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【舞台】フランケンシュタイン ロイヤルナショナルシアターライブ2015 感想 ベネティクト・カンバーバッチ&ジョニー・リー・ミラー

こんにちは、やのひろです。

 

ナショナルシアターライブ2015

ベネティクト・カンバーバッチとジョニー・リー・ミラー

フランケンシュタインを見てきました。

カンバーバッチas博士バージョン。

演出はロンドンオリンピックの開会式を担当したダニー・ボイルです。

 

ネタバレを含む感想ですのでご注意ください。

 

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シンプルなホラー物語かと思いきや

フランケンシュタインって・・・あの古くて怖い話のあれ」

と思いながら映画館に向かいましたが、これは私の勘違い。

もっと深い、哲学的なお話でした。

 

始まる前に流れる演出家や俳優達のインタビュー映像でも

「創造主と創造物の関係」を中心にした

普遍的な物語と紹介されていました。

人間とは何か、命とは何か、愛とは何か・・・

緊張感のあるお芝居を通して

観ている人の胸にビシビシ問いかけているような舞台でした。

 

あらすじ

一人の怪物がこの世に生まれた。

体は大きく立派だが顔は醜く、脳は成熟しているのに使い方を知らない。

この怪物を生み出したフランケンシュタイン博士は

恐ろしさのあまり彼を追い出す。

行き場を失った怪物はあちこちを彷徨い、優しい老人の家にたどり着く。

ここで急速に知性を身に着けた彼は、やがて「孤独」を知る。

 

なぜ自分は一人なのか。

なぜみんなに嫌われるのか。

誰かと愛し合うことはできないのか。

 

彼は博士の元に戻り怯える彼に頼み事をする。

「女性の怪物を作ってくれ。彼女と愛し合いたい。

 そうしたらもう二度とあなたの前には現れない」

 

博士はこの頼みを受け入れる。

しかしそれは二人が悲しい未来に向けて歩き出した瞬間であった・・・

 

単なるホラーじゃない・・・!

このあらすじだけで

フランケンシュタインへの印象が変わったのではないでしょうか。

私がまず驚いたのは”フランケンシュタイン”は博士の名前であることです!

え、怪物の方じゃなかったの、と(^^;

 

それに怪物は乱暴者でも愚鈍でもありませんでした。

「善悪はわきまえている」と自ら言う場面も何度かありましたし

幸せになりたいと願っていて、悲しみを感じている。

博士の行為に「俺ですら吐き気がする」と呟く場面も。

 

博士と怪物。

どちらが悪でどちらが善なのか。

人間らしいと呼べるのはどちらなのか。

 

人間とは、何なのか。

 

とても考えさせられる作品でした。

 

人間とは何か

シンプルに見れば、怪人を作ったのは博士ですから

創造主は博士で創造物は怪人です。

 

これを神と人の関係に置き換えると、

命を生み出した創造主・神にあたるのは博士。

博士は人の能力を超えて例外的な命を作り出してしまった。

神になろうとしてしまった、と取れます。 

 

では創造物はというと、怪人にあたります。

私たち人間と同じ創造物であるのは怪人の方で、

本当は創造物・人間である博士は

人間ではない別の何かになろうとしてしまった異物、

とも取れるパラドックス

ここがこの作品の面白いところでした。

 

本来は人間であるはずの博士は別の何かに、

異物であるはずの怪人は人間のようになってくる。

 

それでも、博士には家族がいて彼を愛してくれる人もいる。

ちょっと変わり者だけど社会の一員として居場所があります。

対して怪人には理解者はほぼ居ないし、社会的に見れば異物です。

 

医学と称して命を作ろうとし心を失っていく博士と

愛を求めて暴力的な行為を繰り返していく怪人。

 

いったい何が「人間」に必要なものなのか

どんどん分からなくなって胸が苦しくなりました。

 

名優二人の息詰まるお芝居

印象に残っているのは博士と怪人が取引を成立させるシーンです

 

成立の証として握手を求め手を差し出す博士。

「こうやって手を握って取引を成立させるんだ」

初めての行為に戸惑いながら応じる怪人。

差し出された手を握るだけでなく、自分の方にぐっと寄せます。

はずみで怪人の方に一歩踏み込んでしまう博士。

その時の博士の、はっとした表情。

怪人の切実なセリフ。「よろしく頼む」

 

博士としては自分が事の主導権を握っているつもりだったのでしょう。

そしてまた女性を作るという新しい実験に興奮もしていた。

 

しかしここで怪人に引き寄せられ、信頼されてしまったことで

引き返せない道に入ってしまった恐怖を感じたのではないでしょうか。

まさに point of no return です。

 

またラストシーンも印象的でした。

紆余曲折の後にすべてを失った二人は、北極に行きつきます。

体力が尽き果てる博士を見て怪人は悲しそうに言う。

 

「死んでしまうのか?俺も死ねるのか?

 博士、死なないでくれ。冷たくして悪かった」

 

息を吹き返した博士は息も絶え絶えに言う

「お前は俺が殺す。先に行け、俺が追うんだ」

 

それを聞いた怪人は嬉しそうに光の中へ消えていき、

博士も重い足取りでそれを追う・・・。

 

いやー、こうくるとは!!

予想外でした。美しかった。

怪人が殺されて終わるのかなと思ってました。

 

二人はお互いの生きる目的と希望になったわけです。

「お前を始末する」「お前に追われる」という形の執着として。

それはもしかしたら怪人が求め、また博士が理解しきれなかった

他人への愛情に近いものだったのかもしれません。

 

最初の神と人の関係に話をもどすなら

神と人は、こんな少し風変わりな愛情で

結ばれているものなのかもしれません。

 

ここはキリスト教圏ではない日本人には分かりにくいのかも。

イギリスの方々にはもっと理解できている気がします。残念です。

 

ダニー・ボイルの演出が美しい!!

ダニー・ボイルといえば映画監督、そしてオリンピックの演出ですが

意外にも舞台演出も多く手掛けているようでした。

日本語wikiにはなかったけど

英語wikiにはそのあたりの説明もありました。

 

シンプルなのにとても斬新で、美しい舞台でした。

こんな舞台観たことないな・・・と。

 

例えば、怪人が生まれてくる丸い装置。

粘膜のようで、血が通っているようで、暖かそうで。

恐らく子宮をイメージしていたのではないかと思います。

 

また途中、雨が降って草が茂る場面もありました。

 

本当に水が降るんです!光で水滴を映すんじゃなくて。

舞台が本当に濡れました。あれにはビックリ。

 

草も、多分本当の草です。怪人が食べてましたから。

怪人が、初めて触れる自然に驚きながら喜んでるのが伝わりました。

 

円形舞台にレールが敷かれたシンプルな装置かと思いきや

後半になると下からセットがせり上がってきます。

え、下にそんな大きなセットが格納されてたの!とまたびっくり。

普通なら横から背景を出してきそうなサイズなのに。

 

またそのセットがいいんです。

シンプルで均整のとれた部屋なんだけど、不自然に傾いていて。

博士のゆがんだ日常、崩れていくバランスを感じました。

 

さすが、演劇の国は違うなーと。感嘆しました。

この美術。完璧な演出。そしてそれを活かしきる俳優。

 

こんな上質なお芝居が見に行ける範囲で上演されてるなんて

ほんとに羨ましい。いやもう、ほんとに本当に羨ましいです。

素晴らしかった。

 

 カンバーバッチとミラーは役を交代する

私が見たのはカンバーバッチが博士のバージョンでしたが

彼が怪人を演じたバージョンもありました。

つまり二人は公演によって役を交換していたわけです。

これも面白いですね。

 

作品を見てその試みにも納得しました。

上記の通り博士と怪人は表裏一体のような関係に行きつくので

両方を演じることでお互いへの理解が深まったのではないでしょうか。

また両バージョンをみた観客にとっては

「人間とは何か」というテーマがますます浮き彫りになったのだと思います。

 

私も両方見ようかちょっと迷ったのですが

きっとカンバーバッチの怪人はまた違った印象のはずで

そうすると今回観たお芝居の印象が薄れてしまう気がしてやめました。

 

数年後また機会があったら

今度は別のバージョンを見てみたいです。

その時改めて「人間とは何か」向き合ってみたいと思います。

 

それではまた!