いろいろあります

毎日のいろいろあること。面白い夫と元気な息子の3人暮らし

映画 ティファニーで朝食を ネタバレ 感想

こんにちは、やのひろです。

毎年楽しみにしているTOHOシネマの

午前10時の映画祭」で「ティファニーで朝食を」を見てきました。

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いきなり余談を挟んで恐縮ですが・・・

数年前NYに行った時、現地に住んでる友達と5番街にいって

ティファニーで朝食しようよ!」って言ったら

「映画見たことないでしょ」って笑われたのが忘れられません。。

 

朝方にティファニーの前でパン食べるんだよって言われて

隣にあったキンピカのビルでパン買ってお店の前で食べました。

※ちなみに「このビルはもの凄いお金持ちが建てたんだよ」と言われ

 「へ~、こんなにキンピカなんて趣味が良いんだか悪いんだかね」と

 話していたら、その人がいま大統領選を戦ってるトランプ氏だったのでした。

 

そんな思い出のある「ティファニーで朝食を

人生初見です。米在住の友達、ようやく見れたよ!

朝食はほんとにオープニングでパン食べただけだね!

 

とってもオシャレだけど・・・

出てくるものがとってもオシャレ。

特にオードリーが寝る時に着けてたアイマスクと耳栓が

可愛くて心奪われました。アラサー女性向けに売れそう。

 

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この映画はツベコベ言わずにオシャレさを楽しんで

ステキな彼とのラブストーリーを味わうものだ、って

分かってるんですけど・・・

 

分かってるんだけど色々考えてしまった(^^;

男女の役割が新しいようで古いんだなぁと。

1961年の映画だからあたり前ですけどね。。

奔放なようで型におさまるホリー

オードリー演じるホリーは男性を手玉に取って暮らしています。

男性の飾りになることを商売にしているわけで。

最初、それは新しい女性像に見えました。

 

この前ミソジニーの本を読んでから

私の考えはすっかりそれを念頭に置くようになっていて(影響されやすい 笑)

この映画でもそこをベースに考えちゃいました。

 

女性は男性から見て道具かご褒美、というのがベースにあるとして

ホリーはその両方を活かして商売にしちゃってるわけだから

「道具かご褒美にされることを生きる手段にしてる」ということで

ミソジニーを超越しているように見えました。

 

しかも途中で結婚から逃げ出してきたことが分かる。

やっぱり固定された男女の枠が窮屈だったのかな、と。

 

相手役のポールも新しい男性像でした。

まず仕事をしてない。そして豪かな夫人の愛人として囲われている。

オールドタイプな「地位と権力のある男性」からは遠い人物です。

現代の日本風に言うと肉食女子と草食男子でしょうか。

 

このまま新しいタイプのラブが展開するのかなーと思ったら

何と最後はあっさり昭和の家庭に落ち着いたのでアリャ?と思いました^^;

何度も言うけど古い映画だから仕方ないし

オードリーが可愛いからいいんだけど・・・なんかすみません 笑

 

ホリーはポールと居るのを心地よく思いながらも

お金持ちと結婚するために奔走し始めるんですね。

そんでその途中でポールは愛人と手を切ってホリーに告白する。

そのセリフが「あれ??」ってなりました。

 

君を愛している。

だから君は僕の物だ。

人は所有されて幸せになるんだ。

君は自分で檻に入って生きることを拒否しているだけだ。

 

これを言われたホリーはちょっと迷うものの

自分の気持ちに気が付いて土砂降りの雨の中で彼に抱き着き

映画はおわります。

 

そ、そうか・・・そこに落ち着くのか。。と思っちゃった。

結局は男性に「所有」されることが幸せっていう映画なのね~^^;

 

王子様を待ってるタイプの古いディズニー映画のようで

「昔の映画としてはいいね」という感じでした。

 

・・・なのに今の感覚を持ち込んだ私が悪い。。

最初の描かれ方が新しい女性像に見えたから

ついそっちで期待してしまいました。

 

これは当時どういう人に受け入れられた映画だったのだろう。

女性から「私もこんな恋がしたいわ!」って思われたのかな。

それとも男性から「俺もこんな風に美女に愛されたい!」だったのかな。

 

なんとなく後者のような気がして

日本の美少女ゲームとか李香蘭支那の夜を思い出しました。

 

そんな流れで行くと「マイフェアレディ」のエンディングは更に謎で

「せっかく生きる術を身に着けたのに何で彼のとこに帰るの?」と思います。

原作では二人は分かれるのだけどミュージカルにしたときに

ハッピーエンドに書き換えたらしいので、、仕方ないですけど。

 

その点「ローマの休日」は素晴らしいと思います。

成長して自立心(自律心)を持ったアン王女が自分の立場に帰っていく。

この3作品ではローマの休日が一番古い作品ですけれども

女性の生き方としては一番新しいような気がします。

 

 

それではまた!

舞台 NTL 夜中に犬に起こった奇妙な事件 感想

待ってました!!!やってくれると信じてた!(><)

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NTL(ナショナルシアターライブ)とは

ロンドンにあるナショナルシアターで上演された演劇の中から

評判の良かったものを映画館で上映してくれるシリーズです。

毎年楽しみにしています。

 

この「夜中に犬に起こった奇妙な事件」は

もとはロンドンで出版されたベストセラー小説です。

 

ロンドン版はオリヴィエ賞(UKのトニー賞)を総なめし

満を持してブロードウェイに進出、

トニー賞演劇作品賞、演劇演出賞、演劇主演男優賞、美術賞、照明賞を受賞。

2015年のNY演劇でナンバーワンに輝きました。

 

中でも注目はトニー賞演出賞を受賞したマリアンヌ・エリオットです。

この作品はとにかく演出が素晴らしいとあちこちで目にしました。

 

彼女の演出をぜひ見てみたい!!NTL、お願いします!!

そんな念願かなっての観劇になりました(^^)

あぁぁ、本当にありがとう、NTL。

簡単なあらすじ

クリストファーは独特な15歳の男の子。

論理的で数学が得意、夢は宇宙飛行士、人の気持ちを察するのは苦手、という

いやゆる自閉症とされる個性を持つ。

母親は数年前に亡くなって今は父親と暮らしている。

 

ある日彼のお向かいの家で夜中に犬が殺されてしまう。

それを見つけたクリストファーは犯人扱いをされてパニックに。

彼は犬を殺した犯人を捜すことを決意する。

犬に起こった奇妙な事件は、やがて彼を思いもよらない事実へ導く・・・

 

「これ、どうやって演劇にしたんだろう?」

この舞台を見る機会がなかなか無かったのでまず原作本を読みました。

その時の感想がこれ↑です。ホントに一体どうやって・・・。

 

まず話がポンポン飛んでいました。

犬が殺された話、数学の話、学校の話、記号の話、過去の話・・・

こんな風に脈略も時間の流れも関係なく

エピソードがバラバラに書かれていました。

読んでいるとちゃんと流れが見えてくるのですが

普通の小説のように順を追って説明されるわけではありません。

 

別の機会に同じく自閉症の東田直樹さんが書いた

自閉症の僕が跳びはねる理由」を読みましたが、

それによると自閉症の方は記憶を線で繋ぐことができなくて

散らばった点のようになっているらしいのです。

クリストファーの記憶もたぶんそうなのでしょうね。

 

そんな自閉症の方独特の特徴があれこれ出てくるのを

演劇にしただけでもすごいのに、まして演出賞をとるなんて。

一体どんな舞台だったんだ!?とますます期待が高まりました。

 

アナログな演出、デジタルな演出

まず目につくのはデジタルな演出でした。

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LED、プロジェクションマッピング、などなど。

セットはほとんどなく、このように必要な情報がデジタル表示されます。

 

デジタルな演出はいくつか見たことがありますが

ドリームガールズやif/thenなど)

単純に背景を映したり装飾的に使われることが多い中で

この作品はクリストファーの心情をデジタルで表現していて

そこが新しいなと思いました。

 

でも私は、アナログな演出の方が印象的だった!

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これはクリストファーが宇宙飛行士になる想像をしているところです。

こんな風に人が彼を飛ばすんですね~。

 

足元のパネルには映像を映すことができるわけだから

例えば床に宇宙の映像を映して、

彼が一人でその上を動き回って宇宙飛行士の想像シーン

とすることも出来たと思います。

だけどそうじゃなくて、人の手が彼を飛ばしている。

 

他にも、クリストファーが家に帰ってくるシーンが何度かあるのですが

そこでも家の家具が人で表現されていました。

ドアを開ける、鍵を棚に置く、ベッドに寝転がる、

そのドア役、棚役、ベッド役が全部人間で居るんです。

 

彼にとって快適なこと、不快なこと

私たちからすると、クリストファーはいろんなことが出来ません。

電車に乗るとか人と会話するとか、そういう事は苦手です。

 

その都度そこにいる人にマイナス感情で対応されていました。

「何してるんだ!」「本気で言ってるの?」「やめてくれ!」などなど。

実際の人と関わるとき、彼はとても辛そうでした。

 

だけどクリストファーが快適に過ごす時、

例えば自分の空想に浸ったり、慣れた作業をしたり。

そういう時もまた、人間の手で描かれている、

そこが凄く暖かくて、とってもいい演出だなと思いました。

 

いわゆる健常者の人達は彼に冷たい、

彼が快適なのは彼一人の世界だけ、、っていうんじゃ

ちょっと寂しい。

 

彼は別に周りを困らせようとしてるわけじゃなく

彼には彼の快適な過ごし方があって

そこにもちゃんと人のぬくもりがある。

彼は私たちと違うように物を見てるだけで

同じように社会の中で生きているのだと感じました。

 

クリストファーに共感する体験

舞台を見ているとどんどんクリストファーに共感していきます。

自分は自閉症として経験したことはないのに

後半彼が無理矢理体をつかまれたりすると

「やめて!それはして欲しくないんだよ!」なんて思いました。

段々彼の好き嫌いが分かってくるんですね。

 

ロンドン版では舞台を囲むように客席があったようで

(NY版はおそらく普通に客席は前にあった様子)

演出のマリアンヌは「彼の世界を体験できるように」

と語っていました。

 

また映画が始まる前のインタビュー映像に出て来た女性も

「観客は舞台を通してクリストファーの世界を体験できる」

と言っていました。

(彼女は単なるスタッフではなく、もしかしたら自閉症の方かもしれません。

 案内が曖昧でちょっとよく分かりませんでした)

 

まさしくその通りで、

この舞台は自閉症の人がどんな風に暮らしているか

疑似体験できるのだと思います。

もちろん実際のそれは、もっと大変なこともあるのでしょうけど。。

 

街でクリスファーに会う人たちはみんな冷たいです。

困ってる彼に手を差し伸べることができません。

でもそれは意地悪なんじゃなくて

自分の常識から判断や理解ができないだけなんだと思いました。

 

そしてもし自分に同じことが起きたら・・・

優しくしてあげることはできるだろうか、と。

したくても、どうしたらいいか分からないかもしれない。

無意識に目をそらして知らんぷりするかもしれない。

 

具体的に何ができるかは分からないけど、

でも、彼には彼の世界があって、そこで幸せに暮らしたいんだ、

ということは分かりました。

私に私の世界があるように、彼には彼の世界がある。

大多数の人とは違う世界観かもしれないけど

それは人の優劣や価値の有無に関係ない。

私と彼とは違っていて、それぞれに世界があるだけのこと。

 

自分とは違う目を持ってる人たちを

自分の眼鏡だけで判断してしまわないようになりたい。

この舞台をみてそう思いました。

 

美しいエンディング

夜中に犬に起こった奇妙な事件は

クリストファーとその家族を思わぬところへ導きます。

 

最後、彼は学校で先生と話をしていて

先生にある問いかけをします。

 

そのシーンが!!

なんとも美しいの!!!

 

なんて希望のある終わり方だったんだろう。

あれだけのセリフで。あれだけのやりとりで。

彼のこれからは可能性に満ちているって、

生き難さを抱えた彼のこれからは、それでもきっと輝いてるって

もの凄い説得力で描いていた。

あー、本当に美しかった!!

 

デジタル演出はもちろん目を引きましたが、

この作品の素晴らしいところは

デジタルとアナログの演出技術を駆使して

社会を別の視点から、美しく、描いたことだと思います。

舞台 ゴジゲン 「劇をしている」 感想

大好きな劇団、ゴジゲンの新作を観てきました。

@下北沢OFF・OFFシアター

 

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ゴジゲンとは&私とゴジゲン

ゴジゲンを知らない方のために簡単な説明と

あと私が語るゴジゲン話を。なんかすみません。

 

 ゴジゲンとは慶應義塾大学の演劇サークルから生まれた劇団です。

私が初めて観た彼らが大学を卒業するとき。

慶応大学の中にある劇場で公演があったので観に行きました。

…実はその時は別の俳優さんが目当てだったことをここに告白します。

 

脚本演出の松居大悟さんと俳優の目次立樹さんが中心の劇団で

その時見た「エイトビートニート」はそれまで劇場で見てたお芝居と違って

なんというか・・・その時の感想では”後味に何か残る”と思いました。

ピーマンみたいな。

美味しい、、ような気がする。でもちょと苦い。でも美味しい。なんだろ?

そんな感じでした。

今思うと多分彼らは若くて色々粗削りで、原石だったんだと思います。

ちなみにこの作品は池袋のシアターグリーンという劇場が主催する

学生演劇祭で優勝という、若手登竜門をくぐりぬけた作品でした。

 

そこから数年たって段々劇場が大きくなったころに通いだしました。

綺麗ごとやお約束ではない、

人の本性とか衝撃を描こうとしてるのかな、という印象で

いろいろ見た中では「アメリカン家族」が好きでした。

普通の家族であろうとする中で、普通ってなんだ、家族ってなんだと。

見ていて感じた胸苦しさが家族に感じるそれと近くてリアルでした。

 

ずっと客演だった東迎くんも所属になって、どんどん大きくなるなぁ、、

というころに活動休止。

理由は確か「予定されている演劇をこなすのが辛くなった」というようなもので

残念だけどとてもゴジゲンらしいなと思いました。

ただ直前に所属になった東迎くんの行く末だけが心配でした。

 

その後松居くんは

(あ、同世代なので勝手に”くん”なイメージでおります。ごめんなさい)

映像の世界でも活躍して、映画なんかも撮りはじめて、おおお凄いなと。

目次くんはとっても個性的な俳優さんで大好きだったけど

松居くん以外の舞台に出る気配はなかったからどうかな、、、と思ってたら

農業を始めたり環境のことを考えたりしてるのが何となく伝わってきて

直接演劇とは関わってないけど、なんか彼らしいなと思いました。

東迎くんは時々ゴジゲンブログを更新してくれて、その姿が本当に健気でした。

 

私も色んなお芝居を観るようになって

日本の商業演劇は正直あんまりだなぁと思うことが増えました。

けれどもゴジゲンだけは忘れてなくて、たまにブログを覗いては

復活情報無いかな、、とか松居くんまた映像やるんだな~とか思ってました。

 

で!!そんな紆余曲折を経て!!

2015年、ついについについに、3年ぶりに復活のお知らせ!!

待ってましたと電車の中でこぶし握りました。ほんとに。グッ。

ちゃんと目次くんもいる!東迎くんも!

心から楽しみにして劇場に向かい、ゴジゲンは続くことになり

(復活が決まるまでにお芝居1本分の物語があるのだけど

 いい加減本題に入らないとまずいと思うので今回は割愛)

この年公開された松居監督の映画「わたしたちのハァハァ」も面白くて

劇団復活第二弾公演が今回の「劇をしている」なわけでした。

前書きへのお付き合いありがとうございます。

 

で、「劇をしている」

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この直球なタイトル。

松居くんの「壁を突き抜けたい気持ち」が透けて見えるようでした。

 

あらすじは・・・えーと。。

松居くんがゴジゲンを通じて「劇ってなんだ」と自問自答する話

です。

登場人物は類人猿から神まで。嘘みたいだけどほんとです。

高校生の葛藤から宇宙との攻防まで描かれました。ほんとです。

 

復活公演となった「ごきげんさマイポレンド」は

目次くんを中心にみんなの未来を探るような話だったけど

今回のは松居くんの未来を探っているようで

もともとゴジゲンはこの2人のチームだったことをおもうと

これでようやくゴジゲンの足が二本デデンと立ったんだなと思いました。

 

劇とは何か。

作ること、生きること。嘘、本当。

一見矛盾したもの全部「劇」じゃないのか。

作りこまれたファンタジーも劇、ただそこに立ってる人も劇。

生きてれば劇。舞台上の嘘は劇?駅のホームで電車を待つ現実は劇?

なぜ劇をするのか。舞台で何をするのが劇なのか。舞台は要るのか。

見ていて私も「劇」を中心にした哲学に放り込まれました。心地よかった。

松居くんはきっと「劇ってなんだ?」と考えながら

「これが劇だ」というものを作りたくて

わざわざ「劇をしている」と現在進行形のタイトルにしたんじゃないかな。

 

ポレンド、ハァハァ、劇をしている、と最近の松居作品は

どこまで脚本でどこからアドリブなのか分からない、とても自然なスタイルで

私はこれを勝手にドキュメンタリー演劇と呼んでいるのですけど(心の中で)

私が知る限りであるこの3作品のなかで、今回のエンディングが一番スマートでした。

 

人物たちの胸の内がリアルに出れば出るほど終着点が見えなくなるのです。

そりゃーね。実際にはみんな今も悩みながら生きてるわけだからゴールなんか無い。

そうすると終わりが近づくにすれ「どうする?どう終わる?」っていう時がくる。

ほんとに舞台上でこれ何度も言われます。「どうする?」って。

まさかほんとに終わり方決まってないのかなって思うくらいリアルです。

 

それが今回は、巡り巡って、人類の起源から宇宙まで巡って、

結局虚構に帰ってくる、冒頭に戻る、それでいてing形を辞めない、っていう

おぉぉぉ、そうくるか!!とすっきり爽快、素敵なエンディングでした。

生きながら作ることの着地点は、ひとまずココなんだな!と。

松居くんは何かを見つけたのかな?と感じてなんとなくニッコリしました。

 

苦しみながら作ってくれてありがとう。

またゴジゲンが見られて嬉しいです。

「なぜ劇をするのか?」って難しいと思うけど

(私はやったことがないので分かりませんが・・・)

例えば「待ってる人が居るから」ではどうでしょうか。

 

いや、それだけで自分の人生掛けてやれるかっていうと無理だろうから

色々理由がある中の一つとしてでもね。待ってる人がいる、と。

もしそういう理由が必要であれば、少なくともここに1人、

ゴジゲンのお芝居を待ってる人がいますので。

よかったらご活用下さい。

一部の演劇ファンが「リア玉」を待ってるみたいに、

私はゴジゲンの次回作をどんだけでも待ちます。

 

ゴジゲンは数少ない「時代や社会を映した芝居を作ってくれる劇団」だと思ってます。

売れるとか売れないとかじゃない、時代が必要とする薬を作ってくれるとこ。

日本版RENTみたいなお芝居を作り出してくれるとこ。

ゴジゲンが社会を切り取ってつくる演劇は、時代の薬になると思っている。

 

日本はねー、もっと演劇で救われたらいいと思うのよ。

傷から目を背けて甘ったるい話に浸っちゃだめ。

まずちゃんと傷を見るところから!それはホントは演劇の役目なのに。

 

話しそれた。とにかく。

ゴジゲンはそういうことをやってくれる劇団だから。

待ってます。これからもずっと待ってます。

 

こんな後半にすみません、客演の皆さま

今回もポレンドに続き3人の客演の方が出演されてました。

奥村徹也さん、堀善雄さん、本折最強さとしさん。

は?最強?と思った方。いいんです、この方はこういうお名前なんです。

 

ポレンドのときはみなさん初めましてだったので何となく見てましたが

今回はそれぞれの関係性も分かっていたので楽しめました。

この3人のことはゴジゲンの3人ほど追って見てないぶん

語られる背景が新鮮で、リアルでした。

「あー、、そういう事もあるのか。。」と。

演劇を続けるって簡単なことじゃないよねぇ。。

 

でも3人ともとっても芸達者なんですよ、すごいの。

あっという間に別人(別物)になれるの。

最強さんがやったウザったい女なんてほんとに女そのもので

「あ、こういう時の女ってこんなにも滑稽なんだな。気をつけよう」って思いました。

成人男性が演じた女から女の在り方を学ぶっていう経験をした。

 

この3人も幸せになってくれるといいなぁ・・・!

6人での相乗効果が好きなのでぜひまた一緒に舞台で見たい。

幸せを探しながら演劇続けられることを願っております・・・。

 

最後に、東迎くん・・・!

今回の劇中、たびたび東迎くんの脱退が匂わされました。

やめちゃうのかなぁ~~~!

残念だけど・・・でも大好きだから幸せになって欲しいしなぁ!

 

アメリカン家族のとき、ピカピカの笑顔でドエロいDVDのタイトルを言い

その場の空気を凍りつかせるという素晴らしいお芝居をされていて

その瞬間の輝き具合が私はずっと忘れられませんでした。

休止中もあのピカピカが思いだされて「彼は元気だろうか・・・」と思ってました。

 

ポレンドで久しぶりに見られて喜んでいたら

今回の舞台ではまた東くんが輝く瞬間(爆死)があって

あぁぁよかったね、東くん、あの時と同じくピカピカだよ!と

お姉さんは一人心で拍手をおくっておりました。

松居くんが東くんを夜空の星にしてくれて嬉しいです。

 

東くんの「真面目に見えて実はとんでもない爆弾」なところが好きです。

幸せになってね。

その幸せの延長やら隙間やらに演劇があるのなら・・・

ぜひまた彼を舞台で見たいです。

川崎つくろうよコンサート2016 参加しました♪

トロンボーン背負って、いざ!

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つくろうよコンサートとは!

川崎市が年に1度開催している2日で作るコンサートのこと。

会場は吹奏楽コンクールでも使われている川崎市民文化会館。

 

こんな偉そうに言ってますけど実は私も今回初参加。

去年自由演奏会で一緒になった方に教えてもらいました。

「どうやったら参加できますか?」ってきいたら

「夏ごろに”つくろうよコンサート”で検索したら出ます」と言われて

なんてざっくりした話だ!と思ったけど本当にこれで出ました。

参加したい方は夏ごろに”つくろうよコンサート”で検索してください(^^;

ちなみに2016年のサイトはこちらです↓

川崎市川崎区:つくろうよコンサート2016~つくコンvol.13~お知らせ

 

で、そんな作ろうよコンサート。

行政が主催してくれてるだけあって何かと丁寧!!

 

・事前に譜面を送ってくれる

・事前の練習室を用意してくれる

・会場の照明をフル活用

・ちゃんとパートごとに分かれた座席配置

 

何と言っても事前に練習できるのがありがたかったです。

自由演奏会みたいに当日だけ吹くものお祭りみたいで楽しいけど

やっぱりそれだと吹けないところは吹けないし。。

練習できるだけあって自由演奏会より曲の難易度も高かったと思います。

 

今回の曲はこのような物でした。

 

♪ミュージックメーカーズ

♪挑戦民謡の主題による変奏曲

エルカミーノレアル

♪アルセナール

♪ディズニーセレブレーション

♪故郷

♪マラゲーニャ

アイルランド民謡

♪宝島

 

吹奏楽をあまりご存じない方のために簡単な解説。

この曲目をジャンルで分けるとこうなります↓

 

・ミュージックメーカーズ(前奏曲

・挑戦民謡の主題による変奏曲(コリアン民謡)

エルカミーノレアル(ラテン)

・アルセナール(行進曲)

・ディズニーセレブレーション(ディズニー)

・故郷(日本の童謡)

・マラゲーニャ(ラテン)

アイルランド民謡(アイルランド

・宝島(日本のポップス)

 

あらゆるジャンルが混ざってる事が伝わりますでしょうか。

これが吹奏楽の素敵なところだと、私は思います^^

クラシックみたいにずっとお上品なわけじゃなく

聞きなれた曲も世界各地の曲もいっぺんに楽しめるのが吹奏楽です。

 

特に今回の曲はどれもカッコよくて聞くのは楽しい・・・のですけど

吹くとなるとどれも難易度高くて焦りました!

こういう突発コンサートでしか演奏してない

基礎力ナシの私にはどれもハードル高かったです(T_T)

 

一応譜面が手元にあるんだから練習しないとまずいと思って

youtube聞きながら一通りさらってみたんですけど

1週間やっても思うように吹けなくて落ち込み。。

どうしよう、私だけ全然吹けないかもしれない、、と思いながら

トロンボーンを背負って会場に向かいました。

 

つくろうよコンサート前日。

ほとんどのメンバーが集まって初めての合奏です。

今回の参加者は200名!

トロンボーンは1st、2nd、3rdと1列ずつ並び、

3rdの私は後ろにTrb2nd、前にEuphという席順で演奏しました。

 

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全曲通し練習。

やっぱり吹けないところは吹けない(涙)

でも後ろから1stや2ndの音がバリバリ聞こえてきて

3rdだっていい音やってるよ!と主張したくなり・・・

 

当日午前中。またまた通し練習。

なんとかついていけるようになった!

16分音符が続く細かいところはもうしょうがない。気合。

これならやれる気がする!!

 

ということで迎えた本番は・・・

 

めちゃくちゃ楽しかったです!!!

 

びっくり。

カッコよくて、吹きながらビックリしてました。

 

途中で指揮の先生も

「つくコンの素晴らしいところは

 他人同士が集まって2日で音楽を作っちゃうところ」

とおっしゃっていて

あー、こういうことかぁって吹いてて思いました。

 

自由演奏会だとやっぱり全員の気持ちを合わせるとこまでは

時間がなくて出来ないけど(その代わり勢いを楽しむ場)

つくコンは何回か繰り返して練習してるうちに

音楽が合ってくるんだと思います。

 

挑戦民謡の主題による変奏曲には緊張の一瞬があって

全員音がなくて数秒間完全に無音になった後に

これまた全員でジャガジャガジャン!!と派手に鳴らすんですね。

もしここで誰か1人でもカウントを間違えてパプ!と出してしまったら

途端に「やっちゃった!」感が出て台無しですけど

本番は見事に、みごとに揃いました。やー、緊迫した!

そこが過ぎたときは心臓がバクバクしてました。

 

そんなシーンでも思い切って飛び出せたこととか、

主旋を張り切るだけじゃなくて和音を豊かにしたいと思ったこととか、

自分一人の力ではなくて200人の音に後押しされたからなんだと思います。

ああやって曲の世界で楽しく過ごしたのは凄く久しぶりだった気がする・・・。

 

冒頭にもちらりと書いたとおり、照明もとても凝ってて。

曲に合わせてライトが変わったり絵を映してくれたり、

そういう整えられたステージで演奏したのも10年ぶりです。

たった2日の演奏でも環境を整えてもらうと気が引き締まりました。

 

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この演奏会を企画して作ってくれた方々、本当にありがとう!という気持ちです。

行政の方ももちろん、当日のスタッフをして下さった方達も。

お蔭で本当に気持ちよく演奏することができました。ほんとにありがたい!

 

一緒に演奏した方達ともなんとなく仲良くなってお別れしました。

また来年一緒に演奏できますように(^^)

 

映画 ワンス ダブリンの街角で 感想 人生の踊り場には音楽が必要

映画館で見れなくて
ミュージカルの来日公演も見れなくて
ずっと気になってました。

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同じ監督が撮った「はじまりの歌」がとてもよかったので
この機にDVDレンタルしました。
ここから感想の中にネタバレあります〜。





これは、人生の踊り場にいる男女が
音楽を分け合って
新しい一歩を踏み出す物語。

前に何があったか、その後どうなったは描かれないから
歩き出すところが凄く際立ってました。


なんかさ、、、
生きてると、成長とか進化とかそういうのばかり入ってくるけど、
実際こういう、一回休み!ってなることはあるよね…

また出てくる人が誰もそれを責めないの。
ちゃんとした仕事につきなさい!とか言わない。
本人も別に悪い状態だとは思ってなくて
その時できることに取り組んでるし。
日本と海外の違いなのかなぁ。
立ち止まってる人への優しい目線を感じました。


最後、彼女は家に来ないわけだけど
あれをどう見ましたか??

私はね、彼女は凄く迷ったんじゃないかと思いました。

行きたいけど、いま行ったら感情に流されてしまうって思って
無理して、辛い思いして、行かなかったんじゃないかな。

ドライブに誘われた時は感情を取って、
それも楽しかったしセッションもよかったし、
いま家に行ったら、その時はまた楽しくても
結果的に二人のこともそれぞれの世界もダメにしてしまうって
そう思って行かなかったんじゃないかな。

彼にはそれが伝わったのかな。
だからピアノを買ってくれたのかな。
だとしたら彼女が歌ってた「私も努力してるのよ」っていうのが
叶ったんじゃないかな…

普段DVDは、やっぱり映画館ほど入り込めなくて
「あー、映画館で見たかった!」と思うんだけど
今回のはDVDなのにポロポロなけちゃって
「あー、映画館で見たかった!!」ってなりました笑

いい歌だったなぁ…
舟で漕ぎ出そう、辿り着けるよ、って。
人生の踊り場には音楽が必要ですよね。
音楽は人生の薬。

「はじまりのうた」を(堪えられなくて)もう一度みた

大好きな映画館、渋谷のアップリンク
見逃した映画特集2015をやっています。
んもう、この企画の切り口だけでステキ。惚れ直す。

 

いくつか見たい映画があった中で
ダントツにもう一度見たかったのがこれです。
「はじまりのうた」

 

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やのひろ的2015年TOP3に入る素敵映画です。

私は基本的に1つのエンタメは1回しか見ないポリシーなのですけど
これはせっかく機会があるならまたスクリーンで見たい!と
いつものマイルールを破ってまで見に行ってしまいました。

 

もうね、とにかくイイのが最初の30分(推定)。
1つの歌を軸にグレタ(キーラナトレイ)とダン(マークラファロ)の
人物背景が描かれるとこです。ここが、めちゃくちゃ、好き。

 

まずあの構成。
物語の鍵になる曲を冒頭にぽーんと見せて
ん?どういうことかな?と思わせといて
時間と人物を行き来しながら背景を説明していく。あの構成。
「あ、そういうこと!」っていうのが2度もくる。
更にはそれが来るたびに曲の深みが増すという仕掛け!!くー!

 

そしてあの曲。なんて良い曲なんだ。

 

最初にグレタが歌う弾き語りver.でも素敵だけども
次にかかるダンのアレンジver.!!
魔法のように動き出す楽器。
輝きだすグレタ。
ぐんぐん広がる曲の世界!

 

もうね・・・私あのシーンで泣けるんです。
音楽に命が宿るようで。。鳥肌ぶわーで涙がぽろーなんです。

 

この映画が言いたいのは
「誰かと気持ちを分かち合う幸せ」
なのだと思います。

 

誰かと繋がりたくてコネクタを大事にしていたダンと
1人で閉じこもっていたグレタの間に
音楽っていう特別なコミュニケーションの橋が架かって
突然に、でも必然のように、気持ちが通い合っていく。
あの感じ。なんて尊いんだろう…。

 

デイヴはグレタの曲をポップスにアレンジしてしまったけど
ダンは最初のあの魔法のシーンからグレタの曲をきちんと解釈していた。
「この歌の世界が分かる」ということで救われたダンと
「私の歌を分かってくれる人がいる」ということで救われたグレタ。

あー…なんて素敵なの。

 

あの二人、ちょっといい雰囲気になるのに恋人にはならないんですよね。
そこがいいなと思いつつ、なんで恋人にしなかったんだろう?とも思いました。
例えばダンがもっと若い男性の設定だったら恋愛発展もアリなんじゃ?って。

 

でも今回見てみてハッとしました。
アルバムづくりが終わってお別れを言うシーン、
グレタとダンが向かい合っててそれぞれのアップが入るとこ。
その二人の目をみて。あぁこれは・・・愛だなって。

 

私を愛して欲しいとか、一緒にいたいとか、
そういう欲求を超えたもの。
相手を尊敬して幸せを願って別れを惜しんで
それでもどこかで繋がってると思える関係。

そういうのをあのシーンから感じました。

 

親子とか子弟とかでも起こり得る、いわゆる無償の愛。
これってある意味男女の愛情よりずっとピュアだと思いませんか。
だって何の見返りも望まないんだもの。


そういう深い深い愛情を描くために
この二人はこの関係だったんじゃないか・・・と思います。

 

愛する誰かと気持ちを分かつ。
これこそが豊かな人生の秘訣だよ・・・。
そんなことを言われた気がしました。

 

あー。。。
見にいってよかった。私の宝物映画です。

今年はブログの筑前煮化を目指します

こんにちは、やのひろです。


新しくブログをやろう!と思った時

ここ数年やっていたサイト解析のアタマがあれこれと働きました。

検索にかかりやすいものは何か

人が欲しがるものは何か

どこの数字をあげるのが効果的か…


その結果、そんな有益なものは自分からほとんど出なくて

サイトは放置気味に。

まさに本末転倒!


そんなこんなしながら色々やってるうちに

Webはそろそろメディアになるべきなのでは?

というところにいまおります。


それってどういうこと?

何すればいいの?

もうかるの?

この辺のことは何もわかりません。


ただ、これまで私がやってきた

「サイトとは数字を見ること」

↑一度これは置いといた方が良さそうだ

ってことだけ今わかってます。


なのでサイトに書くことの制限をもう少し緩くして

色んなことをざっくばらんに書いていきたいと思います。

自分の脳内を言語化する訓練!


サイトの効果を思えば書く内容を絞った方が良いことは分かってますが

自分をそんなに都合よく切り分けることが出来ないので

私が感じたあらゆる事が出てくると思います。

目指すは筑前煮。

色々入っててそれぞれ美味しい、みたいな場所にしたいです。


今後ともどうぞ宜しくお願いします!


やのひろ