなどの社会問題をベースにしていますし、ウェストエンド(ロンドン)のお芝居も歴史や政治経済や社会問題を取り入れた物語が描かれます。対して日本のメジャーな演劇は輸入ものか2.5次元です。社会から遠い。下北沢などの小劇場では時代を感じるようなお芝居もありますがメジャーではありません。

 

別に演劇で社会問題扱わなくてもいいじゃんか、と思われるかもしれませんね。それも否定しません。ただ私は海外の演劇が羨ましいとずっと思ってました。演劇をみることで自分の中にあるモヤモヤとした違和感が明示されて、そこから考えたり何かを見つけたりできる。この経験をぜひ日本社会でもしたい、日本の演劇がんばれ!と。

 

今回この作品をみて、あー日本は演劇ではなくアニメで昇華される文化なのかもしれないなと思いました。リアルな状況の演劇で受け止めるのではなく、ファンタジー設定のある絵(アニメ)から受け止めるタイプなのかな、と。シン・ゴジラもその類だと思うので特撮にもできるのかもしれません。とにかく舞台では表現できないほどの虚構。

 

時代を描いた作品は社会にとって必要だと私は思います。薬ですから。そして社会は常にどこか不健康なので薬は姿を変えながらあってくれないと困るんです。君の名はがヒットしたのはまさに今必要とされる薬であったから。そういうことではないかと考えています。