いろいろあります

毎日のいろいろあること。面白い夫と元気な息子の3人暮らし

映画 シングストリート 感想

こんにちは、やのひろです。

映画「シングストリート」を見てきました。

作品の内容にも触れるのでまだ見てない方はご注意ください。

 

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ジョンカーニー監督の新作!

「ワンス ダブリンの街角で」「はじまりのうた」を撮った

ジョンカーニー監督の新作です。待 っ て ま し た !

 

ワンスはDVDでしか見てないのですが、はじまりのうたは映画館で2回みました。

映画「はじまりのうた」 感想 - やのひろです

「はじまりのうた」を(堪えられなくて)もう一度みた - やのひろです

 

大好きな監督です。

監督で作品を選ぶ唯一のひと。

 

ミュージカルよりさりげなく音楽が使われいて

とても清々しいのに押しつけがましくない物語。

なんか、号泣した後のようなスッキリした気持ちになる作品を作る方です。

 

ひょっとしてシンプルかと思いきや

舞台はワンスと同じくダブリン。

あの閉塞感のある街で少年が素敵な女性の気をひくためにバンドを始める。

・・・ってなんだかちょっとありきたり?と最初は思いました。

 

いや~、でも。この監督なんだから。

そんな単純なストーリーじゃないんだろうな、と予測して見に行ったら。

 

 

はい、やっぱりそうでした。

いろんな人物が重なり合って味わい深い作品(T_T)

はじまりのうたに続いてポロポロ泣きました。

 

一番ぐっと来たのは体育館でMVを撮るシーン。

コナーは演奏しながら想像の世界を膨らませます。

 

バックトゥザフューチャーに出てくるようなアメリカ風のダンスパーティ、

仲のいい両親、カッコいい兄貴、そしてオシャレして現れるラフィナ。

コナーはビシッと決めたスーツで歌っていて、みんな笑顔で・・・

 

でも現実は違います。

体育館は薄暗く人はまばらで、両親も兄もラフィナも居なくて、

僕たちも精一杯決めてるけどプロのようには見えなくて。

 

14歳の少年が希望をグーンと広げた姿が

愛おしくて切なくて涙が止まりませんでした。

 

お兄さんの物語でもある

コナー少年はお兄さんに音楽の手ほどきをしてもらって成長します。

 

このお兄さんがね・・・いいのよ。。うっ、思い出すとまた涙が。

 

お兄さんの物語はあまり説明されません。

ただ大事な要素だけが短いシーンでぽろっとでてくるだけ。

このさりげなさが監督のいいとこなんだよなぁ・・・。

説明くさくないの。自然にカードを切ってくるから琴線やられちゃう。

 

お兄さんのシーンで好きだったのはここ。

 

「お前は末っ子だから俺が作った道を歩いてきただけだ!

 俺は!俺自身が上昇気流だった!この狂った家族の!」

 

私自身が末っ子なのでこのセリフにはぐっときました。

うぐっ・・・そうだよね。。

これはコナー君の責任じゃないんだけど、でもお得な立場なんだよね。。

 

いつもノラリクラリと家族のごたごたをかわしてるお兄さんが怒鳴り散らして

コナー君はびっくりします。悲しくもあったでしょう。

そこで言い返すでもなく、泣きだすでもなく、

「ちょっとトイレ・・・すぐ戻るよ」と席を立って洗面所で泣くのがまた良かった。

お兄さんヘの気遣いと自分のプライドと。

この距離感が生っぽくていい。ジョンカーニー監督の魅力だと思います。

 

ラストシーンがまた最高

自信をつけたコナーくんはラフィナと一緒に旅立つことを決めます。

 

お兄さんが出来なかったことを、お兄さんの経験を踏まえて実行する。

お母さんに愛してると別れを告げる。家族が嫌いなわけじゃない。

 

天気は雨。波は大荒れ。

 

冷静に考えれば、彼には何の力もありません。

学校のイベントで小さな成功体験を積んだだけ。

大都会に子供2人でどうするの?上手くいくわけないでしょ?

普通の大人ならそう言うでしょう。

 

でも彼は降りしきる雨の中一生懸命に目を開いて前を見ていた。

天気は雨だけど空はぼんやりと明るい。

 

もしあのシーンが晴天だったら、後味の良さはすこし落ちたんじゃないでしょうか。

青空で波も穏やか、前途洋々!それだと少し嘘くさい。

全編に漂っていたスモーキーな空気と土砂降りの雨のなかに

少しだけ光が感じられるラストシーンだったから、

この映画は爽やかなんじゃないかと思います。

 

また早朝だったのもよかった。

 

ラフィナがこの前にロンドン行きを目指した場面は作中には出てきません。

でもその時に同行したはずの彼氏が、唯一出て来たシーンは夜でした。

 

それに対してコナー君の出発は朝。

前回のロンドン行きは上手くいかなかったけど、今度はもしかしたら・・・!

そんな風に思わせてくれる場面だったと思います。

 

 

いや~、やっぱり好きです、ジョンカーニー監督!

 

この作品のテーマは「悲しみの中の喜び」だと思いました。

これは映画の中にもでてきたフレーズですね。

 

人生いいことばかりじゃないよ。しんどいこともあるよ。

でもそんな時も歌がある。歌が支えてくれる。

そこから道が開けることもある。光が差すこともある。

 

そんな映画なんじゃないかと。

 

「ワンス」「はじまりのうた」を踏まえての名作だと思います。

やのひろ的今年の映画ベスト3には入る!

あぁ・・・やっぱりもう一度みたいな~。

  

文庫サイズ ブックカバーの作り方 長さ調節・しおり・開き防止付き

こんにちは、やのひろです。

 

自分の備忘録と皆さまへの共有の意味で

私がよくやるブックカバーの作り方をご紹介します。

良かったら参考にして作ってみてください(^^)

 

完成品はこちらです。

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材料(単位:cm)

・本体表布(下図の通り)

・本体裏布(同上)

・バンド(同上)

・ゴム 20

・しおり(リボン) 30

※〇の中に書かれた数字は縫い代です。

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今回はおにぎりが表地でストライプが裏地です。

 

下準備 接着芯をつける

このまま作ると生地が柔らかすぎて使ってるうちにずれてきちゃうので

表地にアイロンで接着芯をつけて生地をしっかりさせます。

 

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 表地より一回り大きめにざっくりと芯を切ります。

 

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アイロン台<クッキングシート<表地<接着芯<クッキングシート

と重ねて上からアイロンで押し付けます。

この時アイロンを滑らせると芯がずれるので上からぎゅっと押し付けてください。

隙間が出来ないように少しずつ位置を変えてギュッギュっと抑えます。

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くっついたら余った接着芯をハサミで切ります。

これで下準備は完了です!

 

パーツを作る

まずバンドを作ります。

6cmあるうちの両側1cmを内側に折って、さらに半分に折ります。

その状態でアイロンをかけて折り目をきっちりさせて

ミシンでぐるっと周りを縫います。

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つぎにゴムを表地の表側に縫い付けます。

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上下を1往復。

縫い代は5㎜程度のぎりぎりで縫ってください。

本体よりゴムの方が長いので縫い付けたら余った部分は切ります。

 

続いて裏地の表側にバンドとしおりを縫い付けます。

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バンドはゴムと同じように上下縫って余った部分を切ります。

しおりは上部だけ縫い付けて終わりです。

長さは最後に調整します。

 

本体を縫う

本体のこの部分を縫います

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表地と裏地の表側同士をくっつけて、裏側から縫います

(=中表で縫う)

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次に、今縫った部分を内側に7cm折りたたみます。

ここがブックカバー作り最大の山場です!(笑)

最初作ったとき私も意味が分かりませんでしたが頑張りましょう!

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この後、上下を縫っていくんですけど、

ここを折りたたんでおくと最後にこうなるんです。

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折りたたまずに進めるとこの縫い目がボコッとした状態で出来上がってしまい

本を入れた後に閉じることができなくなります(経験済み 笑)

ここをスッキリさせるための対応なのでちょっと難しいですが頑張ってください!

 

無事に折りたためたら周りを縫います。

この時、後から裏返すために7cmほど残しておきます。

 

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この時、しおりも一緒に縫ってしまわないように

生地の内側にしっかり入れておいてください。

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先ほど折りたたんだ部分は生地が重なって厚くなってますが

遠慮せずにぐいっと縫ってください。

 

そうしたら縫い残してあるところ(返し口)から生地を裏返します。

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形を整えたら、返し口も周りの縫い目に合わせて織り込んで上から縫います。

 

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ここでしおりの長さを調整します。

本の対角線に来た時でもちゃんと持っていられるかが大事なので

実際に本にかけてみて持ちやすい長さで切ってください。

 

最後にアイロンで折り目を整えて、完成です!

 

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お好きな生地で試してみてくださいね♪

 

それではまた~!

映画 帰ってきたヒトラー 感想

こんにちは、やのひろです。
今日は「帰ってきたヒトラー」を見てきましたので
ネタバレありの感想書きます。

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半分はドキュメンタリー

なんとこの映画。

実際にヒトラーに扮した俳優さんがドイツ各地を回ったそうです。

 

デヴィッド・ヴェンド(監督)が最も興味深いヴィジョンを持っていた。
彼はヒトラーを街頭に送り出し、フィクションにドキュメンタリーを融合させようとしたのだ。
「現代にヒトラーが現れたらどうなるのか?
この疑問に対する答えを得るには、この手法しかなかった。
何かを主張するには、リアリティが大切だと思ったんだ」とヴェンド監督は説明する。(公式サイトより引用)

 

確かに途中ヒトラーが街の人達と触れ合うシーンがたくさん出てきて

それがあまりにナマっぽいやりとりなので

「これはリアル?それともお芝居?」と思っていたのですが。

いや~、まさかほんとにやっていたとは。

 

だって、思っていたよりドイツのみなさんはヒトラーに友好的なんですもの。

 

私てっきり、今でもドイツでナチス式の敬礼なんてしたら

みんなが眉をひそめて下手したら警察がでてくるほどのタブーなのかと思ってたのに

待ちゆく人はヒトラーを見てわいわい寄ってきて自撮りを楽しんだりするんですね。

 

ドイツ・・・思ったよりお茶目だな・・・。

 

もちろん嫌悪感を示す人もいるんですけどね。大部分は楽しんでた。

そのことが良いのか悪いのかよく分からなくて

ドキュメンタリー部分は複雑な気持ちでみていました。 

 

もしかしてそう見えるように友好的な人だけ使ったのかな?とも思いましたが

公式サイトにこう↓書かれていたので、おそらく事実に近いんだと思います。

 

ムーラー(制作担当)は「驚くことに、多くの人々が偽のヒトラーを歓迎し、彼と一緒に自撮りをしたがった。
民主主義に毒づき、誰かがもう一度ドイツで思い切った手段を
取ってくれることを望んでいた人たちもいた」と語る。

 

プロパガンダの目線から考えてみる

ナチスと言えばプロパガンダ。

この映画でもメディアがたくさん登場します。

テレビはもちろん、インターネットも。

ネットの存在が二次大戦中とは大きく違うところですよね。

 

ナチスは計画的にラジオや映画を使うことで国民を陽動したわけですが

この映画ではヒトラーはメディアをどう使うか全然計画しません。

テレビやネットが勝手に騒ぎ始めるんです。

 

ヒトラーのそっくりさんは視聴率いい!と判断したテレビ局が彼の登場回数をどんどん増やしたり、

twitterに「ヒトラーと写真撮っちゃった~」という投稿が溢れたり、

youtubeで「彼は何者なんだ?」という話題が増えたり。

 

どの媒体も自発的にヒトラーを扱っていくんですね。

 

この流れがまたとってもリアルで、苦笑いでした。

まぁそうなるよね、、と思うものの、彼は本物のヒトラーなのに大丈夫?って。

 

 メディアリテラシーの目線から考えてみる

分かりやすいのでyoutubeを例にしましょう。

 

一人のyoutuberがいたとします。

その人は再生回数を多くして広告収入を増やしたかった。

その為には多くの人が見たくなるような話題を提供しなければなりません。

ということはこう考えるはずですよね。

「みんなが見たがる内容の動画を作ろう」って。

 

映画の中でヒトラーを扱うyoutubeがたくさん出て来たということは

多くのyoutuberが「ヒトラーの動画を作れば再生回数が伸びる」と思ったからで

たくさんの人がヒトラーのことを知りたがっているだろうと判断したということです。

 

ここがメディアの怖いところだと私は思います。

 

「え?いまヒトラーが流行ってるの?」というライトな人から

「復活したヒトラー好き好き!もっと知りたい!」というヘビーな人まで、

ヒトラーが出てるチャンネルに合わせた、yoiutubeを再生した、ツイートをRTした、

その行動で「この情報に興味があります」という意思表示になり

メディア側に「調子がいい!次もこの話題でいこう!」と思わせる。

 

ひょっとしたらそれらを見ながら「まったく、こんな話題で騒いで・・・」と思ってる人もいるかもしれませんが

そこはメディア側に伝わらなくて、むしろ支持層として数字がカウントされちゃう。

 

これ、何かいい方法ないのかなと私は普段から思ってます。

その情報要らないよっていう意思表示をするには今のところ「見ない」しかないんだけど

見ないだけじゃ積極的に意思表示することにならないのよねん・・・

まぁ今はその話は置いといて。

 

映画の中でもそうでした。

各メディアがヒトラーをどんどん取り上げる、それは見たいと思ってる人がいるから、という構図。

怖かったです・・・。

民衆が知らず知らずのうちにヒトラーを支持していました。

 

もしこれが本当で、ドイツがまたナチスに傾倒していって、後世にこのことが検証されたら、

一体何がナチス拡大の原因になったとされるんだろう?

映画を見る限りでは「人々がそれを望んだ」という風にしか見えませんでした。

 

日本だとどうだろう?

日本はドイツと同じ敗戦国ですから、日本だとどうだろう?と考えながら見てました。

 

まずヒトラーのように「この人があの戦争の元凶だ」という人物がいるか?

 

歴史の授業ではそこまでズバリな人物名を習わなかったし

映画「日本の一番長い日」を見ても特定の個人は居なかったように感じました。

 

その「日本の~」ではポツダム宣言を受諾するにあたっての混乱が描かれていて

その様子が実に日本っぽくて見ながら苦しくなりました。

 

みんなもうこの戦争はダメだと分かってるのに止められないんです。

みんなで始めたことだから、誰かのブレーキでは止まれないように見えました。

逆にヒトラーのように「こいつだ!」っていうのが一人でもいたら

その人の死や宣言で終われたかもしれないけど、日本には居なかったんだなと。

 

これは・・・良いんだか悪いんだか(^^;

 

ドイツのように「ヒトラーはダメだ。あれだけは絶対にいけない」と言える存在が

もしかして日本にはないんじゃないのか。

私たちはあの大戦の何を反省したらいいかホントに分かってるのか。

もしまた日本にあの大戦と同じ空気が流れたとき、何で察知したらいいのか。

 

この映画で復活したヒトラーが鳴らす警鐘が

もしかして日本にはないんじゃないの・・・?

 

なーんて。

映画が進めば進むほど、考えれば考えるほど分からなくなって

ひたすら「怖い!!!」でいっぱいになった映画でした。ガクブル。

映画 FAKEをみてきたので感想 ~それすらFAKE~

森達也監督のドキュメンタリーFAKEを見てきました。

主演はゴーストライターが居たと話題になった佐村河内守氏。

 

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先に言い訳しちゃうと

ドキュメンタリーはあまり見ないので森監督については詳しくありません。

他の方のレビューを見たら結構「森監督らしい!」という声があったのですが

その点については私は語れません、ごめんなさい。。

 

そして、あのゴーストライター騒動についてもあまり詳しくありません。

ああやってマスコミから始まり終いには社会全体で一方を責めるような出来事が

あまり得意ではなくてなんとなく避けちゃうんで。

なんとなくの概要は知ってる程度です。

 

じゃぁなんでこの映画を見に行ったの?というと

佐村河内さん側の言い分に興味があったからです。

上記のように「アイツ、悪!」ってされた人が実はどう感じているか知りたくて、

そのきっかけになるかなーと思って見に行きました。

 

この先、内容に踏み込んだ感想をつづるのでネタバレあります。

 

真実は、無い!

感想は、もうこの一言に尽きます。。真実は無い!

 

「事実」は色々とあるんだと思います。

でも「真実」はない。

真実は人によって、その人の価値観によって変わるから。

 

私はそれがタイトルにも出てるんじゃないかと思ってまして、

この「FAKE」っていうロゴ、よーくみると「A」と「E」がボケてるんですね。

 

私たちは「偽り」を見てるわけだけど、その「偽り」は霞がかってて

じゃぁ何が「偽り」で何が「真実」かというと、さて何だろうね?っていう。

そういうことなのかな、と思いました。

 

映画が切り取った「事実」から私が感じたこと(=印象)

映画で表現されたものをどう受け取るかは人によって変わるとしても、

そこ起きていたいろんな「事実」は存在します。

中でも私はこの2つの出来事が印象的でした。

 

1:暖かい夕食を前にしながらゆっくり豆乳を(1Lも)飲むシーン

 「どうして豆乳飲むんですか?」「好きだからです」

2:海外ジャーナリストが事の顛末をインタビューしに来たシーン

 「どうしてピアノを捨てたんですか?」「部屋が狭かったからです」

 

こういう場面があった事実から、私が抱いた印象はこうです。

 

この人、嘘ついてないんだろうな。

 

正解かどうか、真実かどうかは別ですよ。

「事実」から私が感じた「印象」です。

 

だって嘘つくならもうちょっと上手くつくと思うから(^^;

豆乳は、まぁいいでしょう。ちょっと気が抜ける返事だけど

晩御飯を後回しにするくらい(冷めるのに)豆乳が大好きなんだねってことで。

 

でもピアノの話は無い!

自分の身の潔白に関わる大事な話でしょう。

事実は「部屋が狭かったから」にしてももうちょっとカッコよく言いたくならないもんかな。

 

でもでもでもでも、色々あったじゃない、この人!

まさかこの人が嘘ついてないなんて、そんなわけない!と

思いますよね、普通。

 

「嘘」ってなんだろ??

上記の通りこの騒動にあまり詳しくなかったので

映画のレビューを読みながらあの出来事も振り返りました。

特に騒動に触れていたのはこのレビューです。

 

聞こえるのか、聞こえないのか。作曲できるのか、出来ないのか。

歩けない設定どうした、頭の中の五線譜どうした、などなど

いろいろ細かい点について解説されてる記事でした。

読みながら「へ~、そんなポイントだったのね」と思った。

 

映画を見て、こういう検証されてる記事を読んで、

それの上での私の感想は「うん、やっぱり嘘じゃないんだろうな」です。

 

世の中ではそれを虚言癖というのでしょうけども

恐らく本人は「嘘をついてる」という自覚なしに

その時ベストだと思われることを話したり表したりしちゃうのでしょう。

多くの人は「それオカシイよね?」と思う事なんだけど

本人はたぶんそう思ってないのだから・・・

もうそれこそ「だた一つの着地点は、ありません!」ということかと思います。

 

ラストシーンはかなりびっくりな場面で終わります。

うわぁぁ、ここで終わるか!!と驚いたし、にやっとしたし、心地よかった。

 

あのシーンもそういう事なんじゃないかと私は受け取りました。

彼は自分にとっての「嘘」と世間からの「嘘」の間で混乱してるんじゃないかな、と。

だからああいう場面になったんじゃないかと思います。

 

それでも許せぬ!という人もいるのでしょう。

それはその人の立場によってこれまたそれぞれだと思います。

障害を笠に着るとはなにごとだ!という人とか

そんなことで金儲けをするとは言語道断!という人とか。とかとか。

 

それはそれだと私は思います。

あえて、私がこの件で何か残念な点をあげるとしたら

せっかくの音楽がこの騒動の所為でイロモンになっちゃったことかな。

でも別に許せなくはない。音楽が可哀想だね、と思うだけです。

それ以外の人も当然いるだろうなという上でね。

 

気になるあれこれ&参考記事

最後にいろいろ気になった点と、参考にした記事を並べます。

 

・ケーキ

 ケーキの映画でしたね(笑)

 あの状況で綺麗な(そして多分美味しい)ケーキを出し続ける奥さんに感服しました。

 奥さんの愛を感じた。強い。

 そしてまさかケーキで終わるとは。素晴らしい。

 

・外国人ジャーナリスト

 意図されてそう見えてるんだかどうか分からないけど

 日本のマスコミとの姿勢の違いが明らかで、興味深かった。

 

・猫

 猫の映画もありましたね!

 映画館でもらったチラシはこんなでした。猫の瞳にうつるのは・・・

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参考にした記事はこちら!

 

 

岡村靖幸×松江哲明 : 森達也監督15年ぶりのドキュメンタリー映画 佐村河内守“主演”の『FAKE』を語り尽くす! 前編 | GINZA | CULTURE

 

あ、最後に。ほんとにこれで最後。

感音性聴覚障害ときいて思い出した動画があるので貼っておきます。

 

 

コミュニケーション上は分からなくても実は聞こえにくいということはあるのですね。

 

今までも安易な「正解」や「真実」は怪しいもんだなと思ってきましたけど

この映画を見てますますその思いを強くしました。

 

あるのは「事実」と「自分の意見」と「他の人の声」だけなのでしょう。

バランスのとり方は人それぞれ。

簡単にスパッと決めた真偽や善悪を

押し付けたり押し付けられたりしないよう、気をつけていきたいです。

 

なーんてね、この感想もきっと誰かにとってのFAKE。

こうやってたくさんのFAKEを作り出すのが監督の真の目的だったりして・・・

映画 スポットライト ネタバレ 感想

こんにちは、やのひろです。

今年のアカデミー賞作品賞「スポットライト」見てきました。

 

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アカデミー賞の授賞式は生放送で見てました。

「今年の授賞式は映画作りに沿って行います。まず脚本賞」

でスポットライトが脚本賞を受賞し、

その後はマッドマックスV8達成か?に盛り上がって

レオ様の主演男優賞受賞に感激して、

最後の作品賞で「レヴェナントかなぁ。まさかマッドマックス!?」

と思ってたら脚本賞をとったスポットライトがとる、という結末。

 

まさに脚本に始まり作品に終わる

映画の核を見せてもらった気がしました。

「この記事を世に出す」という執念

教会のスキャンダルを新聞が記事にする話、とは知ってましたから

もっと勧善懲悪っぽい雰囲気なのかと思ったら違いました。

 

前代未聞である社会の闇に立ち向かう動機が「それだけ」なんですね。

「俺たちの正義を証明しよう」とか「教会に罰を!」とか

「この特大スクープで売り上げを倍増させよう」とか無いんです。

 

最後の方に他社に出し抜かれないよう苦慮する場面がありましたが

それも売り上げのためというよりは自分たちが追ってきたものを

人に取られてこの重大さを損ないたくない、というように見えました。

 

記者たちは仕事をしすぎて家庭が崩壊しかかっています。

古い友達にあたって協力を頼み、険悪な空気にもなります。

それでも「この方向で記事にするんだ」という1点だけで動き続ける。

この純粋さにグッときました。

 

いま私たちの周りにあるジャーナリズムはどうなのでしょうね。

内容の裏に会社の思惑が透けて見えるものが多いように感じます。私は。

 

日本のジャーナリズムにはない(らしい)企画力

以前デジタルジャーナリズムフォーラムというイベントに参加した時、

米で日米のメディアを研究されている菅谷明子さんの話で

 

「日本のメディアには企画力がない。

 決まったところに押しかけて他社より早く世に出すだけ。

 もっと企画から考える発想が必要」

 

とおっしゃっているのを聞きました。

私はジャーナリストではありませんから「そうなのか~」と

他所の話としてしか受け止められませんでしたが

この映画を見て「こういう事かもしれない」と思いました。

 

スポットライトチームが教会での児童虐待を取材しだした時

世の中としてはこのことはまだ大きく報道されてませんでした。

 

それでも新しい編集長がこのことに目をつけて

記者の独自性を大事にするスポットライトチームが取材を続けて

警察や司法も目を瞑っていた(瞑らされていた)事実を白日の下にさらす。

 

これを取材しよう、この方向でまとめよう、と決めて

それに必要な情報を集めて練り上げる、

ゼロからイチを作る力がある、ということ。

あの時菅谷さんがおっしゃっていた企画力はこれかもしれません。

 

自分の身に引き寄せて考える大切さ

またまた私の体験からの話で恐縮ですが・・・

この前SEALDsの方が登壇する会に参加しました。

その時彼らが言ってたのが「事柄を身近にすることを大事にしてる」

ということでした。

遠い話だと思うといつまでも大切さが分からないから

これは自分のことだと感じたり、感じてもらうことを大事にしてると。

 

映画の中にもこんなシーンがありました。

チームのリーダーが自分の高校の同級生達に会いに行って

神父からの児童虐待について知っていたら教えてほしいって話すんです。

 

彼らのうちの1人は最初あまり本気にしなくて話にならないんですね。

そこでリーダーが言う

 

「お前は何部だった?俺は陸上部だ。

 被害者はホッケー部だ。なぜ彼が被害に遭ったか?

 神父がホッケー部の顧問だったからだ。

 ラッキーだっただけだ。俺もお前も」

 

リーダーは自分の母校にも被害者が居ることを知ってぐっと身近に感じ

その事をまた人に伝えていく。

 

こうやって当事者意識のある人たちを巻き込んだ結果が

世紀のスクープを生み出したのだろうと思いました。

 

ニュースは「スポットライト」

メディアリテラシーのことを知る入門書に

元TBSアナウンサーの下村健一さんが書かれた本があります。

この本は本当に読みやすいので大人にも子供にもおススメ。

・・・ってそれはともかく。

 

その中でも「スポットライト」という言葉が使われています。

 

「ニュースはスポットライト。

 ある特別な現象にライトを当てている」

 

本の目的はメディアリテラシーなので、本の中ではこの後

「だからライトの外側も意識しないと間違った認識をするかもよ」

と続くのですが、私はスポットライトと聞いて最初にこれを思い出しました。

 

映画の中のスポットライトチームは、

編集権が記者にある特殊なチームだと紹介されました。

いま何にライトを当てたいのか記者が決められるチーム。

ニュースを生み出すチームの名前がスポットライトだなんて

なんてピッタリなんだ!まさに報道!!

 

彼らの姿勢とチームの名前があまりに一致していてゾクゾクしました。

最後のセリフもこれにかかってるんでホントに鳥肌立ちました。

こうやって生まれたニュースに触れていたい・・・。

 

最後にいろいろ。WEBとかキャストとか

私はWEBの人なのでジャーナリズムの話題に触れると

どうしてもWEBの課題と比較して考えてしまいます。

 

今回もそうで、まず思ったのは「この取材はWEBには無理」でした。

理由は長くなるなって記事に合わないので割愛しますが

あれはやっぱり新聞だからこそなせる業です。今のところは。

今後は紙媒体の人がWEBに進出してああいう取材がWEBでも出来るかも。

 

取材は得意だけど発信が苦手な既存メディアの良質な記事は

取材は下手だけど発信が得意なWEBメディアに押されてしまいます。

あくまで現状、WEBでの話でね。

 

そうなるとやっぱり情報をキャッチする人の力が必要で

「もっとこういう報道が欲しい」っていう声で

いい報道を後押しするようになりたいなと思いました。

 

報道が社会問題を世の中に出して、映画がそれを世界に広める・・・

良い相乗効果ですね。

今年のアカデミーは本当に価値ある映画を選んだんじゃないかと思いました。

(去年のバードマンも良かったけど、ちょっと内輪受けっぽく感じた)

 

そして最後にキャスト!

 

私、レイチェルマクアダムス好きなんです~~♡

助演女優賞ノミネートおめでとう!

これまでラブコメで感情豊かなお芝居を見ることが多かったけど

今回の社会派で落ち着いたお芝居もすごく良かったです。

これからも彼女の大人な演技が見たい・・・!

 

そしてマークラファロ。

あなた「はじまりのうた」で落ちぶれた音楽プロデューサーだったね。。

まるで別人でほんとにビックリしました。俳優さんってすごい。。

あの時は荒んだ中年だったのに今回は少年みたいにキラキラしてて。

20年くらい若く見えました。凄い。好き。これからも見たい。

 

最後にマイケルキートン。バードマン!!

あっちもかなり病んだおじさんだったのが今回は凄腕記者。

もうほんとに俳優さんってすごい!!!別人。

この人を見るためだけにもう一度映画館に行きたいくらいいいお芝居でした。

 

ここ数年アカデミー賞の作品賞は見てますが

今回のスポットライトはダントツに好きでした!!!

公開から日が経ってるのに上映回数が減ってきてて

私が見た回は満席でしたよ~。

もしまだ見てない方はお早めに!!

 

それではまた。

 

映画 ティファニーで朝食を ネタバレ 感想

こんにちは、やのひろです。

毎年楽しみにしているTOHOシネマの

午前10時の映画祭」で「ティファニーで朝食を」を見てきました。

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いきなり余談を挟んで恐縮ですが・・・

数年前NYに行った時、現地に住んでる友達と5番街にいって

ティファニーで朝食しようよ!」って言ったら

「映画見たことないでしょ」って笑われたのが忘れられません。。

 

朝方にティファニーの前でパン食べるんだよって言われて

隣にあったキンピカのビルでパン買ってお店の前で食べました。

※ちなみに「このビルはもの凄いお金持ちが建てたんだよ」と言われ

 「へ~、こんなにキンピカなんて趣味が良いんだか悪いんだかね」と

 話していたら、その人がいま大統領選を戦ってるトランプ氏だったのでした。

 

そんな思い出のある「ティファニーで朝食を

人生初見です。米在住の友達、ようやく見れたよ!

朝食はほんとにオープニングでパン食べただけだね!

 

とってもオシャレだけど・・・

出てくるものがとってもオシャレ。

特にオードリーが寝る時に着けてたアイマスクと耳栓が

可愛くて心奪われました。アラサー女性向けに売れそう。

 

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この映画はツベコベ言わずにオシャレさを楽しんで

ステキな彼とのラブストーリーを味わうものだ、って

分かってるんですけど・・・

 

分かってるんだけど色々考えてしまった(^^;

男女の役割が新しいようで古いんだなぁと。

1961年の映画だからあたり前ですけどね。。

奔放なようで型におさまるホリー

オードリー演じるホリーは男性を手玉に取って暮らしています。

男性の飾りになることを商売にしているわけで。

最初、それは新しい女性像に見えました。

 

この前ミソジニーの本を読んでから

私の考えはすっかりそれを念頭に置くようになっていて(影響されやすい 笑)

この映画でもそこをベースに考えちゃいました。

 

女性は男性から見て道具かご褒美、というのがベースにあるとして

ホリーはその両方を活かして商売にしちゃってるわけだから

「道具かご褒美にされることを生きる手段にしてる」ということで

ミソジニーを超越しているように見えました。

 

しかも途中で結婚から逃げ出してきたことが分かる。

やっぱり固定された男女の枠が窮屈だったのかな、と。

 

相手役のポールも新しい男性像でした。

まず仕事をしてない。そして豪かな夫人の愛人として囲われている。

オールドタイプな「地位と権力のある男性」からは遠い人物です。

現代の日本風に言うと肉食女子と草食男子でしょうか。

 

このまま新しいタイプのラブが展開するのかなーと思ったら

何と最後はあっさり昭和の家庭に落ち着いたのでアリャ?と思いました^^;

何度も言うけど古い映画だから仕方ないし

オードリーが可愛いからいいんだけど・・・なんかすみません 笑

 

ホリーはポールと居るのを心地よく思いながらも

お金持ちと結婚するために奔走し始めるんですね。

そんでその途中でポールは愛人と手を切ってホリーに告白する。

そのセリフが「あれ??」ってなりました。

 

君を愛している。

だから君は僕の物だ。

人は所有されて幸せになるんだ。

君は自分で檻に入って生きることを拒否しているだけだ。

 

これを言われたホリーはちょっと迷うものの

自分の気持ちに気が付いて土砂降りの雨の中で彼に抱き着き

映画はおわります。

 

そ、そうか・・・そこに落ち着くのか。。と思っちゃった。

結局は男性に「所有」されることが幸せっていう映画なのね~^^;

 

王子様を待ってるタイプの古いディズニー映画のようで

「昔の映画としてはいいね」という感じでした。

 

・・・なのに今の感覚を持ち込んだ私が悪い。。

最初の描かれ方が新しい女性像に見えたから

ついそっちで期待してしまいました。

 

これは当時どういう人に受け入れられた映画だったのだろう。

女性から「私もこんな恋がしたいわ!」って思われたのかな。

それとも男性から「俺もこんな風に美女に愛されたい!」だったのかな。

 

なんとなく後者のような気がして

日本の美少女ゲームとか李香蘭支那の夜を思い出しました。

 

そんな流れで行くと「マイフェアレディ」のエンディングは更に謎で

「せっかく生きる術を身に着けたのに何で彼のとこに帰るの?」と思います。

原作では二人は分かれるのだけどミュージカルにしたときに

ハッピーエンドに書き換えたらしいので、、仕方ないですけど。

 

その点「ローマの休日」は素晴らしいと思います。

成長して自立心(自律心)を持ったアン王女が自分の立場に帰っていく。

この3作品ではローマの休日が一番古い作品ですけれども

女性の生き方としては一番新しいような気がします。

 

 

それではまた!

舞台 NTL 夜中に犬に起こった奇妙な事件 感想

待ってました!!!やってくれると信じてた!(><)

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NTL(ナショナルシアターライブ)とは

ロンドンにあるナショナルシアターで上演された演劇の中から

評判の良かったものを映画館で上映してくれるシリーズです。

毎年楽しみにしています。

 

この「夜中に犬に起こった奇妙な事件」は

もとはロンドンで出版されたベストセラー小説です。

 

ロンドン版はオリヴィエ賞(UKのトニー賞)を総なめし

満を持してブロードウェイに進出、

トニー賞演劇作品賞、演劇演出賞、演劇主演男優賞、美術賞、照明賞を受賞。

2015年のNY演劇でナンバーワンに輝きました。

 

中でも注目はトニー賞演出賞を受賞したマリアンヌ・エリオットです。

この作品はとにかく演出が素晴らしいとあちこちで目にしました。

 

彼女の演出をぜひ見てみたい!!NTL、お願いします!!

そんな念願かなっての観劇になりました(^^)

あぁぁ、本当にありがとう、NTL。

簡単なあらすじ

クリストファーは独特な15歳の男の子。

論理的で数学が得意、夢は宇宙飛行士、人の気持ちを察するのは苦手、という

いやゆる自閉症とされる個性を持つ。

母親は数年前に亡くなって今は父親と暮らしている。

 

ある日彼のお向かいの家で夜中に犬が殺されてしまう。

それを見つけたクリストファーは犯人扱いをされてパニックに。

彼は犬を殺した犯人を捜すことを決意する。

犬に起こった奇妙な事件は、やがて彼を思いもよらない事実へ導く・・・

 

「これ、どうやって演劇にしたんだろう?」

この舞台を見る機会がなかなか無かったのでまず原作本を読みました。

その時の感想がこれ↑です。ホントに一体どうやって・・・。

 

まず話がポンポン飛んでいました。

犬が殺された話、数学の話、学校の話、記号の話、過去の話・・・

こんな風に脈略も時間の流れも関係なく

エピソードがバラバラに書かれていました。

読んでいるとちゃんと流れが見えてくるのですが

普通の小説のように順を追って説明されるわけではありません。

 

別の機会に同じく自閉症の東田直樹さんが書いた

自閉症の僕が跳びはねる理由」を読みましたが、

それによると自閉症の方は記憶を線で繋ぐことができなくて

散らばった点のようになっているらしいのです。

クリストファーの記憶もたぶんそうなのでしょうね。

 

そんな自閉症の方独特の特徴があれこれ出てくるのを

演劇にしただけでもすごいのに、まして演出賞をとるなんて。

一体どんな舞台だったんだ!?とますます期待が高まりました。

 

アナログな演出、デジタルな演出

まず目につくのはデジタルな演出でした。

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LED、プロジェクションマッピング、などなど。

セットはほとんどなく、このように必要な情報がデジタル表示されます。

 

デジタルな演出はいくつか見たことがありますが

ドリームガールズやif/thenなど)

単純に背景を映したり装飾的に使われることが多い中で

この作品はクリストファーの心情をデジタルで表現していて

そこが新しいなと思いました。

 

でも私は、アナログな演出の方が印象的だった!

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これはクリストファーが宇宙飛行士になる想像をしているところです。

こんな風に人が彼を飛ばすんですね~。

 

足元のパネルには映像を映すことができるわけだから

例えば床に宇宙の映像を映して、

彼が一人でその上を動き回って宇宙飛行士の想像シーン

とすることも出来たと思います。

だけどそうじゃなくて、人の手が彼を飛ばしている。

 

他にも、クリストファーが家に帰ってくるシーンが何度かあるのですが

そこでも家の家具が人で表現されていました。

ドアを開ける、鍵を棚に置く、ベッドに寝転がる、

そのドア役、棚役、ベッド役が全部人間で居るんです。

 

彼にとって快適なこと、不快なこと

私たちからすると、クリストファーはいろんなことが出来ません。

電車に乗るとか人と会話するとか、そういう事は苦手です。

 

その都度そこにいる人にマイナス感情で対応されていました。

「何してるんだ!」「本気で言ってるの?」「やめてくれ!」などなど。

実際の人と関わるとき、彼はとても辛そうでした。

 

だけどクリストファーが快適に過ごす時、

例えば自分の空想に浸ったり、慣れた作業をしたり。

そういう時もまた、人間の手で描かれている、

そこが凄く暖かくて、とってもいい演出だなと思いました。

 

いわゆる健常者の人達は彼に冷たい、

彼が快適なのは彼一人の世界だけ、、っていうんじゃ

ちょっと寂しい。

 

彼は別に周りを困らせようとしてるわけじゃなく

彼には彼の快適な過ごし方があって

そこにもちゃんと人のぬくもりがある。

彼は私たちと違うように物を見てるだけで

同じように社会の中で生きているのだと感じました。

 

クリストファーに共感する体験

舞台を見ているとどんどんクリストファーに共感していきます。

自分は自閉症として経験したことはないのに

後半彼が無理矢理体をつかまれたりすると

「やめて!それはして欲しくないんだよ!」なんて思いました。

段々彼の好き嫌いが分かってくるんですね。

 

ロンドン版では舞台を囲むように客席があったようで

(NY版はおそらく普通に客席は前にあった様子)

演出のマリアンヌは「彼の世界を体験できるように」

と語っていました。

 

また映画が始まる前のインタビュー映像に出て来た女性も

「観客は舞台を通してクリストファーの世界を体験できる」

と言っていました。

(彼女は単なるスタッフではなく、もしかしたら自閉症の方かもしれません。

 案内が曖昧でちょっとよく分かりませんでした)

 

まさしくその通りで、

この舞台は自閉症の人がどんな風に暮らしているか

疑似体験できるのだと思います。

もちろん実際のそれは、もっと大変なこともあるのでしょうけど。。

 

街でクリスファーに会う人たちはみんな冷たいです。

困ってる彼に手を差し伸べることができません。

でもそれは意地悪なんじゃなくて

自分の常識から判断や理解ができないだけなんだと思いました。

 

そしてもし自分に同じことが起きたら・・・

優しくしてあげることはできるだろうか、と。

したくても、どうしたらいいか分からないかもしれない。

無意識に目をそらして知らんぷりするかもしれない。

 

具体的に何ができるかは分からないけど、

でも、彼には彼の世界があって、そこで幸せに暮らしたいんだ、

ということは分かりました。

私に私の世界があるように、彼には彼の世界がある。

大多数の人とは違う世界観かもしれないけど

それは人の優劣や価値の有無に関係ない。

私と彼とは違っていて、それぞれに世界があるだけのこと。

 

自分とは違う目を持ってる人たちを

自分の眼鏡だけで判断してしまわないようになりたい。

この舞台をみてそう思いました。

 

美しいエンディング

夜中に犬に起こった奇妙な事件は

クリストファーとその家族を思わぬところへ導きます。

 

最後、彼は学校で先生と話をしていて

先生にある問いかけをします。

 

そのシーンが!!

なんとも美しいの!!!

 

なんて希望のある終わり方だったんだろう。

あれだけのセリフで。あれだけのやりとりで。

彼のこれからは可能性に満ちているって、

生き難さを抱えた彼のこれからは、それでもきっと輝いてるって

もの凄い説得力で描いていた。

あー、本当に美しかった!!

 

デジタル演出はもちろん目を引きましたが、

この作品の素晴らしいところは

デジタルとアナログの演出技術を駆使して

社会を別の視点から、美しく、描いたことだと思います。