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やのひろです

気になるあれこれ

映画 帰ってきたヒトラー 感想

映画を見ました

こんにちは、やのひろです。
今日は「帰ってきたヒトラー」を見てきましたので
ネタバレありの感想書きます。

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半分はドキュメンタリー

なんとこの映画。

実際にヒトラーに扮した俳優さんがドイツ各地を回ったそうです。

 

デヴィッド・ヴェンド(監督)が最も興味深いヴィジョンを持っていた。
彼はヒトラーを街頭に送り出し、フィクションにドキュメンタリーを融合させようとしたのだ。
「現代にヒトラーが現れたらどうなるのか?
この疑問に対する答えを得るには、この手法しかなかった。
何かを主張するには、リアリティが大切だと思ったんだ」とヴェンド監督は説明する。(公式サイトより引用)

 

確かに途中ヒトラーが街の人達と触れ合うシーンがたくさん出てきて

それがあまりにナマっぽいやりとりなので

「これはリアル?それともお芝居?」と思っていたのですが。

いや~、まさかほんとにやっていたとは。

 

だって、思っていたよりドイツのみなさんはヒトラーに友好的なんですもの。

 

私てっきり、今でもドイツでナチス式の敬礼なんてしたら

みんなが眉をひそめて下手したら警察がでてくるほどのタブーなのかと思ってたのに

待ちゆく人はヒトラーを見てわいわい寄ってきて自撮りを楽しんだりするんですね。

 

ドイツ・・・思ったよりお茶目だな・・・。

 

もちろん嫌悪感を示す人もいるんですけどね。大部分は楽しんでた。

そのことが良いのか悪いのかよく分からなくて

ドキュメンタリー部分は複雑な気持ちでみていました。 

 

もしかしてそう見えるように友好的な人だけ使ったのかな?とも思いましたが

公式サイトにこう↓書かれていたので、おそらく事実に近いんだと思います。

 

ムーラー(制作担当)は「驚くことに、多くの人々が偽のヒトラーを歓迎し、彼と一緒に自撮りをしたがった。
民主主義に毒づき、誰かがもう一度ドイツで思い切った手段を
取ってくれることを望んでいた人たちもいた」と語る。

 

プロパガンダの目線から考えてみる

ナチスと言えばプロパガンダ。

この映画でもメディアがたくさん登場します。

テレビはもちろん、インターネットも。

ネットの存在が二次大戦中とは大きく違うところですよね。

 

ナチスは計画的にラジオや映画を使うことで国民を陽動したわけですが

この映画ではヒトラーはメディアをどう使うか全然計画しません。

テレビやネットが勝手に騒ぎ始めるんです。

 

ヒトラーのそっくりさんは視聴率いい!と判断したテレビ局が彼の登場回数をどんどん増やしたり、

twitterに「ヒトラーと写真撮っちゃった~」という投稿が溢れたり、

youtubeで「彼は何者なんだ?」という話題が増えたり。

 

どの媒体も自発的にヒトラーを扱っていくんですね。

 

この流れがまたとってもリアルで、苦笑いでした。

まぁそうなるよね、、と思うものの、彼は本物のヒトラーなのに大丈夫?って。

 

 メディアリテラシーの目線から考えてみる

分かりやすいのでyoutubeを例にしましょう。

 

一人のyoutuberがいたとします。

その人は再生回数を多くして広告収入を増やしたかった。

その為には多くの人が見たくなるような話題を提供しなければなりません。

ということはこう考えるはずですよね。

「みんなが見たがる内容の動画を作ろう」って。

 

映画の中でヒトラーを扱うyoutubeがたくさん出て来たということは

多くのyoutuberが「ヒトラーの動画を作れば再生回数が伸びる」と思ったからで

たくさんの人がヒトラーのことを知りたがっているだろうと判断したということです。

 

ここがメディアの怖いところだと私は思います。

 

「え?いまヒトラーが流行ってるの?」というライトな人から

「復活したヒトラー好き好き!もっと知りたい!」というヘビーな人まで、

ヒトラーが出てるチャンネルに合わせた、yoiutubeを再生した、ツイートをRTした、

その行動で「この情報に興味があります」という意思表示になり

メディア側に「調子がいい!次もこの話題でいこう!」と思わせる。

 

ひょっとしたらそれらを見ながら「まったく、こんな話題で騒いで・・・」と思ってる人もいるかもしれませんが

そこはメディア側に伝わらなくて、むしろ支持層として数字がカウントされちゃう。

 

これ、何かいい方法ないのかなと私は普段から思ってます。

その情報要らないよっていう意思表示をするには今のところ「見ない」しかないんだけど

見ないだけじゃ積極的に意思表示することにならないのよねん・・・

まぁ今はその話は置いといて。

 

映画の中でもそうでした。

各メディアがヒトラーをどんどん取り上げる、それは見たいと思ってる人がいるから、という構図。

怖かったです・・・。

民衆が知らず知らずのうちにヒトラーを支持していました。

 

もしこれが本当で、ドイツがまたナチスに傾倒していって、後世にこのことが検証されたら、

一体何がナチス拡大の原因になったとされるんだろう?

映画を見る限りでは「人々がそれを望んだ」という風にしか見えませんでした。

 

日本だとどうだろう?

日本はドイツと同じ敗戦国ですから、日本だとどうだろう?と考えながら見てました。

 

まずヒトラーのように「この人があの戦争の元凶だ」という人物がいるか?

 

歴史の授業ではそこまでズバリな人物名を習わなかったし

映画「日本の一番長い日」を見ても特定の個人は居なかったように感じました。

 

その「日本の~」ではポツダム宣言を受諾するにあたっての混乱が描かれていて

その様子が実に日本っぽくて見ながら苦しくなりました。

 

みんなもうこの戦争はダメだと分かってるのに止められないんです。

みんなで始めたことだから、誰かのブレーキでは止まれないように見えました。

逆にヒトラーのように「こいつだ!」っていうのが一人でもいたら

その人の死や宣言で終われたかもしれないけど、日本には居なかったんだなと。

 

これは・・・良いんだか悪いんだか(^^;

 

ドイツのように「ヒトラーはダメだ。あれだけは絶対にいけない」と言える存在が

もしかして日本にはないんじゃないのか。

私たちはあの大戦の何を反省したらいいかホントに分かってるのか。

もしまた日本にあの大戦と同じ空気が流れたとき、何で察知したらいいのか。

 

この映画で復活したヒトラーが鳴らす警鐘が

もしかして日本にはないんじゃないの・・・?

 

なーんて。

映画が進めば進むほど、考えれば考えるほど分からなくなって

ひたすら「怖い!!!」でいっぱいになった映画でした。ガクブル。