いろいろあります

毎日のいろいろあること。面白い夫と元気な息子の3人暮らし

コーラスラインの来日公演みてきました(2018)

コーラスラインの来日公演を見てきました。

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いつか絶対英語でみたいと思っていた作品の一つでしたので、ようやく夢がかないました。

日本語だと分かりやすいけど···ダサくてつらい

コーラスラインを最初に見たのは劇団四季でした。タイトルはなんとなく知ってたし、名作なのだろうから見てみようと。しかしこれがタイトルのように辛かった…。

こんなことわといてフォローしたいのですが決して劇団四季が悪いと言っているわけではありません。ブロードウェイと同じ演出 の作品を日本語で安定して見られるのはとてもありがたいです。今後息子ともぜひ見に行きたいと思ってます。

四季はダサいというのではなく、そもそも外国産のミュージカルを日本語でやることには限界がある、という話です。そしてこの作品は、わたし基準では、限界を超えていたというだけです。(仮にあなたは日本のコーラスラインが好きだとしても、それを否定するものではありません)

欧米人の持つ気質と日本人のもつ気質が違います。社会的な背景も大人としての悩み方も。普遍的なものはありますけども、課題の身近さがちがうんですね。例えば私がコーラスラインを四季で見た10年前は日本ではLGBTなんて聞きませんでした。でもこの話にポールという自分の性的思考に悩む若者が出てくるということは、かの国ではすでに社会的な話題だったのでしょう。そういう違いがあるのに作品だけをさっと輸入することに無理があるなと感じるわけです。

なかでも辛かったのは「Dance10 looks3」です。その「Tits and ass」が日本語になると「ボインとプリン」なんですね。まぁ…そうなんだけどさ、っていう。

ブロードウェイのように客席が感情を出さない、曲の終わりまではスーッと静かな空間で、ボインとプリンを繰り返し聞くのはのは何だかいたたまれほせんでした。NYなら爆笑なのかもしれないけどねー。

そんなわけで、冒頭に戻りまして、いつか英語で、この作品が持つ文化的な背景もひっくるめてもう一度みたい、と思ってました。

今回一番気になったのはシーラ

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最初に見た時は「ボインとプリン」の衝撃にやられて終わり、映画版ではキャシーの生きざまに心を寄せ、ドキュメンタリーではポール役のジェイソン・タムに惹かれたのですが今回はシーラでした。自分でも意外。なんだろう、私自身が経験を重ねたからかな?

シーラはみんなが必死で勝ち残ってるオーディションてもどこか肩の力が抜けていて、途中で踊るのをやめたりします。こんなオーディションどうでもいいのよとでも言いたげな態度を取りながら、バレエだけが希望だったと美しく歌いもする。

本当にシーラが望んでいるのは何だったのだろう?と気になりました。本心としてはバックダンサーでもステージに立ちたい、でもこの年になってそんな端役にがっついてるなんてカッコ悪い。そんなプライドがあったのかな?

 

もし本気を出せば役をつかめたかもしれないけど、そこまではやらない、というのが彼女のポリシーかもしれません。その強さと弱さのバランスに、なんだかとても惹かれました。

コーラスラインをもっと楽しみたい!という方にお勧めCD & DVD

最後に、コーラスライン見てみたい!、又は、久々に見たくなっちゃった~という方に、関連商品をご案内します。

まずは最初に触れた日本語版のサウンドトラック。四季の大御所さんばかり登場していて、キャスティングとしてはかなり豪華です。

そして、舞台を映画化したもの。これは舞台とすこし展開が違って、キャシーとザックの恋愛事情が中心に据えられています。なんと主演はマイケルダグラス。

その映画版のサウンドトラック。私のお気に入りはNothingです。コミカルで、少し物悲しくて。ディアナは映画版が一番好きだな~。

最後にはブロードウェイで16年ぶりにリバイバルされることが決まった時のオーディションを収めたドキュメンタリー映画。日本人の高良さんがコニーの役で挑戦しているところも見どころです。She really needs this job!彼女は役を勝ち取ることができるのか!?

舞台 エビータ来日公演 感想(2018年シアタオーブ)

こんにちは、やのひろです。

今日は東急シアターオーブで見てきたエビータ来日公演の感想をまとめます。

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エビータはもともと劇団四季で見てました。10年くらい前かな。
作品とお芝居のテンションにギャップがあるように感じて
これはいつか英語で見ないと本当には分からないなと思ってました。

かつての記憶だけでは頼りなかったので映画版も見て大体の歌詞を翻訳して準備しました。
これでお芝居とダンスに集中!

 

若さと勢いで突っ切る大人気ミュージカル

言わずと知れたミュージカル界の巨匠、アンドリュー・ロイド・ウェーバー (ALW)の初期作品。
いろいろエピソードがありますがWikiみればだいたい分かるので割愛します。

RENTの歌詞でギャグに使われちゃうほど人気だった (※)エビータの魅力は
なんといっても勢いだろう!と私は思います。

まずALWの曲が、変!(褒めてます)

同じくALWの初期作品、ジーザス・クライスト・スーパースターと並ぶ変さ。
なんというか…ミュージカルっぽくなく他の作曲家とも全く違い、
要するにとてもALWっぽい。でもキャッチ-なんですよね。
よくそんな拍や音階作ったなぁと感嘆します。

私としてはオペラ座の怪人くらい流れの見える曲が好きなので
この時期の奇想天外な曲たちは落ち着かないけど、とても刺激的です。

 

そしてストーリーが複雑。
最初に見た時も映画を見た時も混乱しました。
結局エビータは何者なのか提示されない、特にここが難しかったです。

ということで今回の観劇に向けてこの2点をポイントにしました。

・チェは何者か。なぜ執拗にエビータに絡むのか。
・エビータは自分の欲を満たしたいのか、国に貢献したいのか

(※ RENTの中のギャグ)
エンジェルが歌うToday 4 Uに「アキタ!エビータ!(=秋田犬のエビータ)」という歌詞があって
これは当時セレブに人気だった秋田犬と、同じく当時NYで人気だった英国ミュージカルのエビータをかけてあって
金持ちの買う犬、しかも名前はエビータ。鼻持ちならないな!という意味だそうです(笑)
これ何で読んだんだったかなぁ。パンフレットかな。出典元なくてすみません。

 

エビータは悪女か、聖女か

実際のエビータがどんな人物か、アルゼンチンがどんな国なのか知りませんので
あくまでも作品の中のエビータ像だけで解釈しました。
根拠は後にして先に私の結論を並べますね。

 

エビータは自分の力で人生を切り開いたパワフルな人。
人によって悪女や聖女に見えるだけで、その正体は大変に実直な一人の女性。

 

あれだけコロコロ変わっておいて実直ってどこが、と思われるかもしれません。
私も舞台を見るまでは「この人どっちなん?」と思ってました。
でも舞台をみて「あぁ、この人の中ではどっちも繋がってるんだな」と思ったのです。

私がとらえたエビータ像を紹介します。
こんな解釈、こんなエビータはどうですか?

 

出自がコンプレックス、労働者と一体化することで自己承認したかった

余裕しゃくしゃくのエビータが最初に感情をあらわにするのは中流階級の話ですね。
あんな人たち!父の葬儀で私を邪魔者扱いした!と。
この子供のころの原体験が彼女を動かしていたのだろうと推測しました。

自分は良い生まれではない。父の親族にまで疎まれた。
社会的に拒否されている、そんなのは嫌だ。

いわゆる承認欲求が強い状態です。
そこに彼女の持つエネルギーが加わり人生を突き進んでいきます。

 

15歳で都会に出てきて、何とかキッカケを掴もうと男をとっかえひっかえしてたころは
「自分の人生を何とかしたい」という想いが強かったかもしれません。
後にDon't Cry for Me Argentinaの中でもこう言っています。( 私の意訳です)

 

I had to let it happen, I had to change
Couldn't stay all my life down at heel
Looking out of the window, staying out of the sun
So I chose freedom, running around trying everything new
(起こすしかなかった、変わるしかなかったの。
 運命に従うなんてできなかった。
 窓の外をみて、太陽の光を待ってるだけだなんて。
 だから自由を選んだわ。どんどん試していったの。)

でもこの歌の続きはこうなんですね。

But nothing impressed me at all
(でも全てむなしかったわ)

そう、途中でむなしいことに気づくんです。どこか?
ラジオで国民の代表として演説するようになるころです。
ここで初めてエビータは”皆さん”に語り掛ける力を知ります。

 

心理学にナルシシズムというものがあります。
壊れそうな自分を守るための心の防衛機能の一つです。

ナルシシストは自己愛備給、すなわち注目されることを求める。
それによって傷つきやすい自尊心を制御するのである。

 社会からの拒絶感を強く持ったエビータは人から愛されることで自分を守ろうとした、
さらには、自分も属する労働者階級が社会の中で尊重されることで
自分は社会的に価値のある存在だと認めさせたくなった、という事ではないでしょうか。
自分を邪魔者扱いした中流を見返すだけなんて手緩い、
軍部も上流階級も、ヨーロッパにも認めさせてみせる。
わたしは、私を含むアルゼンチンの労働者階級は、価値があるのだ!と。

 

話が大きいので想像しにくいかもしれませんが身の回りにもよくある話です。
会社のために!とか言いながら新人をネチネチいたぶって偉そうにしてる人とかいませんか。
あれは自分に自信がないから組織の役に立ってるフリして実は承認欲求をみたしてるだけです。
特に日本人は集団と一体化することで満足を感じる人が多いらしく、この本に詳しいです。

 

話がややそれましたが。
そんなわけで彼女にとって「自分が愛されたい」と「労働者階級を救いたい」はイコールなんじゃないかと思うんです。
労働者を満たすことで自分も満たされる。

そう思うと、あの名曲、再びDon't Cry for Me Argentinaからの流れも納得できる。

But all you have to do is look at me to know
That every word is true
(でも私の姿を見れば分かるはずです。すべて真実だと)

彼女の中の真実として、アルゼンチンの労働者を見捨てたことなどないのです。
自分を見捨てたことがないのと同じように。

で、舌の根の乾かぬ内にこのセリフ。

Just listen to that! The voice of Argentina!
We are adored! We are loved!
(聞いたでしょ!アルゼンチンの声!私たちは崇められてる、愛されてるの!)

えっ、あの感動の歌はウソじゃんか…と思いがちですが違います。
もともと愛されるために国民を救いたいと願ってる人なのです。
労働者の価値を高めたい、国民の役に立ちたい、そしてあなた達が満たされれば
私に価値があることを実感できる(ような気がする)!ということです。

チェは何者か、エビータは誰に愛されたかったのか

さて、ちょっと視点を変えてチェです。

彼はずっと出てきてはエビータに批判的なことを言います。
しかしどの階級にも属していない。あえて言えば労働者なのでしょうが
場面に合わせていろいろな立場になってでてくる。いつも一人。

これを「だってチェは狂言回しだから」と言えば簡単ですが
私はこう解釈しました。
チェは、エビータの中の理性なのではないか。

 

二人は同じ場面にいてもほとんど対話をしません。
どこかパラレルな関係にあるようです。
その中で1か所だけ二人が向き合って関わるシーンがありますね。
A Waltz for Eva and Cheです。もうタイトルからして。

この中でエビータがチェに語り掛けるこの部分が印象的でした。

Just what you expect me to do(略)
If I said I'd take on
The world's greatest problems
From war to pollution?
No hope of solution
Even if I lived for one hundred years
(私にどうしてほしいのよ
 国際問題や戦争にかかわってもしょうがないじゃない
 何の解決策もないわ。たとえ100年生きたって!)

 

上流階級や軍部から彼女の立場への批判は作品のあちこちにでてきます。
成り上がりめとか、ビッチのくせにとか。
でもここで初めて労働者階級っぽいチェと彼女の行動についてやりあうんですね。
自分の事をしてるだけじゃないか、それの何が悪いのよ、と。

先ほど私が書いたように、エビータは自己愛のために活動してるとして、
時が経つにつれ自分でも気づいてきたのではないかと思うんです。
これは、私が愛に飢えてるからやっているのではないかと。
決して社会のためだけにやっているのではないと。

そしてYou Must Love Meです。
この曲は映画を経て追加されたそうで初演時にはなかったそうですが
今回も追加されていたことで必要なナンバーだったとして解釈します。

Youって誰なんでしょうね。
ペロンともとれるし、民衆ともとれるし。お父さんかもしれない。
でも私は、きっとエビータ自身なんじゃないかと思いました。
承認欲求は、結局のところ自分でしか満たせないからです。

もしペロンが愛情深い人だったら、エビータが出会ったたくさんの人の中に
心から彼女を愛してくれる人がいたら、また違ったのかもしれません。
またはもっと早く、この穴は自分で埋めたほうがいいと気づいていたら。

しかしその機会はなく
彼女の心はどんどん大きな愛を求めるようになりついに満たせなくなってしまった。
国民を救うことは、自分を愛することにはつながらなかった。
自分が自分を愛すればいいことに気づいてしまった。
そんな切ないシーンなんじゃないかなと思いました。

ミストレスとは違う、自分の力で生きた女性

途中でペロンの愛人であるミストレスちゃんが出てきますね。
エビータが「学校にお帰り!」と追い出し「これからどうしたら?」と泣く彼女。

エビータも一歩間違えば彼女のようになっていたと思うんです。
実際、映画ではあのナンバーをエビータも最初のほうで歌います。

でも彼女はこんな人でした。High Flying Adoredから。

Filled a gap, I was lucky
But one thing I'll say for me
Noone else can fill it like I can
(たまたま幸運をつかんだだけ。
 でも一つだけ言わせてちょうだい。
 私だからそれができたのよ)

確かにそうです。ミストレスにはできなかった。
愛されたいという原始的な欲求を、あの困難な状況で叶えようとした
素晴らしい女傑だったと私は思います。
たいていの人は愛されたくてもあそこまでできないよねぇ。

じゃぁなんであんなにも批判的なのか!?

同じように人生を切り開くミュージカルのヒロインと言えば
私はWICKEDのエルファバを思い出します。あとはFROZENのエルサ。

二人とも両親から愛されず自分に自信がないまま育ちますが
実は特別な力があることに気づいてから自らの道を歩みだします。
今はそういう女性が称賛される時代です。

もしエビータがこの時代に作られたら。
ぜーんぜん違う見え方のお話になったんじゃないの?とも思います。
誰かそんな新解釈エビータを作ってくれたら、喜んで見に行くなぁ~。

舞台 ファンホーム 日本版感想

銀座で上演されていたファンホームを観てきました。

 

ファンホームと言えば!
私にとってはトニー賞授賞式でのパフォーマンスです。

何度見てもすばらしいー!!!
”彼女”を見つけたときの怪訝な顔、共感、とまどい、喜び。
少女アリソンが彼女に人生にとって大切なピースを見つけた、
雷に打たれたような衝撃を感じることができます。
見てると私までドキドキしちゃう。

 

日本版ですンばらしかったのは・・・

お父さん役の吉原光夫さん!

 

最後にお父さんの独白ソロナンバーがあるのですが、

なんという迫力・・・。気迫。。

 

こんな簡潔な言葉ですみません。
実はこの歌の間ずっとこう考えてたんです。
「この人…夢から醒めた夢でヤクザさん役やってた人だよね!?」

 

この俳優さんが吉原さんかどうかは分かりませんが、役はこれです。

 

なんでや!
なんでこんな素敵な俳優さんがヤクザさんやったんや!
いやヤクザさんも夢醒めも好きだったけれども。
他にもいろいろあるやろがー!
(ガストンもされてたんですね。それ見てたら違った印象だったのかな)

 

という自分の中のギャップと、舞台上の吉原さんのパワーに圧倒され
頭も心もまっさらにしてすンばらしい歌を浴びてました。
凄い時間をありがとうございました・・・。

 

あと「この人は一体!?」と思ったのは
若い男性役だった山口耕平さん。
お芝居もダンスも上手い!!初めて拝見しましたが、好きだ!
お父さんと密室で過ごすシーンは緊張感と色っぽさで最高。

複雑な物語だったので日本語で見れてよかったのですが
できれば海外の方が演じるものを英語でみたい。
やっぱり現地の空気がないとこういうのは理解しきれないから。
いつかそんな機会に恵まれるといいな。。

映画 はじめてのおもてなし 感想

こんにちは、やのひろです。

時間をやりくりして久々に映画を観てきました!

難民映画祭の時から気になっていた「はじめてのおもてなし

以下、結末に触れながら感想綴ります。

 

とても面白かったけど・・・ちょっと違和感のある話でした。
たぶん日本で同じことをしたらこうはならないだろうなと。

 

ハートマン一家にはいろいろと問題があって
人助けをしているようで実は自分たちが助けられてるんですよね。

 

繰り返し言われたのは「ドイツではそういうことになってる」ということ。
同性愛がOKだとか、妻は夫の所有物ではないとか。
そうなんだろうけど・・・なんか話してる姿勢に
「君の国は遅れていて私たちのドイツは進んでいる」というのがあるように感じて
ちらちらと納得できない感が顔をのぞかせながら見ていました。

 

難民を受け入れるってそういうことなのかな。
日本にはそういう状況があまりに身近にないのでわからないけど。
私たちの国に違う文化の人を入れる、となるとそういう姿勢になるのかしら。

 

もし私の家でディアロを迎え入れることになるなら
まずは彼の話をよく聞きたいなと思います。
どんな国なのか、どんな文化なのか。辛い思い出は無理して話さなくていいけど。
そのうえで彼が喜びそうなことは何なのか考えておもてなししそうだなと。
日本食が好きなのか分からないのに日本食を用意してドウゾ!とは言いません。

 

ドイツ文化も難民問題もわからない傍観者の感想かもしれませんが
ハートマン一家の姿勢と、それでいて助けられていく展開を
不思議な気持ちでみていました。

 

ただ、コメディとしてとーーーっても面白かったので
難民問題がすぐそこにある社会を知る第一歩としては見て良かったです!
そして久々に映画をみて笑うという体験が気持ちよかった!

 

私が気に入ったのはお兄さんが空港で騒動を起こすシーン。
必死であればあるほどピンチに足を突っ込んでしまうお兄さん!あぁぁ!笑
大勢の職員に抱えられて駄々っ子のように運ばれていく姿が忘れられません^^;

 

お父さんとお兄さんはドイツ人男性の象徴なのかな。
どちらも仕事一徹で家族との関りが薄い、
でもお兄さんは最後家族の元に帰っていく・・・
そんな風に社会が変化してるのかな、とも感じました。

TERROR テロ 紀伊国屋サザンシアター 感想

こんにちは、やのひろです。

とても久しぶりにストレートプレイを観てきました。
観客の投票で結末がかわる、というTERROR(テロ)です。

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あらすじなどはこちらの公式サイトをご覧ください

このお芝居を見てどう考えたか。
私と、一緒に見に行った法学部卒の夫の意見を載せたいと思います。
皆さまはどうお考えになりますでしょうか??

 

やのひろの結論、有罪

あらすじを読んだ段階では無罪のつもりで見に行ったんですよ。
ところが見ているうちに揺れが・・・そのポイントは2つでした。

 

・連邦裁判所(=最高裁判所)でこの判断は否定されている。憲法上許されない。

法治国家である以上、法を超えた判断基準はないはず

 

うん・・・
この憲法意識、安保法制で喧々諤々だった時に私がたどり着いた答えだったので。。
これは確かにそうだよなぁと思って有罪にしました。

 

ここで無罪とすると、法の判断を超えて軍が国民を殺めることを肯定してしまう。
どんな事があっても国が国民の命を奪える仕組みは嫌だな、と思い決めました。
私が、そんな社会には居たくないなと。
(これでいくと死刑もそうですね。この点についても最近考えが揺れています)

 

あと、途中ででてきたスタジアムの退避命令を出さなかったというところ。
あれでいくと軍は旅客機の追撃をしたかったことが透けて見えましたね。
ラース・コッホはそんな集団意識の犠牲者、とも捉えられます。
集団のために個人が犠牲になる、これを容認できたのは私の中の日本人的感覚かもしれません。

 

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※こちらが投票用紙。投票の際は緊張しました。。。

 

夫は一貫して無罪

対して夫はずっと無罪でした。
その根拠はこのようなものだそうです。

 

殺人罪については刑法の話なのに刑法の視点が出てこないから有罪にしようがない

・緊急避難の要件を満たしているので罰せられない

・という訳で日本の刑法で考えると無罪。

 

日本の法律ってドイツから来てるんだから似たようなものじゃないの、とも。
それはどうなのかお芝居を見ただけでは分かりませんけれども。。

 

ここまで聞いて私が「そういうのに対抗するための奥さん登場だったんだよ」
といったのですが、「あの奥さん全然意味なかったね」との返事でした。
・・・完全に法律目線でだけ判断してるようです。。
奥さんが可哀想だとかその気持ちわかるという心情はないようで。なんなの。。

 

そして最後にこうも言っていました。

「有罪にしたって事はこの先改めて問われても有罪って言えるんだよね?
 有罪だと絶対的な確信をもって決めたんだよね?疑わしきは罰せずだよ?」

うっ・・・
お、おう・・・有罪って言えるさ・・・ドギマギ(自信が揺らぐ音)

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※この日の判決は有罪でした。

東京公演の結果と海外公演の判決と、それから希望

そんな東京公演。
全16公演で有罪8、無罪8の五分五分となったそうです!わお!
↓ページ中ほど、本公演での判決結果より

 

そしてなんと2年前の日本での朗読劇では全公演が有罪、
欧米ではほとんどが無罪判決ということを思うと
今回の東京公演はかなり特殊ということになります。
意見、真っ二つ!

北京での5公演は有罪2、無罪2だったと”伝えられてる”そうですから(なぜか伝聞)
アジア圏では意見が割れる傾向にあるということなのかもしれません。

 

今回の東京公演が真っ二つだったことに、私は日本の希望を感じました。

 

有罪にした理由がもう一つあって、それは橋爪弁護士の言った
「これが有罪ならテロに対抗する術が無くなる」という趣旨の言葉でした。

 

え、そう?って反射的に思ったんです。
外交とか政治とか国連の働きかけとか、やれることは他にもあるでしょって。

 

たぶんこれはとても日本的な発想なのだと思います。
人によっては「お気楽」と呼ぶかもしれません。
でも私は、ここが日本の長所、世界に対してリーダーシップを発揮できる部分だと思います。

 

島国で他国と隣接していない、領土を取り合った経験がない、
中世から合議で国を治めて来た、などの経験から
他の国にはない発想をすることができる。
いま現在でどこかの国と敵対していない。
これはすごい強みです。

 

TERRORテロを見て、これはやはり有罪だと思った人が半分近くいる社会。
そこに生きる私たちはきっと他国にはできない貢献ができるはず。
そう感じた舞台でした。

 

よかったらぜひみなさんの意見も聞かせてください^^

 

あ、最後になっちゃったけど
あの難しい長セリフで演じきった俳優さんたちに心から拍手!ブラボー!
みなさんきっと本気で自分の方に有利な判決を出そうとされてましたよね。
神野検察官の全身で表された「転轍係です。転轍!係!」に気合を感じました。

 

難しいセリフもあったので原作本も読んでみます!

 

※ひっ・・・表紙怖い・・・

ビリーエリオット 日本公演 感想

こんにちは、やのひろです。

ビリーエリオット日本公演観てきました。

ようやく!生でビリーエリオットが見れたよ!!!

以下ネタバレありの感想です。

 

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日本では見られないと思ってた

 

ビリーエリオットとの出会いはロンドン記念公演の映画版。

舞台化10周年を記念したステージを日本の映画館でやってくれたんですね。

 

これに、んも、それはそれは感動して。

 

なんだこのパワーのある舞台は!と。

それまでロンドンの舞台と言えばアンドリューロイドウェーバー

しっとりしたお話のイメージが強かったので(オペラ座とかキャッツとか)

こういうエネルギーの溢れたお話と

またそれを演じ切る俳優さん、特にビリー役の少年に感動して。

いつか絶対生でみたいと思ってました。

 

ところがロンドン公演がまさかのクローズ。

もっと延々とやるのかと思ってたのに!

 

これは辛い・・・二度と生では見れまい。

だって日本でやるわけないし。

 

と思ってたところにまさかまさかの日本版!!

これを知った時は興奮と喜びと、すこしの猜疑心がありました。

 

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どうして日本公演はないと思ったか?

子役さんが居ないだろうと思ったからです。

 

今とはなってはこう考えた私にグーパンチお見舞いしたいのですが。

・・・でも最初はみんな思ったよね??思ったと言ってほしい(涙)

 

出ずっぱり、踊りまくり、踊りの種類は多岐、

しかもそんな子役が4,5人は要る。

そんなの日本で出来るわけない。

 

すみません、繰り返しますけど今ではそんな私にグーパンチです。

でもその時はそう思ってた!

 

だから日本でやると、1年半かけてレッスンしながらオーディションすると、

そう聞いた時は本当にびっくりしました。

そういうことか!育てながら発見するのか、ビリーを!

こりゃすごい!絶対に見なくちゃ!と段々気持ちをシフトしていきました。

 

いや、、、言い訳ですけど、、

また事務所絡みで決めちゃうのかなと思ったのです。最初は。

全役オーディションとか言っといて「うそつけ!」って配役も世の中あるし。

子役が主役のミュージカルって他にもあるけどとてもビリーがやれそうにはないし。

そしたら本当に本気でオーディションやってるとは。この時点で感動しました。

 

 

いやー・・・いるんですね、凄い少年が。たくさん。

ほんと、知ったかぶって日本には無理とか思って申し訳ない。

 

すごい!すごいよ、日本版公演!

 

という期待たっぷりで取ったチケット。

ビリー役は誰なのか知らない段階で取りました。

そして当日の配役はこのあと写真で貼りますけども

正直誰がいいとか誰を見たかったとかそういうのはありません。

 

あんな本気のオーディションを勝ち抜いた子達なんだから

みんな素晴らしいに決まってる。

見るのは1回きり、彼らがワンステージに懸けるように私もそれが全てとする。

そんな心構えだったので子役君たちの個別レビューはありません。

 

私が見に行った日の配役はこちら

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舞台を見た率直な感想。

よくぞあのロンドンの舞台をそのまま持ってきたな!

です。

いやもうほんと、びっっっっくりした。

 

物語や演出がそのままなのはもちろんなんですけど

なんというか、空気感が映画で見たロンドン公演と同じで。

(いや、演出が同じなのも実は素晴らしい。変えちゃう作品もあるから)

 

ロンドン公演に熱気があるのは分かるの、だってロンドンの話だから。

サッチャー政権の時にどんな事があったか、ロンドンの人達は知ってるわけで

それを再現するのも客席と共有するのもそりゃできるでしょうと。

 

でも日本にはそのバックグラウンドがないのに

舞台上の炭鉱夫の熱意、ビリーがどんな狭間にいるかが

ロンドンで上演されてロンドンのお客さん達が見ていたあの映画と

同じように伝わってきました。不思議です。凄いです。

 

・・・えい、もう自分のブログだから遠慮なく書いてしまえ。ごめん。

東宝系のミュージカルってその辺が無いと思うんです。

どうも胡散臭い舞台になるの。

演出が現地と違うからってのもあると思うし、

キャストが固まってるってのもあると思うし。とにかく空気が違う。

海外で見て好きだったのを東宝でみると全く違うものになってる。

 

今回のビリーエリオットはちゃんと熱いお芝居だった。

すげー!なんでなの!なんでなのか分からない!

とにかく心から拍手、拍手、拍手です。素晴らしかった!!

 

日本語訳も凄くよかったです。

メロディにちゃんと乗ってて意味も通じる。

映画で見たパッションはそのままに日本語でさらに理解を深められました。

 

ビリーも好きだけどマイケルも大好き

主役のビリーもめちゃくちゃ大変だと思いますが

実はマイケルもすごく大変だと思います。

あのコミカルなお芝居をナチュラルにやるの難しい!しかも子役さんで!

しかしこれまた杞憂でした。素晴らしいマイケルでした。

 

マイケルは女装が好きだったりチュチュで踊ったり

お客さんを笑わせてくれる役だけど、

実はビリーにほのかな気持ちを抱いてそうな切ない役どころでもあります。

コミカルとシリアスとダンス。

私がみたマイケルくんはこの全てが魅力的でした。本当に素敵だった。

 

才能と運のあったビリーはあの町を出ていく。

でもマイケルは・・・おそらくあの町でそのまま育つ。

彼の未来はどうなるんだろう。

次にビリーが帰ってくるとき町中の人が失業してるような場所で。

 

でもね、

旅立つビリーを自転車で見送りにくるマイケル、じっとビリーを見て

幕が閉まりきる少し前に自転車で踵を返して立ち去るんですよね。

 

あのほんのちょっと見える、走り出すマイケルの自転車。

あれはきっとマイケルの旅立ちだろうと思うんです。

あぁきっとマイケルも自分の道を見つける、

旅だった友達に勇気をもらって、彼もきっとこの先輝く、

そう思えるラストシーン。私、あそこ大好き。

 

生であのシーンを見て、やっぱりそうだろうと確信しました。

そこまでグッと物語に入らせてくれた2人の少年にまたまた拍手です。

 

余談ですがよくわからなかったこと。

マイケルがビリーの頬にキスした時も、最後ビリーがマイケルにキスした時も

客席が笑ったんですよね。なんでじゃ????

仄かな気持ちを精一杯出したマイケルと、これまた精一杯それに応えたビリーの

淡く切ない感情のシーンだと思うんだけど。何が可笑しかったんだろう?

 

企画してくれた方に心からありがとう!

この企画を立てて実行してくれた誰か。ありがとう。ほんとにありがとう。

 

だってもっと楽にできる企画いっぱいあると思うんです。

大人だけのお芝居ならオーディションに1年半も要らないし

せいぜいダブルキャストでまわせるし

ひょっとしたらもっと長く公演できるかもしれないし

そしたら低コストで売り上げ作れて利益を出せる。

 

でも企画してくれた。会社に通してくれた。

オーディションに時間をかけて素晴らしい舞台を見せてくれた。

もう感謝しかない!ありがとう!運営会社の方ありがとう!

 

ビリーエリオットを生で見たいなと思っていた

私を含めたたくさんの人の夢を叶えてくれてありがとう。

私が今まで日本で見た海外作品の中でNO.1です。感動しました。

久しぶりにいいお芝居が見れてとってもとっても嬉しいです。

 

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何度も書いてますけど最後にダメ押しで。

最高の舞台でした。最高です!

キャストの皆さん、裏方の皆さん、ありがとーーーーーーう!!

 

ファインディングネバーランド 来日公演感想

こんにちは、やのひろです。

出産前から予定していた観劇その1、ファインディングネバーランド観てきました。

 

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以下、ネタバレあります。

※ちなみに劇場が10か月ぶりで、入口に来ただけで感動できました。。

 

とても美しい演出

見どころはラスト2曲。

ピーターパンが現れて登場人物たちを夢の世界へ誘うシーンは

キラキラ輝く紙吹雪が魔法の粉のように舞い上がっていて

本当に美しい眺めでした。

 

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※パンフレットを写真に撮りました

 

子供たちにとってのお母さん、そして主人公の想い人が死んでしまうという

なかなかショッキングな展開も、この演出のお蔭で悲しすぎず

受け入れやすくなっていたのではないかと思います。

 

ラストナンバーは主人公と子供たちが出会った場面、

Believeのアレンジです。

 

実はこれ、私が聴いてたサントラと違っていてオヤと思いました。

オリジナルブロードウェイ版はWhen you feet don't touch the groundで

かなりしんみりとしたエンディングだったんですね。

悲しいけれど空想の力があれば大丈夫、飛んでいこうというような。

 

それがツアー中にBelieveに変わったらしくて

公園で過ごしたあの日のように何が見えるかとみんなで遊び

僕たちにはもう空想の力があるから大丈夫、飛んでいこうと

ハッピーな気持ちで終わるようになっていました。

 

これはとてもいい変更だと思いました。

天気のいいロンドンとファンタジーの魅力が重なり合って

舞台ならではの美しさを味わうことができました。

 

ロンドンの作品をアメリカでミュージカル化

ところでこの作品、もともとは映画です。

ジョニーデップが珍しく素顔で主演したヒューマンドラマ。

映画の制作はアメリカとイギリスで、監督はドイツ人の方、

物語の舞台はロンドンです。

 

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それを今回アメリカのブロードウェイで舞台化してるわけで。

私としてはここに大きな捻じれがあるんじゃないかと思ってます。

ヨーロッパのものをアメリカでミュージカルにすると

大体派手さが足されて大味になる。。

 

実は観劇の前に全曲聴いてざっくり翻訳もしていて

その時からなんとなくまとまりが無いような気がしてました。 

 

 

なんていうか

ヨーロッパにおける舞台の聖地、ロンドンで作られるお芝居は

オペラ座の怪人とかレミゼラブルとか

人のもつ複雑な感情を繊細な色で描いている感じで。

対してブロードウェイは鮮やかな色で描かれているようイメージです。

 

 

どちらもとても素敵なのだけどそういう違いがあるので

元々ロンドン風味な作品をブロードウェイで舞台にすると

大体違和感があるんです。あくまで私の感想ですけども。

あー、アメリカンな雰囲気になっちゃったかぁ~!と。

 

上記の通りとてもうつくしかった、けど、

やっぱりどこか散漫な印象が残った。

その原因は、やっぱり国の違いじゃないかと思っています。

 

ブロードウェイ公演の評論を見つけた

実際に観てもなーんか曲のバランスが悪い。

全体にまとまりを感じない、そう思ってました。

 

という訳で帰り道にいろいろ検索したら

プロの方がブロードウェイの公演を評論している記事を見つけました。

 

ふたつの想像力、ひとつの舞台――ブロードウェイ・ミュージカル『ファインディング・ネバーランド』/藤原麻優子 – Webマガジン「シアターアーツ」

 

子供と大人の双方を描く劇は、そのまま大人に向けたミュージカルと

子供に向けたミュージカルのふたつに自己分裂している。

(略)

音楽においては、大人向けの場面と子供向けの場面は

メガ・ミュージカル風のバラードかディズニー・ミュージカル風の

快活なナンバーかという分裂を起こし、結果ミュージカルとしての

ひとつの声をもつことができずに終わっている。

 

あ、そうそう!そういう感じ!

 

どっちつかずというか・・・

ほんと「どっち!?」って思いながら聞いていて

我ながら「どっちって何と何だ?」と思ってたのが

このテキストで理解できました。

 

主人公のスランプと少年たち(特にピーター)の葛藤、

この2つが交差して物語が紡がれていくのに

ブロードウェイらしくそれぞれをハッキリ色付けした結果

うまく混ざらなかったような印象です。

英国風の映画でならそこが上手くいっていたのに。

 

主人公か少年のどちらかに視点をしぼるか

(つまり、大人向けか子供向けか、ドラマかファミリーか選択するということ)

またはロンドンで舞台化した方が良かったんじゃないかと思います。

 

とはいえ美しい

全体を貫く軸が見えないなぁと思いながらの観劇でしたが

最初に書いたとおり、それはともかく美しいです。

 

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悲しいことはあるけど明るく美しく終わるお話だし

私みたいな久々の観劇にはぴったりでした。

When you feet don't touch the ground、良い曲・・・!